2013年3月28日木曜日

パーソナリティ障害と境界線問題




「自分がされて嫌なことは相手にもしないようにしましょう」と
小さい頃から教えられる。

確かにその通りなんだけど副作用もある。





それは何か。

「自分がされて嫌なことは相手も嫌に違いない」という思考が出来上がると
「自分と他人とは別人格であり、考え方も感じ方も違う生き物なのだ」という他人との境界線が引けずに大人になってしまうかもしれない。

自分がされて嫌なことは相手にとっては望んでいることかもしれない。
そこにすれ違いがうまれる。



自分が嫌だと思っていることは相手も嫌に違いない=自分と同じような価値観考え方を相手も持っているに違いない
という罠に注意しなければならない。










■自他の境界線が引けないパーソナリティ障害者たち


(境界性、自己愛性)パーソナリティ障害の最も特異的な部分は「自他の区別が付かないこと」だと読んだことがある。

自分の事は自分が一番分かっているのであれば、「他人(自分)が私の望むことを察しないで満たしてくれないのはおかしい」というような境界線問題が主題なのではないだろうか。



「自分の不平不満を言葉ではなく態度で示せば即座に誰かが満たしてくれる」「自分の不快さは他人(自分)が取り除くべきだ」という生き方は赤ちゃんの時期だけなのが人間のあるべき発育段階なのだと思っている。
で、だんだんと「他人は役に立たない、言わなきゃ分からないし言ってもわかってもらえない」ということを学ぶはずなんだけど、どこかでストップしてしまった人たちの一つの行き先がパーソナリティ障害なんじゃないかと。


これが逆だとDVを受ける側になっちゃう。
「相手が不機嫌で暴力を振るうのは自分に落ち度があるからだ」というような「他人の事も自分の責任として受け止めてしまう」という素地がDVを甘受するようになってしまう要因だと思われる。



境界線問題は本当に厄介で俯瞰的に自分のコミュニケーションパターンを観察できない限り、一生続けていくことになってしまうので、自分の境界線問題に気づくことは本当に難しいことだと思っている。











■社会では有能だが人間関係はボロボロ


天気が雨だとする。
遠足を楽しみにしていた小学生の男の子はがっかりするだろうが、農家のおじいちゃんにとっては恵みの雨かもしれない。小学生が残念がるのは分かるし、おじいちゃんが喜ぶのも分かる。雨に良し悪しはなくて、個々人の状況によって受け止め方が違うし違って良いはず。

なのに世の中には、雨が降って喜ぶ人を許せない人が居る。


「自分と他人は別の価値観を持っている別個の生き物だ」ということがわからない人、すなわち、境界線問題を抱えている人たちだ。



自分が雨を嫌っているのに他人(自分)が雨を喜ぶなど、境界線の人たちにとっては耐えられない出来事なのである。




ちなみに、自己愛性パーソナリティ障害傾向を持ったほうが社会的に成功する確率が上がるらしい。
相手(部下)が自分と違う考え方を持つことを許さずに自分の信じている方向に家事を取れる経営者は、経営者として備えておきたい素晴らしい資質だ。
そういう「自分が正しくてそれ以外の意見を絶対に認めない」という生き方は社会的には有能で利益を産む能力には優れているのでしょう。


だけど、人間関係というのは「自分と違う考えの人間をそれぞれ尊重しあう」ことが肝要なはずなので、当然、パーソナリティ障害群の人たちは、
社会的な肩書きがなくなれば人間関係が無になっているのである。




そして、いくら社会的に成功を収めても満たされることがないのでお酒には待ったりお金に物を言わせてプライベートでも機嫌を取ってくれる人を引き寄せたりしている。
ただそれらは結局虚しさを産むだけである場合も多い。












■自己愛の蔓延する家庭



心理学的には依存症の人間と自己愛人間とは共通点が多い。

まず、どちらも問題の多くは家庭で育ちやすい。

依存症の人間を産み出すーつまり自己愛人間を作り出すー育児には共通点がある。
一貫性がなく、境界が設定されておらず、熱心な世話と怒りが繰り返されて子どもを混乱させる。


態度がころころ変わり、信頼性に欠け、
子どもに共感を持って対応できない親は健全な自己ーーあるいは健康な脳ーーをつくる材料を子どもに十分提供できない。



主な養育者が乳幼児の感情に波長をあわさず、情緒の負担をやわらげず、
とくに母親と離れていたあとの気分の低下にうまく応じられないと神経の発達を妨げ、
衝動を抑制できない、欲求不満の許容量が低いといった欠点をもたらす。

乳幼児期に社会化の機会が奪われ、ストレスが加えられれば
激しい感情を調節する脳内の化学物質に永続的な変化をもたらすと思われる。
脳の発達がピークを迎える練習期の始まりと終わり(生後10ヶ月~1歳と1歳4ヶ月~一歳半)に
共感に満ちた世話がなされないと、脳の重要な領域が未熟で未発達なままに残される。




激しい感情を自力で調節できない人間は
「補助の調節装置」として化学物質に頼るのかもしれない。
発達しなかった神経回路を補う。

薬物は自己愛の幻想と誇大感や全能感を誘発し、
恥や抑うつから解放してくれる。


自己愛人間が恥の回避という方法を見つけたように
依存症の人間も脳の発達の重大な欠陥を補う方法を見つけたのだ。


言動に一貫性がなく、境界意識もなく、自分のことに夢中で
子どもから必要とされるときに応じられない親は子どもの道徳意識の発達も妨げる。

善悪を判断する手本となる断固たる、しかも愛情に満ちた態度が示されないためだ。










■健全な自己愛とは


健康な自己愛とは
あらゆる感情を感じられ、他者の感情も共有できる能力であり、
夢見る力を持ち続けながら現実と幻想を区別する知恵であり、
激しい自信喪失に陥らずに夢の実現を積極的に追い求めて楽しむ才能である。

健康な自己愛は真の自尊心の上に成り立つが、概して自己愛人間はそれが欠けている。






 

 

■相手を自分の一部とみなす


他者は彼らの要求を満たすために存在し、
要求を満たさないなら存在しなくて良い、と考えている。

自己愛人間は自己感の発達に重大な欠陥を持つ。

その欠点のために彼らは自己と他者との間に境界があり
他者が別個の存在であって自己の延長でないことが理解できない。




 

■他者他の境界が無い


自己愛人間は、自己と、欲求を満たしてくれる養育者とが分離した存在だと認識できる前に発達が止まった人たちだ。
彼はすべての愛情を注いでくれる全能の養育者といまも心理的に融合しており、
その交流パターンの対人関係にも影響を及ぼしている。





■他人を平気で利用する


自己愛人間は
恥の意識と怒りや攻撃性を爆発させる性向によって、
他者の気持ちや欲求に共感する能力はもちろん、それらの認識する能力さえ発達させられない。


情緒の発達にかんしていえば、彼らは1、2歳児の発達段階に固着している。
他者は分離した存在ではなく自己の延長であり、自分の命令に従うためにある。


それが、未発達の良心とあわさって、他者を利己的に利用する傾向が生まれる。



 

 

 

 


■自己愛の肥大した母親


妊娠前でさえ、幻想の中の子どもは自己愛の延長であり
自分が特別な気分を味わい、他者からの賞賛をうながす手段となる。

わが子を完璧とみなすにしろ密かに失望するにしろ、
彼女は幻想の中の理想的な子どもほどには現実の子どもに強い絆を持たない。


彼女たちは妊娠と言う局面に無関心か夢中になりすぎるのどちらかだが、いずれにしろ、
最大の関心ごとは生まれてくる我が子ではなく自分自身の体験だ。


いまさら親を変えようとしない。
いつか親と相互関係を結べると言う希望は捨てる


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