2013年7月12日金曜日

Dr.House Season4 #3 突き刺したナイフ ~97 Seconds~


電動車椅子の青年トーマスThomasが介助犬フーバーの助けで横断歩道を渡っていると、突然意識を失い車に轢かれそうになる。









○個人的テーマーー怒りは自分の問題によって湧いてくるものである






(患者の病室にて)



Thomas:
I thought melanoma was skin cancer

黒色腫は皮膚ガンじゃなかったのか




Wilson:
Technically, It's cancer of the pigment cells.
The same cells that give your iris its color.

正確には虹彩の色を決める色素細胞から発生するガンだ。





Thomas:
cancer?why not?
What eles can God throw at me ?
ガンか。神はなぜ俺ばかり苦しめるんだ



House:
Hail,locusts, smiting of the first born…
All depends on how evil you've been.

雹、イナゴ、初子の死も全て神の裁きだ。
つまり行いが悪いからバチがあたったんだろ。






Wilson:
House

やめろ






Thomas:
if it's cancer, it's spread everywhere,right?
That's what's in my lungs ?
My kidneys ?


ガンなら俺の色んなところに転移しているのか?
肺や腎臓にもガンが





Wilson:
There is a chance , by removing the eye,
to get the primary tumor and three courses of radiation,
that could...

望みはある。
目の原発部位を摘出して放射線治療を3ターンすれば、もしかすると…





Thomas:
Could what ?
A few months ? Years ?

それで、数ヶ月か数年持つのか?






Wilson:
More likely months.

数ヶ月ってとこだろう。




Thomas:
And of your other doctors have any cheerier diagnoses?
If they do , they're wrong.
This is the answer.

もっと希望の持てる診断をする医者はいないのか






House:
It's the only way to help you.

居ても間違いだ。あきらめろ。これしか道は無い







Thomas:
I already can't walk.
I can't eat.
You're telling me that the rest of my life is in this bed ,
puking and pain ?

俺は歩くことも出来なかったし、いまは食べることも出来ない。
寿命を延ばしたとしても、このベッドで痛みに耐えるだけの人生だ。









Wilson:
we can manage the pain.

痛みは和らげられる。





Thomas:
I'd rarher just get this over with.
I've been trapped in this useless body long enough.
It'd be nice to finally get out.

もう何もかも終わりにしたい。
この役立たずの身体に長いこと縛られてきた。
もう解放されたい。
やっとこの身体から抜け出せる。



House:
Get out and go where ?
I mean , you think you're going to sprout wings
and start flying around with the other angels ?
Don't be an idiot.
There is no "after".
There's just this.


それでどこに行く!?
羽が生えて天使と飛び立てると思うか
死後の世界などない、あるのはこの世だけだ







Wilson:
House!

やめろ!!








(ハウスは病室を出て廊下に向かう。ウィルソンはそれを追う)






Wilson:
You can't let a dying man take solace in his beliefs.

死を控えた患者から夢の世界まで奪うのか!?




House:
His beliefs are stupid.

バカな夢だ。信じても救われるわけがないだろ






Wilson:
Everybody lies.
Some for good reasons, some for bad.
This would have been a fantastic reason to lie.

嘘も方便だ。
良い嘘もある。
今こそが良い嘘を使う場面だろ







House:
Hi.Greg House.

(ウィルソンに握手を求めて)嘘つきのハウスだ






Wilson:
Why can't you just let him have his fairy tale ?
If it gives him comfort to imagine beaches and loved ones and life outside a wheelchair...

最後に患者に夢の世界くらい見せてやって何が悪い?
ビーチに昔愛した女、車イスから解放された世界が慰めになる。






House:
Are there 72 virgins , too ?

72人の処女もいるか?







Wilson:
It's over
He's got days,maybe hours left.
What pain does it cause you if he spends that time with a peaceful smile ?
What sick pleasure do you get in making damn sure he's filled with fear and dread ?
かわいそうに。持って数日か数時間かもしれない。

それなのに、君のせいで心安らかに逝く事もできないだろう。
それともなにか、君は患者に恐怖や不安を味あわせたいのか。





House:
He shouldn't be making a decision based on a lie.
Misery is better than nothing

あいつは嘘を信じて治療を拒否したんだ。
あの世なんてものはない






Wilson:
You don't know there's nothing.
You haven't been there.

行ったこともないのになぜわかるんだ?ないって



House:
Oh,God,I am tired of that argument.
Idon't have to go to Detroit to know that it smells.

もうその話題はたくさんだ!
デトロイトの悪臭はそこに行かなくてもわかるだろう!




Wilson:
Yes.Detroit, the afterlife , same thing.
そうだな。デトロイトもあの世も、同じだな。






Alanis Morissette - Not As Weが流れ始めてハウスとフォアマンは正しいと思うことに取り掛かる。



*****









この抜粋した場面は人間心理を的確に表していると思ったので、少し記録しておきたい。


特に下記のやりとり。
ハウスがなぜ患者にきつく当たったのか?
患者に冷たくあたることはハウスの常だけど、ハウスの個人的な感情を思いっきりぶつけるのは稀なケース。

Thomas:
I already can't walk.
I can't eat.
You're telling me that the rest of my life is in this bed ,
puking and pain ?

俺は歩くことも出来なかったし、いまは食べることも出来ない。
寿命を延ばしたとしても、このベッドで痛みに耐えるだけの人生だ。








Wilson:
we can manage the pain.

痛みは和らげられる。






Thomas:
I'd rarher just get this over with.
I've been trapped in this useless body long enough.
It'd be nice to finally get out.

もう何もかも終わりにしたい。
この役立たずの身体に長いこと縛られてきた。
もう解放されたい。
やっとこの身体から抜け出せる。





House:
Get out and go where ?
I mean , you think you're going to sprout wings
and start flying around with the other angels ?
Don't be an idiot.
There is no "after".
There's just this.

それでどこに行く!?
羽が生えて天使と飛び立てると思うか
死後の世界などない、あるのはこの世だけだ









■人間は自分が我慢(努力)している事を他人が放棄することを許せない



私が思うに、ハウスは患者が許せなかったのだとおもう。
ハウスは痛い足に毎日耐えて必死に生きているのに、
不自由な身体と向き合うのをやめて「死なせてくれ」と懇願した患者が許せなかった。
自分が不自由な身体に耐えて生きているのに、そして楽になることを望んでいるけど言葉にはせずに毎日ごまかしながら生きているのに、
目の前に居る男は、その言葉を平然と放った。
それを許せなったのだ。





投影とか転移という心理学の事があてはまるのかもしれない。

誰かへの怒りを感じた場合、多くは実は自分側の問題が大きく影響していることを私達はしっかりと理解しておくべきだ。
その自分側の問題によっておきているはずの怒りについて相手のせいにして相手を傷つけるのは人間の性といってもいいことだけど、それをやめるには、
自分の問題なのか相手の問題なのかを、よく考えておくことだと思う。

ハウスよ、死が決定した患者に怒りをぶつけたのは、患者の落ち度ではなく、あなたが痛みに耐えていることへの怒りによって生まれた怒りが爆発しただけなんだよ。
だから、患者は悪くない(笑)






2013年7月8日月曜日

睡眠補助薬はブロックバスター (Blockbuster drug)



■製薬会社にとってドル箱の薬→ブロックバスター (Blockbuster drug)





まーぶっちゃけ、睡眠補助薬なんかバカ高いの買わんで、同じ成分で安い薬があるからそっち買ったほうが得だよって話なんですが……。




 下の表を見てもらえればわかるように、1回の使用量である50mgの価格は、概ねどっこいどっこい。若干ドリエルが高く見えるけど、セールで安く売られることもあるし、実際の価格差は薬局薬店によってまちまちなので、なんとも比較対象になりずらい。1回使用量は50mgだから12錠入りでも結局は6回分。故に各社、差別化をはかろうとパッケージなどでがんばってはいるものの中身はてんで同じ。どれを買っても何も変わりません。
ドリエル2錠あたり50mg 12錠入り 1680円
ネオデイ2錠あたり50mg 12錠入り 1200円
マイレスト1錠あたり50mg 6錠入り 1250円
グ・スリーP1錠あたり50mg 6錠入り 1280円
おやすみーな2錠あたり50mg 10錠入り 1500円
(※価格は販売店によって数百円の誤差があります)
 で、同じ成分(ジフェンヒドラミン)を含んだ睡眠補助薬以外の薬の価格を見ると、先の表から計算をする気が失せる理由がわかります。例えば……。


・レスタミンコーワ5錠あたり50mg 220錠入り 1400円
 抗アレルギー薬であるレスタミンコーワは、ドリエルが発売されるはるか昔から薬局で市販されていた薬で、現在も普通に買うことができます。レスタミンは50mgの成分あたりわずか30円。ドリエルは280円、他社のゾロもどっこいどっこいと来れば、何故睡眠補助薬が、こんな高値で売れているのか疑問に思うレベルです。


 そんなうまい話は……と思う人も多いかと思いますが、レスタミンコーワに含まれている成分はドリエルと同じジフェンヒドラミン塩酸塩、ついでに無駄な成分もなし、本当に同じです。たしかに5錠も薬を飲むのは気分的に怖い感じもしますが、ドリエル2錠と成分はまったく同じなんです。


 どうしてこんなことになっているかというと、ジフェンヒドラミンは古くからアレルギー症状を抑える抗アレルギー薬として使われていました。しかし、強い眠気が自動車事故を誘発する恐れがあるなどとして、多くの風邪薬から使用量が減らされていきました。




 とはいえ効果はとても高く、特に鼻炎がひどくて寝入りの悪い人や、途中で起きてしまう人などには古くから愛用されてきたのがレスタミンコーワという薬なのです。「じゃあレスタミンコーワも、睡眠補助薬として使えると説明書や箱に書けばバカ売れじゃなーい」と思う人もいるかと思いますが、薬の認可や適用範囲というのは、厚生労働省に事細かな書類を提出したり、時にはおエラいさんを接待をしたりと、さまざまな長く苦しい手間と心労をかけなければ、適用症例ひとつにしても修正することは不可能なのです。
 ちなみにこの睡眠補助薬ブーム、もともとアメリカで数年ほど先んじて起こったブームを受けて、国内メーカーもスケベ心を出して、商品化したという感じのようです。結果的に、もくろみは大成功。例えばエスエス製薬は総額約83億円(頭痛薬に次ぐトップセラー)の大フィーバーなわけで、それをみた各社が俺も俺もと乗り込んでくるのは、切ないものがあります。




●使用上の注意もろもろ さて、いいかげん後ろからブッスリ刺されそうな気がしてきたので悪口はこの辺にして。ジフェンヒドラミン系睡眠補助薬を服用するときの注意点を説明しましょう。


 ジフェンヒドラミンは特に重い副作用はないのですが、粘液の分泌を止めるため、口や喉が乾燥しやすくなります。また人によっては胃を荒らすことがあります。
 それ故に乾燥している時期やエアコン全開の部屋での睡眠時にバンバン服用していると、寝ている間にノドをガッツリ痛め、それが原因で免疫力を落として風邪を引いてしまう可能性もあります。
 ようするにあまりガンガン飲むような薬ではないということです。

 睡眠障害というのは、さまざまな疾病の初期症状であることが多く、睡眠補助薬を1~2回飲んでスッキリする程度の不眠なら十分なのですが、朝起きても、疲労が全然とれていなかったり、日中ずっと眠いという場合は、睡眠障害というちゃんとした症状の可能性大です。
 幸い、「寝る」という事に関しては、専門の病院(心療内科など)に行けばいくらでも良い薬があります。
 また「睡眠薬を使うなんて……」「睡眠薬を使ったら負け……」そういった考えは捨てるべきです。もちろん薬に頼り切るのは、それはそれで問題ですが、心が風邪を引きかけているかもしれないのを見過ごすのは賢いとはいえません。
 毎日晩酌、寝酒をするくらいなら専門の薬のほうがはるかに体にいいでしょう。
 そしてなにより「きちんとリズムを直したい」と医師に相談して専用の薬をもらったほうが、圧倒的にQOL(Quality of Life)は改善します。ついでにそういった薬は、筋肉の緊張もほぐすので肩こりにも効果があったりと、市販薬なんかと比べるまでもありません。




***

以上、http://news.livedoor.com/article/detail/7068568/より

2013年7月7日日曜日

「いじめられる理由」など無い時代にいじめに接しているあなたへ






◎言いたいこと


現代のいじめは、「何も悪いことをしていないのに」いじめられる。
だからあなたは悪くないんだよ!






○いじめられる理由が分からないいじめは凶器だ


>>
奈良県橿原市で3月に自殺した公立中1年の女子生徒=当時(13)=が生前、
同級生から仲間外れにされたとして「これはいじめ。もう死にたい」と友人に泣きながら相談していたことが5日、学校関係者らへの取材で分かった。自殺の原因にいじめの可能性が浮上した。

関係者によると、女子生徒は親しかったグループで度々無視され、
昨秋ごろから孤立しがちになった。
無料通信アプリのLINE(ライン)上では、
女子生徒が読めないように設定し、「うざい」と書き込まれることもあった。
女子生徒は2月末~3月初旬に「はみられて(仲間外れにされて)しんどい。死にたい」と複数の友人に泣きながら相談。
自殺の数カ月前には、自分のノートに同級生の名前を挙げて「何かしたんかな? 自分はいらん子なんかな? 死ねるもんなら、死にたい」と書いていた。
<<
http://kanasoku.blog82.fc2.com/blog-entry-30252.html









○ブログに残そうと思った趣旨



・いじめられたのは「何か悪いことをした」わけでもないし「いらない子」なわけでも、もちろんない


>>
女子生徒は2月末~3月初旬に「はみられて(仲間外れにされて)しんどい。死にたい」と複数の友人に泣きながら相談。
自殺の数カ月前には、自分のノートに同級生の名前を挙げて「何かしたんかな? 自分はいらん子なんかな? 死ねるもんなら、死にたい」と書いていた。
<<



…仲間はずれにされたのはこの子に何か落ち度があったわけではない。
誰かを仲間はずれにする事で仲間意識を高めると言う手法はもはや現代の学校では当たり前に行われているもので、たまたまこのときは、この子がそういう対象になってしまったのであって、何か、この子に落ち度があったわけではない。


しかし、それゆえに、いじめられた側はたまったもんじゃない。


悪いことをして仲間はずれにされたのであれば、その悪いことを謝るなり許してもらうための行動をすれば言いのだけど、それがわからないから(仲間はずれにしているほうも理由など分かっていない)どんどん頭の中で自分の悪い部分探しが始まってしまって、罪悪感とか自責感がついには彼女を自殺に追いやってしまった。




現代のイジメは「いじめまわし」など捉えたほうがいい。

つまり、「誰かを仲間はずれにする事で結束を高める。その結束のために常に誰かが仲間はずれの対象にされる時代なのだ」と心得ることが大切だと思っていて、それはつまり、
いじめの標的にされることは誰にもで起こりうることだから標的にされたときにきちんとしたサポートならびに助けを求めることを躊躇わないと言うこと。





・いじめる側も「いじめる理由」をわかっていない

現代のいじめにおいて、「自分はなぜいじめられたのか」が明らかになることは殆どないと言ってもいいだろう。
なぜかというと、現代のイジメはほとんどが集団の「気分」によって行われているとしか言いようの無い場合が多く、「なぜ」という理由が本当の意味で明確になる様な性質のものではないからだ。

いじめの空気が始まると、引っ張られるかのように集団全体がイジメに加担する。
その中の一人を捕まえて「なぜいじめるのか」と尋ねても、納得のいくような答えはまず返ってこないだろう。











○現代のいじめについてとその対処法



>>
■いじめ体験を過小評価しない


逃れられない環境で一定期間繰り返された熾烈ないじめによって引き起こされた症候群は、やはり複雑性PTSDと診断されるべき性質を持っていると思う。

もちろん捕虜収容所や家庭などとは異なり、いじめの舞台となる学校は下校すれば「逃れられる」し、いつでも不登校や転校の自由がある、という意味では「逃れられる環境」であるかのようにみえる。

しかし、実際にいじめ被害に遭い続け、人生そのものを棒に振るような症状を発展させた患者たちと接していると、それはやはりさまざまな意味で「逃れられなかった」のだということがわかる。


いじめの被害に遭った人たちは、
「思い出すだけで恐怖」「すでに乗り越えているべきことで、いつまでも引きずるべきではない」「いじめられたということを人に知られると駄目な人間だと思われる」といった感覚を持っていることが少なくない。

また、トラウマについての知識が乏しいと「終わったこと=乗り越えたこと」という誤解をしていることが多い。
逃れられない環境において一定期間続いた対人トラウマが、どれほど骨身にしみる影響を自らに与えたか、気づいていないのだ。
そして、その症状として現われていることすら、「自分が弱い証拠」と考えている。
そしてできるだけ「強く」なりたいので、いじめられた体験を語ることすらしたくないのだ。
いつまでたってもそんなことを言い訳にしてぐずぐずしていると思われたくないからである。








■「なぜいじめられたのか」に対する答え


いじめられた経験のある人は当然のこととして「自分はなぜいじめられたのか」ということを知りたがる。
ある意味では大人になってからも、一生その問いを自分に投げかける。
自分がなぜいじめられたのかがわからなければ、本当の意味でその体験を消化することができないし、「いじめられない自分」に変わることができないと思うからだ。


しかし実際のところ、少なくとも現代のいじめにおいて、「自分はなぜいじめられたのか」が明らかになることは殆どないと言ってもいいだろう。


なぜかというと、現代のイジメはほとんどが集団の「気分」によって行われているとしか言いようの無い場合が多く、「なぜ」という理由が本当の意味で明確になる様な性質のものではないからだ。


いじめの空気が始まると、引っ張られるかのように集団全体がイジメに加担する。

その中の一人を捕まえて「なぜいじめるのか」と尋ねても、納得のいくような答えはまず返ってこないだろう。
「なぜ」がわからないままに、いじめられた体験という「役割の変化」を乗り越えるのは、確かに大変なことである。
自分の体験を位置づけながら前進することができないからだ。
しかし、このような場合「なぜ」への答えは永遠に出ないだろう、と理解することが「なぜ」への答えとなる。
つまり「自分はなぜいじめられたのか」の答えは、「集団の気分がそうだったから」「現代のイジメとはそういうものだから」なのだ。
確かに、みつけはじめれば「背が低い」「髪が癖毛」「吃音がある」「ノリが悪い」「きっとどこかしらに人を不愉快にさせる性質があるはず」など、
いくらでも「いじめられそうなポイント」を見つけることはできるだろう。
でも、そういう人のすべてがいじめられるのか?あるいはそういう人がいたら自分自身はいじめるのか?と考えてみれば答えはノーである。
むしろそうやって「いじめられそうなポイント」探しに入っている、ということそのものが、トラウマ症状としての「自分はどこか足りないと言う感じ」なのだと言えるかもしれない。









■「いじめられない自分を保つ」ことの苦しみ



いじめというのは理不尽な形で行われるもので、多くの場合、自分がなぜいじめられたのかということは大人になっても本当のところは分からないものである。


そんな中、本人が身につけるのは、とにかく自分を整えて、いじめられる隙を作らないようにする、という生き方である。
この「いじめられる隙を作らない」という目的のためには、完ぺき主義的に「ちゃんとした人」になる場合もあれば、危険の兆候を察知すると引きこもる、
という形をとるばあいもある。
いずれにしても、いじめという理不尽な体験をしてしまうと、人間関係のルールがわからなくなるわけであるから、
ルールに沿って必要な対処をするという通常の方法がとれず、とにかくあらゆる危機に備える、というやり方で生きていかざるを得ない。

そのような生き方は、いじめを生き延びてきた本人が自分を守るために身につけた適応スタイルであれ、その状況に
おいては他に選択肢がなかった、ということになる。


しかしもちろん、異常な事態を生き延びるために身に付けた対処法が、より安全で正常な環境に適合するわけではない。

いじめられた人の治療はいじめという体験がどれほどひどいトラウマ体験であるかの共有からはじまる。
そして現在の生きづらさがいじめというトラウマ体験による症状だという事を認識していく。
「自分はいじめられるほどだめな人間なのだ」という認識から、「自分はいじめられた結果トラウマの病になったおり、その症状のために行きづらいし、自分のことをだめだと感じるのだ」
という認識に転じてもらう。

これは大きな前進となる。



いじめという対人トラウマ体験をした人の最も本質的な不信感は、他人ではなく自分自身に向けられているものである。
もちろん自分を苛めた相手や助けてくれなかった他者に対しても不信感は強く持っているのだが、それ以上に
「いじめられるほどだめな人間である自分」「うまく生きられない自分」への不信感が強い。

そんな中、「自分をだめだと感じるのも、トラウマ症状によるものだ」と整理できることは、自分への信頼感を取り戻していくことにつながる。



「自分が完璧にしていなければいじめられる」と、対人関係におけるネガティブな要因に過敏に反応する人に対しては、相手の反応というのは
「こちら側にどれほど非があるか」ということよりも相手側の事情を反映した部分が大きい、ということを理解してもらう。
役に立つ視点は「では相手が多少完璧にできないとして、自分はその相手を苛めるのか」ということである。
患者はほぼ例外なく、「そんなことはしない」と答える。

したがって、自分に多少の非があったとしても「いじめてくる」ということが人間として異常な行動なのだという理解が進んでいく。

そして、「自分が完璧にしていなければ」という発想がどれほど自分を追い詰めてきたか、その考えこそが自分自身をいじめてきたのだ、という構造を理解できると、
違う生き方を模索できるようになってくる。
もちろんこれらのプロセスを身近な人が支えてくれることは計り知れないプラスをもたらす。
こんな治療を積み重ねていくと、唯一の価値観から、より「太い」価値観への成長がみられるようになる。
「いじめられないように自分を整える」という考え方から得られる選択肢は、細い、単一のものであり、常に緊張感を伴うものである。
<<

















○提案

・義務教育の段階で、クラスという単位で子ども達を管理することをやめる

何かの本で読んだのは大学あるいは単位制の高校ではいじめが発生しにくいということ。
簡単に言えば、「クラス(教室)」がいじめの発生の大きな要因なのではないかということ。



「クラスなどという同じ教室内で毎日顔をあわせあっていれば、気に食わない奴は一人は二人必ず出てくるのが人間。
 気に食わないのに同じ空気を吸っていれば、いじめという方法でそのストレスを発散させようとする輩も出てくるだろう」

このクラスという単位で子ども達を強制的に同じ空間に毎日おさえこむことをやめれば、
いじめの発生は少しでも減少させることが出来るのではないかと思う。


実際に、小中といじめを受けてきた人で普通の高校に行ったけど退学してしまったあとに、通信制に通ったら、いじめにあうことなく卒業した人を5人くらい知っている。


もちろん、学業が終われば職場と言う毎日同じ人と顔を合わせる場所に行かなくてはならないし、気に食わない人とでも上手くやっていかなければならないという点で言えば、
通信制を卒業してからと言って、意味が無いと言う人の意見もわからないこともない。


ただ、本人にとって「学校を卒業できた」という成功体験は、計り知れない自信と満足感を得ることができる体験だと思う。
その成功体験が社会に適応していく土台となる可能性を否定するのは悲しすぎるので、どうか、通信制であっても卒業できたことには一定の評価を与えて欲しいと思っている。






○さいごに

学校現場でいじめを受けた子の多くが目指しているのは「いじめられない自分になる」という変化であるが、
残念ながらいじめはどこでも起こるし、誰もが標的になりうる。

そして、標的になる理由もわからないままの場合が殆どだ。


だとすると、「いじめられない自分」を作り上げることの緊張感と苦痛をずっと保って学校生活を送ることよりも、
「いじめられたとしても違う対処(信頼できる友達、大人に相談する。ネットでもいいし、塾の先生でも良い。)ができる自分になる」という変化なのである。
いじめの標的になることはどれだけ完璧に「いじめられない自分」を作り上げたところで完全には避けられないのが現代のいじめ。
だから、準備すべきなのは「いじめられない自分」ではなく「いじめられてしまったときにどう行動どうすべきなのか?信頼できる大人は周りにいるか?いないならネットの世界でも良いから、一人で抱え込まないこと。誰かに自分のおかれている状況を話して、あなたが悪いわけではないと客観的な意見をもらうこと」



どうか、いじめによって「いらない子なんかな」という感覚を覚えて、一人で抱え込んでしまって、命を落とす子が少しでも減って欲しいと祈っています。








※「いじめられる理由」があるとすれば…

しいて理由を求めるとしたら、「不安、恐れ」がいじめを生んでいるのだと思う。
それは、いじめる側の「不安、恐れ」。
つまり、「いじめの対象になることを回避するためにいじめる側に回ることで安心したい」という理由によっていじめは発生し苛められる理由はないけど誰かをいじめる側に居ないといじめられる可能性があるのでそれを避けたい、という不安によっておきているイジメというのはかなりの数あると思っている。


そこからいえる事は、いじめられる側に苛められる理由などないということ。
いじめる側の不安だけがしいて言えばイジメの原因だから。











参考文献:
思春期の意味に向き合う 水島広子 岩崎学術出版社