2014年9月21日日曜日

パニック障害の緊張に向き合う







パニック障害の原因、根本には生来の生き方が大きく関連している。
パニック障害を患う人の多くは大いなる緊張感を常に持ちながら生きる生き方がある






◇持続する緊張がパニック障害の原因




緊張は、誰でもする。
大事な場面の前の日あるいは直前、
パニック発作を起こす人も少なくは無い。

ただ、パニック障害と呼ばれるような状態すなわちパニック発作の頻度が高くなってしまう。
そういう特別に緊張するイベントが無くとも発作がおきてしまうケースには共通点がある。


それは抑圧である。



 大いなる緊張は抑圧によって生まれる。

理性で感情(感覚)にフタをする。
そこにあるものをないものとして扱う。

不安
寂しさ
恐れ
緊張…

こういった、あるもの(感情)をないもの(理性)として扱う。
理性でもって(自分のルールの中で)感じてはいけない感情を無かったことにしてしまう。
それが抑圧だ。

湧き上がってくる感情を理性で必死に押さえ込もうとすることの緊張。
その緊張がパニック発作を起こさせている。









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以下、「心をはなれて、人はよみがえる―カウンセリングの深遠 筑摩書房 高橋 和巳」を一部抜粋



5 パニック障害のパラドックス


■暗いトンネルの発作

「不安」という感情は人が危険を察知するために発達させた、もっとも感度の高い認識である。
これを理性で制限し続けると、パニック障害という病気を引き起こす。



パニック障害という病気は、生活の中の小さな「不安」情報を感じる事を制限、棚上げしてきた結果生じるものである。
たとえて言えば、この世に不安などあろうはずがない、頑張っていれば大丈夫なんだ、人生に心配なんてないんだ、と
自分に言い聞かせて生きてくると、ある日、突然、
「あーっどうしよう、このまま死んでしまったら…」と、それまでたまっていた不安が一気に流れ出してきてパニック発作になるのだ。




■パニック障害の治療の仕方

上野沙苗さんは、二十四歳の大学院生
ある日、通学の電車に乗っている時に、パニック発作を起こした。
その後、しばらくは電車に乗れなかった。




抗不安薬の効果は確実で、多くの場合、発作の頻度は下がり、症状は軽くなる。
薬を飲んで電車に乗る、ということを繰り返していると、
次第に慣れてきて、そのまま発作を忘れていくことも多い。
また、小さな発作がくすぶって長く続くときもある。
いずれにせよ、患者さんにとって抗不安薬は「お守り」である。



認識の拡大という心の治療から考えると、不安は押し殺してはいけないのだ。
制限を続けるのではなく、逆に「不安だ!」と感じること、
「いろいろな不安なことってあるよね。そういうときは嫌だな」と思えることが治療である。
だから、薬で発作を止めるだけではなく、並行して「不安をちゃんと感じる」、「不安について語る」ことが不可欠だ。
その精神療法を行っていくのが根本的な治療である。





■「怖いよ!」と言えなかった頃

沙苗さんは、小さいときからずっと真面目な優等生であった。
大学生の時、初めてパニック発作をおこした。

一時は通学も難しいほどだったが、薬で発作はだいぶ軽くなった。
今は薬を飲みながら通学している。

しかし、発作が完全に消えたわけではない。





「そうですね。
 ところで上田さんはどうしてパニック障害になったのか考えたことがありますか?」

「えっ、…原因があるんですか?」

「…」

「普通はね、ずっと緊張して生きてきて、小さい子どもの頃に「怖いよ!とか、「助けて!」とか言ったことの無い子が、
 大きくなってパニック障害になるんですよ。パニック障害になったのか考えたことがありますか?
 ずっと不安を我慢して緊張していたのが原因といえば、原因ですね。」


沙苗さんの家庭環境について簡単に述べておこう。

家庭は裕福だった。
両親ともに穏やかで、何事についてもきちんとしている家庭だった。

しかし、少しその度が過ぎていたようだ。

家庭の中の緊張はいつも強かった。
母親はどこかいつもピリピリしていた。
その緊張は忙しい夫の仕事のせいであろうか。
祖父母との二世帯住宅が影響していたのか。

両親とも、目立って仲が悪いと言うことはなかったが、
母は父を遠ざけていたようだった。



「ずいぶん前に先生は、私は緊張の強い家庭で育ったようだとおっしゃっていましたね。
 最初は言われて、ぜんぜん意味が分からなかったのですが、いろいろ思い出してきて、そうかなと思えてきました。
 私って誰かに『こわいよー、たすけてー』って言ったこと、多分ないんですよね。」

「そうですね。誰かに、って言うか、小さいときは、普通は一番近くにいるお母さんにでしょうね。
 あなたは言わなかったのかな?たぶん、真面目すぎたのかな? そういう子は言わないからね」

「そう、真面目すぎたんです」と沙苗さんは笑った。

「この間、母と父が、祖母の介護のことで話し合っていたんです。
 けんかしているわけじゃないんですけど、母はすごくピリピリしていて、父は不機嫌そうでした。
 私はそれを聞いていて、フーッとめまいがして不安定な感覚になってしまいました。
 すごく嫌な気持ちになって『ああ、この感覚って小さいときからあったな』と思ったんです。
 私の我慢してきたことってこれだったのかと…、
 家の中の緊張がわかりました」




家の中が緊張していれば子どもは遠慮して不安を口にしないものだ。

両親の不仲を子どもは敏感に感じ取り不安に陥る。
しかし、それは口にはしない。

人が「怖いよ!」と言えるのはじつは安心したときである。

怖い目に遭ったときは、夢中で逃げる、緊張する、対処する。
そこから逃れて後、ほっとして「ああ、怖かった!」と言える。

家庭の中がずっと緊張していれば、子どもはずっと「怖いよ!」とはいえない。

成長して、少し緊張が緩んだ頃に「怖かった」と言えるのだが、
その言葉を知らない、言い方を知らないので、いきなりパニック発作が出る。
そして、「怖いよー」と言えると治っていく。

治療の中で恐怖を味わい、それが消えていくことを体験する。
不安とその消失の経過を何度か繰り返して体験すると、不安なことってあるな、
でも、そんなに長くは続かないかなと思えて、
不安情報の制限は解除される。




■不安を認めると不安が消える

不安という感情は
危険に対する敏感な予知情報である。
その人の人生でパニック障害た起こる時期にもまた意味がある。

不安発作は
「もう、いままでの生き方のままで緊張し続けてはいきていけない。
 そろそろ緊張を和らげようよ。生き方を変えようよ」と言うサインである

このサインが出たということは
危機が少し去り、ちょっと安堵したときである。
発作発現の意味を考えずに
ただその症状を消そうとするだけでは
制限を続ける逆向きの治療になってしまう。

不安を抑えるのではなく「不安はあるんだ」と認識できると不安は小さくなる。
正確に認識できると、認識の制限が解除される。
認識の拡大が心を楽にする。
そして、不安を制限する小さい心からはなれる。





ある時、彼女はこういった。
「ちょっと後ろめたいけど、もう両親のことに首をつっこむのをやめた。
 楽になりました。」
小さい頃から両親の間に入って夫婦仲をとりなしてきた自分の役割を終わりにしたのである。

心、身体を問わず「症状」の発現には意味がある。
お腹が痛いときに原因を調べずに
鎮痛剤を飲んでしまったら危険だ。
痛みの原因はガンなのか、胃炎なのか、必ず理由があるはずだからだ。

痛みは身体が発する、とても鋭敏で大切な情報である。
抑圧したり、制限してはならない。

同じように精神科の心の症状にも意味がある。

不安には不安の意味があり、
鬱症状にはその原因がある。

身体の症状はどこかで機能不全が起こっているという
警告信号であり、心の症状は制限された認識が限界を知らせている警告信号である。
その意味を正確に読み取り、対処できると
身体の機能は正常に戻り心は広がる。



---------------------------抜粋修了。






 

■感情を出しても良い雰囲気があったか



家の雰囲気が悪いのは子供せいじゃない。


両親の仲が不安定なことは子どもの心に強烈なダメージを負わせる。
ケンカなどの表立った仲の悪さだけではなく、
ビジネスライクな間柄が見え隠れすると、それだけで混乱し動揺してしまう。

テレビで見る、周りにいる家族にある温かさのようなものが家庭に無い。
けんかはしないがお互いがお互いの人生に干渉しないような関係。
夫婦は所詮他人であるが、まさに他人同士が子どもには判らない共通の目的を持って同じ家に同居している感じ。

そのことを子供がどうこうできるわけもないし責任も無い。


父親が母親を愛せないのは子供が悪い子だからではない。
母親が父親を愛せないのは子供が悪い子宝ではない。
子供が良い子になったからといって、両親がお互いを愛し合える能力が上がるということは、
残念ながら、無い。
もちろん、そういうファンタジーが子どもの心を守れる時期もある。
しかしそれはやがては害になっていく。



両親が子どもに愛情を注げないのは
子供が愛するに値しないから、ではない。
ダメな子だから愛されない、のではない。

ただ単に、親側に愛する能力が無かったのだ。
しかし、そのことを子どもはわからない。
大人はそれぞれに事情を抱えて生きている、など、子どもにはわからない。
周りの人と同じように、両親は子どもを愛すものだと思ってしまう。
しかしそれが自分だけには与えられない。
なぜなのか。

そういうことも緊張を生む。

両親あるいは家族全体を取り持てない無力感。
緊張状態をどうにか解消しようとする緊張。
安らげる場所であるはずの家は不安の種。


広い意味で両親側に子どもを育てる能力が無いだけなのに、子ども側い欠陥があると思い込まされてしまう事例は無数に隠されているのではないだろうか。



そして、家の中が緊張していれば、子どもは自分の訴えを行わない。

寂しさ
不安
今日、嫌だったこと
褒めてほしいこと
悔しかったこと…

これらを言い出せる雰囲気かどうかは、子どもにも十分に分かる。
そしていつしか、大人側の技量が無いだけの話なのに、子どもは自分の責任にしてしまう。

「私の訴え(感情)など取るに足らないことだ。
 私の訴えなど誰も聴いてくれない。」

感情、とくにマイナスの感情は誰かに聞いてもらい共感してもらってはじめて消化できる。
大人でも誰かに聞いて貰わなければラクになれないときがある。
それくらいに不の感情はダメージ力が高い。

それを子どもの心で、子ども達は消化不良のまま抱えていくことになる。
そして、両親との関係の中で、自分の事を伝えること、あるいは伝えたことで、良いことが起こったためしがないと、何も言わなくなる。
どういう風に伝えれば良いのかわからなくなる。

そうしている内に頭(理性)が心を守ろうとする。
マイナス感情などないことにしてあげよう、と理性が助け舟を出す。
溜まっていくマイナス感情に対応するために。

マイナス感情が存在してしまったら、それは消化不良でドンドン溜まってしまう。
溜まっていくことを防げないのであれば、もう入り口で止めちゃえ、と。

マイナス感情などどこにも存在しない。
あるいは、奥底に眠らせておこう、と。

この助け舟は抜群の効果を発揮する。
ただその理性の副作用が大いなる緊張。
ちょっとでもマイナス感情を感じてしまいそうになったら真っ先に常に出動しなければならない。

そうした常に緊張をすることを生き方のベースに据えることで自分を守ってきた。
その限界が近づいていることを教えてくれるのがパニック障害、なのかもしれない。






 

 

■感じないようにする努力が緊張の大元だった


誰でも緊張するときはあるだろう。
大事なプレゼン、試合、挨拶、あるいはその前日のベッド。

ただ、パニック発作につながる緊張は24時間続いている。
その持続する緊張はその人の行き方の根底をなす。


根底を無し、あるときは、その緊張が自分を支え守ってきた。
必要な緊張だった。
自分の感情にフタをする。
自分の感情を無視して必死に理性を働かせ、平気なフリをする。

そういう生き方が必要な時期もあった。
何も間違っていなかった。


パニック発作、パニック障害は、その緊張を自分の生きるルールにしてきたことを
ストップする時期なのだと教えてくれるサイン。

そこにある感情。
底に沈めてきた感覚。

それをあるものとして扱っていくことが、治療になる。

緊張をしないことがゴールじゃない。
不安を無くすことがゴールじゃない。

それらが、自分の中に存在しているのだと認める。
それらを感じても良いのだと自分を許す。

そのことがパニック障害の心理的治療の重要な柱。

そして、感情を大事にすること。
それは自分を大事にするということ。

感情的になれということではない。
わがままに感情をぶちまけろということではない。

表に出さずとも、内側にわいてくる感情はしっかり湧き出させてあげること。
そこにある感情の存在を否定せず認めてあげる。


それが感情を大事にするということ。
自分を大事にするということ。















 

■パニック障害と副腎疲労


パニック障害を身体面から説明しようとすれば「ホルモン」と「血糖値」というワードがあがる。
緊張や不安、恐れはアドレナリンとノルアドレナリンの分泌を促す。



そして、アドレナリンとノルアドレナリンの過剰分泌は副腎疲労という病態を生み出す可能性もある。


甘いものが常に手放せない
アルコールが必要
便秘
月経前症候群
起床時に強烈な疲労感
不眠

このような症状がある場合には、パニック障害がもっと進んだ副腎疲労という病態の治療も必要になってくるかもしれない。





















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以下、「対人関係療法で治す 社交不安障害 自分の中の「社会恐怖」とどう向き合うか 水島広子 創元社」より一部抜粋



■不安反応



恐怖する状況に直面すると
社交不安障害の人には「不安反応」と呼ばれる反応が起こります。

まず、主観的な不安を感じます。
その焦点は…

①他人にじろじろみられるのではないか(観察されたり、さらしものになったりするのではないか)
②恥をかいたり侮辱されたりする結果になるのではないか
ということです。

自分が何か馬鹿なことを行ったり、うまく離せなくなってしまったり、固まってしまったり
大失敗をして評判を損ねたりするのではないかと想像することもあります。

つまり、社交不安障害の人の不安の本質を簡単に言うと
”人からのネガティブな評価を恐れる”ということになります。

「人から批判されるのではないか」と明確に自覚していることもあれば
単にあいまいな不安として感じていることも少なくありません。

社交不安障害の人は一般に「自意識過剰」などと言われるものですが
ネガティブな評価という面でのみ敏感な「自意識」を持っていると言えます。

そして「自意識過剰」と言われることもひとつのネガティブな評価ですから、
「自意識過剰」と言われないように、と自意識過剰になる…という悪循環に陥っていきます。

主観的な不安のほかに、身体症状が起こることも多いです。
たとえば、発汗、ふるえ、胃腸の不快感、下痢、筋肉の緊張、赤面、
ほてり、足の冷感などです。

身体症状の著しい例としては、先述したパニック発作
(動悸や生き苦しさなどが起こり、このまま頭がおかしくなるのではないか、
 本当に死ぬのではないかと思うような発作)が起こる人もいます。

パニック発作だけではなく、
身体症状は全般に、その状況における不安を増すことが多いです。

「相手とのやり取りのなかで自分が恥ずかしいことをしてしまうのではないか。
 その結果とてい相手からネガティブな評価を受けるのではないか」という「本来の」不安以上に
「不安反応としての身体症状が他人に気づかれるのではないか。

その結果として相手からネガティブな評価を受けるのではないか」という不安に焦点が当たることになります。

何と言っても、身体症状は目に見えるものですし
基本的には自分でコントロールすることではありません。

ですから、社交不安障害の人が身体症状をとても気にするのも当然の事であると言えます。
そして、一般に、不安反応を気にすればするほど、
不安が強まり、不安反応そのものもひどくなる、という悪循環が成立します。

身体症状は、不安によって自律神経系のバランスが変わることで起こります。
簡単に言えば、その状況を「危険」と認識したときに生物としての人間に起こる反応に過ぎず
本来はその「危険」から逃れるために身体の機能を集中させるシフトなのです。

身体症状そのものに病的な意味があるわけではありません。
ポイントは、その状況を「危険」と認識した、というところにあります。

わかりやすくいうと
「危険」に対する不安反応そのものは適切だけれども、
「危険」のセンサー(感知器)が少しずれてしまっている、という感じなのです。
本当は危険ではない状況なのに「危険」というセンサーが働いてしまって、
身体が「危険対応モード」になってしまうのです。

例えて言えば、キッチンの火災報知機の調整がずれてしまって、ちょっと魚を焼いただけなのに
サイレンが鳴るというような状況です。

このときの修理方法としては
サイレンがならないようにするのではなく、
センサーを調整するはずです。
本当の火事の時にサイレンがならないと困るからです。

社交不安障害も同じことであり、
対人状況を「危険」と感じるセンサーを調整することが適切な対応になります。
つまり、本当は危険ではない状況に危険を感じなくなるにつれて
だんたんとおさまってくるのです。

サイレン(不安反応)が修理を必要としているわけではない
と考えると分かりやすいと思います。
なお、不安反応、特に身体症状はその状況を寄り危険なものに感じさせることが知られてます。

たとえば、人前で話そうとすると頭が真っ白になる、というような症状を持つ人は
「だから人前で話すことは恐ろしい」と思うのです。
でも、キッチンの火災報知機にたとえてみれば
魚を焼いたらサイレンが鳴った、「だから今起こっていることは火事なのだ」
と思っているのと同じ事になります。
繰り返しになりますが調整するべきはセンサーの方なのです。
人前で話すことの「危険度」を実際に試してみながら検討していけばよいのです。

ちなみに、なぜ頭がまっしるになるのかと言えば、恐らく、
強すぎる不安の感情から心身を守るためではないかと思います。
その状況に踏みとどまっているとストレスが強すぎるようなときに
よく頭は「真っ白になります」





■不安を感じなくなること、が目標ではない



社会不安障害の人は
「不安さえ感じなくなれば、何でも出来るのに」
と思っていることがあり、治療においても
「とにかく不安をなくして欲しい」と求めることがあります。

対人関係療法においては少なくとも
「不安させ感じなければ何でも出来るのに」ではなく
「ある程度の不安を感じながらも」何かをすれば、
それが結果として不安を軽くすることになる、ということです。
そうは言っても不安が強くなりすぎて自分が壊れてしまうのではないか
と心配かもしれません。

不安反応、なかでも強い身体症状は大変厄介なものですが
短期的にどれほど強い不安を感じようと、
そしてどれほど著しい不安反応が起ころうと、
それは深刻な結果に繋がるわけではない、ということを知っておくのは重要です。

たとえば、パニック発作で実際に命を失った人はいません。
また、目まいを感じ、気を失うのではないか、と思っても、実際に気を失ってしまう人は
めったに居ないのです。

万が一、気を失ったとしても、その後に起こることは想像していたこと
(こんなところで気を失ってしまうなんて、なんて恥ずかしい、気の小さいヤツなのだと思われる、など)
とは全く異なり、必ずしも破滅的な結果に繋がるわけではないのです。

(不安が強まって気を失ったと解釈する人はあまりおらず、体調が悪かったのだろうと気遣ってもらう程度でしょう)


身体症状そのものは危機にひんしたときの自律神経の反応と言うふうに考えると理解しやすいです。

「この状況は危険だ」というセンサーが作動すると自動的に出てくる反応なのです。
治療を通して調整していくべきものはセンサーのほうです。
そして、危険を感知したときに自動的に出てくる反応のほうは
本来は自分を守るために備わっているものであり
自分に害を与えるためのものではない、ということを
常に頭に置いておくことも安心に繋がるでしょう。


----------------抜粋終了

2014年9月20日土曜日

愛情を恐れてしまう理由




◇「愛情をあきらめる」という我慢が緊張を生む




愛情を向けられることに嫌悪感を感じる。
そこには悲しい過去がある。
両親との関係だ。
両親からの愛情をあきらめ、愛情を諦めて生きて行こうと決心したときから、ずっと愛情が怖くなる。

そして、愛情を締め出そうとする規範、努力が強烈な緊張を生み出す。
その緊張は24時間365日、解ける事は無い。

「二度と愛情を受け取るまい」と自分の心の鍵を頑なに閉め続けようとする我慢がある。










 

■愛情を期待しないという緊張


愛情はあきらめた。
あきらめるという緊張を自分に強いた。

そこをベースに生きる。

自分は愛情を受け取るにはふさわしくない存在だと定義してしまう。
すると、愛情を向けられると怖くなる。
一度、それを受け取ってしまったら生き方が変わってしまうからだ。


もう戻れない。
我慢をずっとしてきた自分には戻れない。


愛情が枯渇していると感じること。
それよりも、愛情を絶対に受け入れないぞ、という緊張を自分に強いていることによるダメージが大きい。

愛を伝えること、自分を伝えることの拒絶の予想。
自分の訴え、気持ちを共感してもらえないと言うあきらめ。


 





■両親側に愛する能力が無い≠愛されない存在


それは大人側(両親)の問題であって本人側の問題ではない。
本人が愛されない存在ということではない。

たしかに親は愛情を注がなかった。注げなかった。
それとイコールで愛されない存在と結語するのは正しくない。

両親側に子どもを愛する能力、
あるいは子供が欲しい形の愛情を与える能力がなかった

ただそれだけなのだ。

それを「自分が駄目な人間だから愛情を与えてもらえないんだ」と子どもは思ってしまう。
「自分が悪い」と思っている間は、自分の努力によって両親の愛情を引き出せる可能性が数%でも残るからだ。
それは、大きな間違いだ。







■心理的虐待の意味


愛情を向けられることが恐いままに自分が親になってしまった場合、連鎖が起こってしまう。
親になったときに赤ちゃんを恐怖に感じてしまうのだ。
最悪虐待に。
どういうことか。
赤ちゃんは愛情そのものだ。
動く愛情。

赤ちゃんは完璧に愛情を求め、愛情を与える。
その圧倒的に完璧な愛情を与えられることに恐怖を感じて赤ちゃんを遠ざけてしまう。
脅威を追い払うようになりふりかまわない行動に出てしまう場合もある。



 




■衣食住だけでは子どもの心は満たされない


療育には二つの側面がある。
物質と精神だ。
物質は物資。衣食住、教育。
精神は気持のコミュニケーション。

子どもが両親から最も望んでいるものは無条件の肯定的関心


わかって欲しい気持ち、してほしかったリアクションがことごとく得られない。
そのことが、やがて「私の話、私の感情など大事にされるものではないんだ」と自分を大切にしようとする心持ちが育たないまま、大人へと向かってしまう。



 



 

■心理的交流が無い≒心理的虐待


心理的交流の皆無。
これが決定的に心の成長を阻害する要因になる。


気持に共感してもらえなかった。
話を聴いてくれない。
忙しそうにしていて、自分に時間を遣ってもらえなった…

そういう経験をすると人は、
「私は大切にされない人間なんだ。私は大切にされるべき価値が無い人間なんだ」
親からの理解、共感、愛情をあきらめるようになる。
そのあきらめが、緊張を生む。


 

■愛情の大きさに恐怖は比例していく


向けられる愛情が大きくなること。
それは脅威。

愛情が怖い。

もう一生、愛情を受け取らないと自分を律して生きてきた。
両親からの愛情を期待しないことで自分を保ってきた。
その生き方を、他の人からの愛情が揺るがす。
愛情を締め出すことを人生の大前提に据え自分を律し、
常に愛情の受け取り口を硬く硬く閉じようと努力してきた。
長年、採用してきた、そういう生き方を壊そうとする人がいる。

愛情を与えようとする人の存在だ。

我慢を必死に採用してきた生き方にタガが外れてしまったら、
どうやって生きていけば良いのか分からなくなる。

本当は、欲しくて欲しくて溜まらないもの。
必死で抑圧してきた。
自分の中にあるそういう欲望が浮き上がらないよう、常に押し返してきた。
けれど、感覚は本当は知っている。
脳はそれを拒絶しようとするが、感覚はそれを求める。









■無いことよりも締め出そうとする緊張が辛くする


愛情が枯渇していること。
愛情で満たされていない自分。
たしかに辛いことだ。
幸せをもっている人たちが羨ましくて憎い。

けれど、ね。

本当に自分にダメージを与えているのは愛情が枯渇していることではない。
愛情を締め出そうと自分を徹底的に緊張させ1秒1秒生きていること。

愛情を締め出そうとするエネルギーが身体を疲弊させ、心をボロボロにしていく。
両親は愛情を与えてくれなかったかもしれない。
だけど、だからといって、愛情を諦め続ける必要はない。
なぜなら、他の誰かは貴方を愛してくれるのだから。

愛する能力がある人は、あなたを愛したいんだ。

そして、愛情を受け取ることは、愛情を与えることにもなる。
もう、愛情を諦めなくていいんだよ。













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以下、「消えたい: 虐待された人の生き方から知る心の幸せ 高橋 和巳 (著) 筑摩書房」より一部抜粋。





■子の気持が見えなかった母親



心理的虐待は子どもの心の中に奇妙な、矛盾した母親像を作り出す。
彼女は、いつも怖い母親だったと振り返る一方で、
「食事もお弁当も作ってくれた」「叱られたことはなかった」、
だから母親は優しい人だった、と言う。
母親は怖いという冷たい距離感と、母親は優しいという思いとが同居する。
心理的虐待を続ける母親が、子どもに優しいはずはない。
叱らなかったのは、子供に無関心だっただけだろう。
しかし、放っておかれたことを「優しかった」と被虐待児は翻訳して理解する。
食事を作ってくれたのは、家族の食事と一緒だったという理由だけだろう。
しかし、彼女はそこに子への愛情を読み込む。






「先日、久しぶりに実家に帰りました。 
 母の行動を見ていました。
 私が持っていたイメージの母親像と『私の母親をしていたあの人』とか、はっきり区別できるようになりました。」









(v)心理的ネグレクト
心理的ネグレクトとは、親が子どもとの間に愛着感形を作れず、その結果、子の心理的発達が阻害されることである。
つまり、愛着関係の不成立=心理的ネグレクトである。



心理的ネグレクトだけを見ると、具体的には、子どもに声をかけない、子供が甘える気持ちに気づかない、
子供が落ち込んでいたり喜んでいたりしていても無関心である、
子供が悩みを相談しても内容をくみとれない、子供が泣いていてもいたわる言葉をかけられない、
子供が喜んでいても一緒に喜べない、などである。

十分な食事を与えないのがネグレクト。
一方、食事を与えても「美味しいかい?」とか「お腹いっぱいになったかい?」とか聞こうともせず、餌を与えるかのように食事を出して、
子どもの気持ちに無関心なのが心理的ネグレクトである。






「小さい頃、学校で嫌なことがあって報告したことがある。
 でも、母からは一度も『大変だったね』と言われたことがない。
 『あら、そうだったの』と、いつも見放された言い方だった。
 無関心だったのだ。
 それが怖くて何も言わなかったし、学校で嫌なことが起こるのは私が悪いからだと思うようになった。
 私はどんどんダメな子になっていた。」
「期待してきた母親像と『あの人』との違い、その混乱がはっきり区別できた。
 整理できたので、もう求めるものがない。 
 執着していたもの、いつか手に入るかもしれないと思っていたものを、もう求めなくていいと思ったら、力が抜けてしまいました。」


実は、その激しい拒絶は、自分のがまんが途切れてしまう恐怖から発する。
虐待を受けてきた子どもは、愛情と優しさを期待しても、いつも親に裏切られてきた。
それでも、子どもは期待し続ける。
「親が自分に優しくないのは、何か理由があるはずだ」、
「暴力を振るうのにも訳があるはずだ」
「自分がもっといい子になれば、きっと親は優しくしてくれる」
「ちゃんという事を聞けば、暴力は無くなる」
子どもはそう自分に言い聞かせ、期待をつなぎ、今度こそはと思ってがんばる。
しかし、結局はいつも裏切られた。
その厳しい経験の中から、やがて、子は自分には温かい愛情を受ける権利なんてない、そんな期待をする自分の方がおかしいと思うようになり、
愛情を期待しないで生きて行こうと決心する。
その決心は何度も揺らぐが、そのたびに彼らは自分に言い聞かせる。
「期待する自分がだらしない、そんな自分は馬鹿だ」
そうして彼は、ぎりぎり自分の存在と尊厳を保って生きていく。
そんな彼らが、ある時、親から救い出されて養護施設に保護されたとする。
そこで支援者が、温かい愛情とごはんを与えるとしたら、彼らはどう思うだろうか?
「どうして僕にそんなことをするの?
 僕はそんなものはないと思って生きてきたんだ。
 なぜそんなことをして僕をからかうの?
 せっかくここまでがまんしてきたのに、余計なことしないで!ひどいよ!」
そうやって、差し出されたご飯を払いのける。
愛情を期待してはいけないのだ。
がまんを続けないと生きていけない。
がまんを止めるのは怖い。







「生まれてからずっとがまんだけをいてきたのに、今さら優しくされても、怒りしか沸いてこなかった…。
 あの怒りはお姉さんへの怒りだったのか。
 違う、お姉さんは大好きだった。
 そうじゃなくて、甘い誘いに乗ってしまった自分への怒りだったのだと思う。
 お姉さんには悪かった。
 あれから30年経つけど、今も同じかもしれない。
 大人だから人の好意をあからさまに拒絶するようなことはしないけど、遠慮してしまうし、
 期待すると怖くなる。
 いつもがまんしてきた。
 このがまんがなくなるまで耐えようと生きてきた。
 それが生きる理由だった。
 がまんのない世界を生きたことがないから、
 いきるとしたら自分でがまんを作らないといけない。
 がまんのない世界は怖い。
 受け入れられない。
 幸せになってもいいんだ、と自分に言い聞かせるが、何度言っても、
 底知れない怖さが襲ってくる。
 がまんが途切れたら殺されるのではないかと怖くなるし、甘えようとしたら、
 黒い雲のような罪の意識が襲ってきて自分を責める。」






しかし、普通の世界では、ほどよい緊張と我慢は、愛情によって報われる。
一方、まったくその圏外で一人で生きてきた彼は、自分で緊張を作り出して心を支えた。
もともと愛情のない世界で、愛情を期待しないという緊張である。
それは人つながっているという安心は与えてくれない。
唯一、愛情がないという恐怖を抑えてくれる。





(5)子どもから教えてもらう愛情

これから紹介するのは、虐待を受けて育った女性が子どもを産んで回復する話である。
被虐待者は人から愛されたい気持ちと、人を愛したい気持ちの両方にブレーキをかけて、人にも自分にも愛情を見せずに生きてきた。
だから、一度ブレーキを外せば、押しとどめられていた愛情は一気に流れて、新しい生き方が始まる。
そのきっかけを与えるのは人との出会いであるが、もっとも強い出会いの力を持っているのは赤ちゃんである。


■「子供がいらなくなった」と訴える母親






■子どもに「ママ」と呼ばせることができない理由



実は、自分をママと言えない被虐ママによく出会う。





彼女は、小さい頃からずっと母親の愛情を期待しながら、結局、それを与えてもらえなかった。
期待が裏切られるつづけると、次第に愛情を拒否するようになり、無意識のうちに愛情を向けられることに恐怖を感じるようになる。







■母親が子どもの愛情を受け入れる






34年間、かたくなに守っていた抑圧が壊れた瞬間である。
愛情を期待してはいけない、と厳しく自分に言い聞かせてきた戒律をゆうちゃんの笑顔が壊した。
ゆうちゃんはもちろん生まれた時から、無邪気で素直な愛情を野中さんに向けていた。
しかし、それを彼女は無意識に拒絶してきた。
愛を受け取らずに、義務を果たす、それだけが彼女の子育てだった。
おっぱいをあげる、げっぷを出してあげる、
そうするとゆうちゃんが気持よくなる。
そのゆうちゃんの反応を彼女は感じていた。
しかし、感じないようにしてきた。
泣いているゆうちゃんのおしめを交換する。
そうするとゆうちゃんが満足する。
それを彼女は、自分のことのように気持ちよく感じていただろう。
しかし、それは感じてはいけないことだった。
ゆうちゃんに対する自分の反応を、彼女はすべて棚上げにしてきた。
ゆうちゃんに愛情を感じてはいけなかった。



次第に、彼女は愛情を恐れなくなった。
素直にゆうちゃんの愛情を感じ、ゆうちゃんの愛情を受け入れ、
ゆうちゃんに愛情を与え、そして自分に愛情を与えた。




■信じようとしてきた「人とのつながり」はファンタジーだった






彼が期待してきたものは、子どもならば誰でもが母親に期待するもの、大人であっても人が一番欲しいもの、つまり、人とのつながり、安心と愛情と称賛である。
それを期待して彼は生きてきた。
父親から叩かれても、母親に分かってもらえなくても、
それは何か理由があるはずだから、あるいは自分が悪いのだから、いい子になれば、
と信じて期待をつなぎ、裏切られてもまた次の期待をつないで生きてきた。
その期待は、実現できないままにいつしかファンタジー(空想)になり、
遠い雲の上の母のイメージになった。
彼の心のファンタジーの中でかろうじて人とつながっていた。
あるいは、つながっていると信じていた。
それが彼の人生を支えていた。
ある日、ファンタジーが崩壊した。
何もなかったのだとわかった。





■再び「人とのつながり」の中へ戻る

「母とのつながり」、愛着関係を信じようとしてきたファンタジーが崩壊した。
ないものを「ある」と思って生きてきた。
でも「ない」と分かったら、同時に義務感が消え、自分を責めなくなった。
彼を縛ってきた規範がその力を失ったのだ。





■「存在そのものの悩み」は「普通の」人と共通している




「クリニックに通い始めた頃、私が初めて虐待の話をしたときに、先生に『思い込みが解ける』と言われて変化が始まった。
 しばらく前には『解決はあなたの中にある』と言われて、その言葉を繰り返していて、こうなった。」







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■されたことの傷、されなかったことの傷


実は私も両親に育児放棄も暴力もアルコール依存症も離婚も、そういうACに典型的な体験が無かったので、自分がACだと気づくのに苦労しましたが、
何かをされたことでACになる場合もあるけど何かをされなかったことでAC傾向が出る場合があって、私はそっちでした。