2012年7月21日土曜日

「後悔している」の素晴らしさについて



 

 


◇「あのとき、ああしておけば…」と思える幸せさ











■「後悔をする」の大前提にあるもの

人生の重要な選択をするときに、
AとBとCの道があった。
それでAを選んだ。

優しくて良い夫になりそうなA君と結婚したけれど、
お金持ちで安定を与えてくれそうだったBさんを選んでいたら?
一緒に居ると楽しい超絶イケメンのCさんとあのまま付き合っていてたら?


これが後悔ってこと。

「後悔をする」の前提には
「自分の意思で選択した」という能動性が必須のはず。




■選択権(意思)のなかったところに後悔が生じるわけがない

後悔ってのは自分の意思で自分の進む道を決めてきた人、あるいは
選択肢の中から自分の意思で決めることが出来た人生を送って来たの人の特権。

選択権がなかった人間が後悔などできるわけがない。
後悔などあるわけがない。

だから振り返ってみて、「あそこは、あっちを選んでおけば…」
っていう後悔を持てる(持っている)人生は素晴らしい。

 

■後悔=幸せ

もしも「後悔していることがある自分」を
カワイソウだと思っているなら、それは、なんてオメデタイ思い違いなのだろう。
「後悔している」っていうのは「自分の意思を反映させることができた経験」なのであって、
プラスに捉えることはあっても、忘れたい過去なんかでは、あるはずがないはずで。




病気や自然災害に抗えきれなかった人たちに
後悔なんかあったものじゃないでしょう。

もしも、後悔を持つことが許されない人生にあるものあるとすれば、
何か(運命的なもの)に対する「恨み・憎しみ」が存在するだけで。
選択権(自分の意思)を働かせることができない側の確率に
自分が当たったことに対する何かへの怒り、それだけだろう。

だとすると、後悔を持てる人生は、幸せなんじゃないかしら。


2012年7月1日日曜日

どこに向かっているの?



>>
曇り空、泣くな
まだ、ここは、通過点で

<<
(大塚愛さんの曲;題名忘れた)










○今日のベジレディオの小話の感想


■この先、どうするの??

日本では外国人旅行者に
「どこから来たんですか?」
と尋ねる。

アメリカでは外国人旅行者に
「どこに向かっているの?」
と尋ねるらしい。







この話を聞いて、日本人(僕)は
確かに、どこから来た(相手の過去から)という情報から
相手を知ろうとしているなぁって思った。

相手の行動の動機を過去から聞き出そうとするのは間違ってはいないのだろうけれども
もしかしたら、今居る場所は「通過点」であって、
「これからどこに行きたいか?(どうしたいか?)」ということに関心を持っていくほうが
相手との距離が縮まるかもしれない。


それは、もしかしたら、日本という「孤島」であるのに対して
アメリカという「連なった大陸」であるという風土の差も
寄与しているのかもしれない。
日本には「日本に旅行に来ている」という”閉じた”感じがあるけれども
雄大な大陸で生きていれば、その場所は「通過点」であると想像しやすいのかもしれない・





■ここ(現状)は通過点


今ある場所は「通過点なんだ」…って、
なんだかかっこいいけれども、
そういうふうに思っていなきゃ、やってらんない事ばっかりだよ、ここまで。

ただ、ちょっとうまくいかない状況も
行きたい場所へ行くための通過点なんだと思うしかないって時もある。

そうしたときに、そういう人たちに、あるいは自分自身に
かけるべき言葉は
「どうして、ここにいるの?」ではなく
「これから、どこに行きたいの?」…なのかもしれない。

歩みを阻む最も危険な自問自答は
「なんで、こんなところで、こんなふうになったのだろう?」
という類のものであることは実体験からも明々白々なのである。