2014年8月31日日曜日

親を「あの人」と呼ぶ人たちの親子関係



松本人志認証済みアカウント
‏@matsu_bouzu   親父が死んだ。。。
オレは悲しまない。
あの人とはいろいろあったからな。
葬式で帰省。あの人と暮らした尼崎を少し歩いた。あの人と子供の頃行った太陽の塔を見に行った。
あの人と食べたチキンライスを食べたらさすがにいろんな感情が押し寄せて来やがった。。。
親父。さいなら。
13:16 - 2014年8月31日

https://twitter.com/matsu_bouzu/status/505932216543629312







 

■「両親をあの人と呼ぶ」≒親子間での虐待



親を「あの人」と呼ぶ人は、その相手から虐待を受けている。
あるいは受けていた。
はっきりと虐待と理解できるものもある。
心が全く通じ合わなかったと言うレベルでの虐待を受けきた場合もある。
いやむしろ、虐待を受けていたことに気づかないからこそ「あの人」と呼び続けているのかもしれない。


いずれにせよ、愛着形成がうまくいかなかった親子関係の非常に分かりやすいシグナル。











「今は人からお母さんをあの人って言うのを失礼だって言われてしまい、気を付けてますが、
 母とか父とか(元々そういった概念がないですが)あの人って呼んでしまう部分なんか、これ私だけじゃないんだって、何だか安堵と言うかなんとも表しがたい気持ちがぐっと心の底から出てきて、泣いてしまいました」








「心理的ネグレクトだけを見ると、具体的には、子どもに声をかけない、子供が甘える気持ちに気づかない、
 子供が落ち込んでいたり喜んでいたりしていても無関心である、
 子供が悩みを相談しても内容をくみとれない、子供が泣いていてもいたわる言葉をかけられない、
 子供が喜んでいても一緒に喜べない、などである。
 …
 十分な食事を与えないのがネグレクト。
 一方、食事を与えても「美味しいかい?」とか「お腹いっぱいになったかい?」とか聞こうともせず、
   餌を与えるかのように食事を出して、
 子どもの気持ちに無関心なのが心理的ネグレクトである。」






 「この間、お葬式が滞りなく終わりまして。オヤジが完全に焼き上がりましたので」とジョークを交えて語った。スタジオの何とも言えぬ雰囲気に「(共演者に)どうしていいか分からないでしょ。香典いただいていいですか」と、あえて笑いを誘った。

  父の容態が悪く、例年の北海道旅行をやめ、大阪旅行に変更。そうすると「初日がお葬式になった」という。

  「そんなにオヤジとは折り合いがよくなかったんで。最終的には僕のこと、1回も褒めてくれなかったんで。オヤジが死んでも別にいいかなと思っていたんですけど、思ったより(グッと)来やがるな」と父との別れを語った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140831-00000079-spnannex-ent






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母親をママと言えない 
不思議なことに、共通して実母を「あの人」と呼ぶ。←思わず苦笑しました
何故そうなったか

社会的に使われている「ママ」との差異、
被虐児は意味のちがいに混乱するから。

幼稚園で転んで泣いてしまった。
そんな時に先生が慰める。
 「大丈夫よ、もうすぐ、ほら、ママが迎えに来るよ」

それはあなたが一番大好きで、
一番安心できるままが来るから痛くないよ、怖くないよ、という合意

それが、社会で共通に使う日本語の「ママ」と言う意味である

 そんな言葉で慰められた時には、被虐児は安心でなく、恐怖を感じる

先生が「ママ」と呼ぶ「あの人に」見られたら・・・
それからは「ママ」と言う言葉は自分の家のママではないことを知り
「あの人」となる
共通認識のものである、そういう中で育てばそれが絶対で揺らがない
他にも世界があるなんて思いもよらないから
だけど・・・どうやら、異邦人たちは世間とは違うらしいと気づく

http://blogs.yahoo.co.jp/okaerinasai_umarerumaeni/12658005.html







http://honto.jp/netstore/pd-book_26097151.html



http://www.amazon.co.jp/%E6%B6%88%E3%81%88%E3%81%9F%E3%81%84-%E8%99%90%E5%BE%85%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%94%9F%E3%81%8D%E6%96%B9%E3%81%8B%E3%82%89%E7%9F%A5%E3%82%8B%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%B9%B8%E3%81%9B-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC-%E9%AB%98%E6%A9%8B-%E5%92%8C%E5%B7%B3/dp/4480864288/ref=pd_sim_b_3?ie=UTF8&refRID=0QZ0SZ6D564ASRKTK57S









 

■まとめーー共感が子どもの心を形成する。


共感力の無い両親を持った子どもは本来与えられるべきものの欠損を抱えて生き続けることになる。
(その欠損が特別な才能や努力を与えたりするのだが。)

共感≒肯定=褒める=感覚・気持ちを聞いてあげる。

褒めてもらう=自分を肯定してもらえる存在を認めてもらえる=自分が(社会で)存在していると感じられる



子どもの心に寄り添ってあげなければ子どもの心の接着剤である愛情は伝わらず
いびつな心が出来上がってしまう。

大人になったとき、心が強い人、弱い人の違い。
それは幼少期、どれだけ共感(愛情)という接着剤で心の強度を高めることが出来たか
そここが非常に重要な気がしている。




(それゆえ才能に秀でた特別な人たちは富と名声は得れるが当たり前の幸せにはついぞや辿り着けないパターンが殆ど。才能とは欠損から生まれる。
特別な人たちは何かが”ある”のではなくあるべきものが”ない”から素晴らしい才能と感性と商人欲求を持ち普通の幸せを持っている人たちが住む社会を豊かにしてくれている)







子供が共感を与えられていないと感じた
→(心理)虐待