2013年2月28日木曜日

ショートカットという意思表明


◇女性にとってショートで生きるということ

今ではセクハラ認定をされる発言かもしれないが
古い人間は「女性が髪をばっさり切る=失恋」という方程式が頭の中にある。

だけど、ちょっと大人になったので、失恋だけでなく、もっと大きな意味での転回期を迎えているのだろうなぁーと仮説を立てられるようになった。

そのことを備忘録的に。


 

■ショートは誤魔化さない覚悟


『ショートは、自分に厳しくいられる。
 困っても髪を触れない、太ることが出来ない、
 肌をきれいにしていなきゃいけない、
 少しでもおしゃれに気を抜いたら一気に垢抜けなくなる、
 髪の長さ分のセクシーをどこかで決めなきゃいけない』


これは、ある女性から聴いた話。

男性はロングヘアの女性を好む傾向にあると思うけど
ショートの子が、なぜショーカットという自己表現をしているのか
という事を男性達は全く分かって居ない!

外見という形には女性がどういう生き方をしたいのか?という
意思表示というメッセージが含まれている。

それなのに男性はすぐに、カワイイだとかキレイだとかセックスだとかというか
目の前の事に集中して背景を考えない生き物なんだね…と
ちょっと悲しそうだった。



 

■ショートカットは永遠のヒロイン


勝手な持論として
ショートカットで白のワンピースが似合っていたら
その女性は間違いなく可愛いし美しいって思ってます。


少なくとも外見でということですが、外見が示すその人の情報って言うのは
結構重要だと思っています。

シルエットというか醸す空気感とでも言えばいいのでしょうか
ショートで白ワンピが”絵になる”女性って
柔らかで温かなイメージがあって、ちょっと小悪魔な奔放さも兼ね備えているなぁという イメージ。

(これは恐らくビーチボーイズの時の広末さんがモデルとして
 色濃く僕の印象をつかさどっている体と思われる)


そして、男性の僕には到底理解できないのだが、
周囲の人からの評価も自分にとってもロングの方が
総合的にはメリットがあるらしい。

短い方が髪洗ったり乾かす時間が短縮されるし
結う時間も少ないだろうからいいんだろうなぁという
男性的な短絡的な考えは通用しない。


何よりも、「髪を触ることで安心できる落ち着ける」というのは男性が困ったときに後ろ頭を「ポリポリ」とすることの
何倍もの効果があるのだろうと思われる。



 

■髪の毛=変装の道具


少し表現が稚拙なのかもしれないが
恐らく女性にとって「長い髪って言うのは男性で言うところのヅラ」なんだろうなぁって思う。

隠せる部分は隠せるし ある意味でダマせる、演じられる。


だとすると、ハゲたとしてもズラを使わずに
ハゲた部分を隠さない、あるいはスキンヘッドで通している中年男性が持つある種の爽やかさが
ショートを選ぶ女性達も、持ち合わせているのではないかと思った。


「私は私で生きていくよ、誤魔化さないよ」という意思表示が
ショートカットの女性には強い傾向にあるのかな


そういえば、ショートカットの女性はどこか凛々しさがある。
ロングよりもメリットの少ないショート選ぶ女性の覚悟、意思表示を
どう受け取るか。



考えすぎかもしれないが、ショートカットを選ぶ女性は
社会への抵抗と挑戦の証なのではないと思った。

 


■「女性らしさ」「これだから女性は…」

常に「女性らしさ」を求められながらも、「だから女性は…」という部分を男はすぐに使う。
こういう攻撃をもっとも回避できる確率が高いからだろう、男社会で生きている女性はショートカットだ(政治家とか看護師長とか)

なーんか、応援したくなるんだよね。



■美容室=自傷行為室

ちなみに、髪の毛について考えたときに思い出した小説の一節ああったので、これを紹介して終わりたい。
ロングの方がメリットがあるということを上述したが、その究極のメリットは「髪の毛は血の通っていない自分の一部」ということらしい。



~~~

髪を切ってさっぱりなんていうと穢れを払ったようできこえはいいけれど、本当はただの自傷行為だ。
過去のしみついた自分をざっくり切り落として
新しい自分に生まれ変わりたいと強く願っている。
つまりいままでの自分を全否定している訳で髪を切るというのは日常的な行為に思えても、
実は非常に大きな自己否定でもある。
変わりたいと強く願いそれを実行するのはいままでの自分を殺してしまいたいという願望の現われ。
髪に血が通っていないことで助かっている女の子はいっぱいいる。

~~~
(かわいそうだね? 綿矢りさ 文藝春秋)

2013年2月22日金曜日

「もっと愛して!」→「私達、もう終わりにしましょう」


 

 

◇不安は容易に怒りや攻撃に変わる


「言葉」と「伝えたい思い」は本来、セットであるはずなんだけど、人間は感情の生き物なので、時に、
「伝えたい思い」が「不適切な言葉」として発せられ、相手も「不適切な言葉」から「相手の伝えたい思い」を受け取ってしまい、人間関係は加速度的に悪化の方向に向かってしまうことがよくある。


「伝えたい思い」が相手に伝わらないと人間は怒りを覚える。
そして、その怒りは「伝えたい思い」を歪ませ「不適切な言葉」を相手にぶつけてしまう

お互いがお互いを大切に思っているのに歪められた言葉によって深刻な距離が生まれてしまうのは本当にもったいないことだ



旦那からの愛を感じられないと「私をより元カノがいいんでしょ!」という”攻撃”をしてしまっている愛さんの例を書きに記す。



 

***



紘一さんは、とても優しい夫で、妻の愛さんは現在の生活には何の不満もないのですが、唯一ひっかかることは、
夫が結婚前に交際していた女性のことです。

幸一さんは、その女性のことがとても好きだったらしく、結婚を目指して数年間交際していたのですが、結果としては「結婚はできない」と先方から、振られてしまったようです。


その前から紘一さんのことを好きだった愛さんは、チャンス到来とばかり、幸一さんにアプローチし、
見事に結婚までこぎつけることができました。


紘一さんは、もちろん、愛さんに気を使って、前の恋人のことを話したりしません。

しかし、紘一さんから充分に愛情が感じられないようなときには「前の彼女のことを思い出しているのではないか」と思ってしまい、胸が締め付けられるような苦しさを感じるのです。
そして、イライラしてしまい、「どうせ私となんか結婚しなければよかったんでしょ!」と怒りをぶつけてしまうのです。

紘一さんからみれば、自分が結婚しているのは愛さんであり、確かに前の彼女のことは好きだったけれども、
それはその時代の事です。


愛さんからそうやって責められてしまうと、結婚という、人生で最も大きな決断をした自分のことすら馬鹿にされているような気がしてしまいます。

最初のうちは、愛さんが嫉妬しているだけだと思って、「大丈夫だよ。もう彼女とは別れたんだから」などと宥めるのですが、
あまりにもしつこいと頭に血が上がってきて、
「どうしてそんなにしつこいんだよ!」「確かに君なんかと結婚しなければよかったかもしれないな!」などと怒鳴ってしまうことも出てきました。


すると、愛さんとしては、「やっぱり」ということになってしまい、「どうせ私はしつこいわよ。前の彼女はしつこくなんかなかったんでしょ。やっぱり後悔しているのね。 どうぞ、今からでも前の彼女と結婚したら?いつでも分かれてあげるわよ」と怒ってしまうのです。

 

***


 

■「私だけを愛してね」が歪む


愛さんが本当に言いたいことは決して
「いつでも別れたあげるわよ」ということなどではありません。

むしろ「私の事だけを愛してね」ということを本当に言いたいことです。


旦那さんもそういう覚悟で結婚しているのに
二人の間には思いはズレていないのに実際には「ズレ」が生じてしまっている。
では、なぜこんな問題が起こってくるのでしょうか。



一つは実は現在の問題であることが過去の問題にすり替わっている、ということがあります。
愛さんは、自分が夫から愛されていないような気がすると
「前の彼女の方がよかったのではないか」という思いが頭をもたげてきます。

この気持ちは、夫からの愛を十分に感じて満たされている時はほとんど気にならないものです。

つまり、「夫は前の彼女と自分と、どちらがよいのか」という話よりも
本質的には「現在、夫からの愛をどのくらい感じられているか」ということになります。
旦那さんの過去の恋人の事がひどく気になるのは
現在の旦那さんから十分に愛情を感じられていない時なのです。
ですから、取り組むべきは「現在の旦那さんの愛情表現」というテーマであって、
実は過去の恋人の事ではないのです。

そして問題が「現在の旦那さんの愛情表現」だということがわかれば
旦那さんにとって、はるかに前向きに取り組めるテーマになるでしょう。


愛さんが愛されていないと感じるのはどんなときか
どんな言動に愛を最も感じるのか、などということを一緒に見ていけば良いでしょう。

愛されていないと感じるときが仕事で疲れている時なのであれば
旦那は仕事で「疲れている」ということを言えばいい。



もう一つの問題は愛さんのコミュニケーションです。

本来の気持ちどおりに
「私の事、本当に愛している?」「愛されていないようで寂しいわ」といえば
旦那は優しくしてくれるでしょう。
しかし実際には「前の彼女」を持ち出して
旦那さんの結婚判断まで責め立てるようなことをするので旦那さんも怒ってしまうのです。


私たちはどうしても
「私の事、本当に愛してる?」「愛されていないようで寂しいわ」というような
自分を剥き出しにするコミュニケーションが苦手です。
その代わりに「あなたは」と相手の問題にすりかえてしまうのです。

むきだしのコミュニケーションをする勇気が出ないというのは十分に理解できることではありますが、
これでは本当は何も「ずれ」がないのに
離婚の危機にすらなりかねないのです。
思い切って勇気を出したほうがよほど安全なのです。


 

■怒りは思いを歪める

心が傷ついている時の反応は、怒りという形をとることが非常に多いです。

これは二度と傷つかないようにするための防御反応みたいなもので、
少しでも傷つけられそうな兆候を察知すると相手を激しく排除する、という仕組み(つまり、「相手に」腹を立てているのではなく「自分の」危険を排除するための必死の自己防衛)
なのですが、怒りは人間関係を損ねるものです。

 

■生産性のあるすれ違いにするために

時に不適切な言葉を制御することが出来ない場面もあるでしょう。
だけど、「どうして自分は不適切な言葉で相手を攻撃してしまったのか」ということを顧みる能力を磨くことは、
仲直りへの助けになるし、むしろ雨降って地固まるという言葉に持っていくためには必要なことではないかと思っている。

2013年2月21日木曜日

「尽くす性格」と「共依存」の境界線



「あんた、大切な人はおるね?その人の幸せな様子を思うだけで、自分までうれしくなってくるような人は」(映画 悪人)


幸せには色々な形があるでしょうけれど「この人を幸福にしたい」という人をしっかりもつことでしか幸せをつかむことは出来ないということだけは共通。
自分のことしか大切に出来ない人はみんな孤独になってしまい、いつしか心を病んでいきます。

(「育てにくい子」と感じたときに読む本 佐々木正美 )


結局、安西の言う通り、人間は誰かに幸せにして貰うことも、自分だけが幸せになることも出来ないのだろう。
人間に出来るのは、恐らく誰かを幸せにすることだけなのだ。

(どれくらいの愛情 白石一文 文藝春秋)







 

◇「不安だから尽くす」のはマズい気がする

確かに、上記の引用にもあるように、「誰かを幸せにしたい」という思いを持てた人は幸せになるチャンスを得たことになるのでしょう。
ただ、なんのために相手を「幸せにし(尽し)」たいのか、という出所をしっかり見極めないと、誰も幸せにならないことになってしまうような気がしている。





「誰かを幸せにすることでしか幸せになれない」ことと「共依存(相手の評価でしか自分を保てない)」ことは、非常に近いところにあるように思えちゃうところが、難しい所だ。

端的に言えば出所が「愛」か「不安」か、みたい感じ。





愛から出た”尽くす”は相手が「あなたのおかげで幸せだよ!」と言ってもらえなくてもガッカリはするだろうが自分の全てが否定されたようには感じないだろう。

ところが、不安から出た”尽くす(共依存)”は相手に「幸せだよ!」と言ってもらえないと自分の全てが否定されたように感じるだろう(他人の評価だけが生きる支えだから,それを得られないのは自分の存在価値に関わる)。

自分の不安(自己無価値感)を払拭する(あるいは埋める)ために他人に尽くしているということは、かなり自覚しにくいし誰にとっても「自分が抱えている不安」についてなど、気づかなくて済むなら気づかないで生きていきたいものだ。






「不安」をエネルギーにすると人生が疲弊していく。
自分を粗末にすることは全般に「不安」と関連している。

アルコール依存は、自分を粗末にする典型例ですが、
これも、不安を満たそうとするアルコールに依存する、という性質のもの。

「自分がどう思われるか」ということを気にする心は、基本的に「不安」です。
「こんなことをしたらどう思われるだろうか」「これで大丈夫だったのだろうか」「相手はどう思っただろうか」
というのは、いずれも出所は「不安」。

不安をエネルギーにして「気づかい」をすると、間違いなく疲れてしまいます。

「どう思われただろうか」「もしかしたら、はずしてしまったのではないだろうか」
など次々と不安な思いがわきあがってくるのは、そのため。

そんなふうにチェックばかりして不安に思い続けていたら、疲れてしまいまう。



自分の不安、虚しさ、痛み、悲しみ、自己肯定感の低さ、などなど、自分と向き合うと感じてしまう負の感情を感じないために他人に尽くして自分の問題を棚上げにする姿勢が出所の”尽くす”では誰も幸せに出来ない気がする。

2013年2月17日日曜日

父親は思春期の娘とどう向き合うべきか



◇親は船でなく港であるべき

 

■「お」がつく娘に嫌われる父親の行動

「おっぱい大きくなってきたね!」
これを言ったらあうとだと、浜田さんと三村さんがテレビでおっしゃっていました(笑)



…まあ、これは冗談としても、
反抗期の子は生意気な顔をしているくせに
分かってもらいたがりなんです。

自分を理解しようとしない、頭が固い、話を聞かない、
いつも同じことを言う…

そんなお父さんは例外なく嫌われます。

思春期は子どもが大人になるために必要なプロセスです。
だから、他の大人と同様に対等に扱うことを心がけてください。

 

 

■過保護と言うのは親側の問題


「子どもが危なっかしくて心配」といって、過保護に育てようとする親御さんが居ますが、
じつは過保護というのは親御さん自信の不安を反映したもの。

親が自分の不安をコントロールできない過保護と言うのは大人が
「子どもに任せておいたら失敗するのではないか」という親側が自分の不安をコントロールできないがゆえに起こるもので
子どものためでなく、自分のための行為です。



■過干渉=殻に閉じこもる子どもになる


何かにつけてガミガミ言われて育った子どもに形成される世界観は
「人は常に批判するものなんだ」というものになります。
そうすると、やたらと他人を気にして自己防衛的な人間になってしまう。

何を言っても身構えてしまう人って社会人として使えないじゃないですか。

とりあえず素直に自分の言い分を言って、相手の意見を聞くような人に育てたい。


 

■徹底的な味方に


10代の心の病気は多い。
特にイジメが原因で病気になる子は本当に多い。

基本的に、急に成績が落ちたり素行不良になるケースでは
思春期鬱の可能性が高い。

うつ病の気がある子はやたらとメールを気にします。
ケータイを握り締めてメールが着たらすぐに返信するような子は見た目を気にしすぎるタイプで
どこかしらで傷つけられた体験があり、他人に対する怖さを感じていることが多い。

服装でも、やたら人目を気にします。

そういう子に「人の目など気にするな」というと
さらに傷つけることになる。





■いじめられている私=両親に申し訳ない


心に傷を受けている子は
自分の価値が低いと思っています。

自尊心が傷ついている子にとっては毎日元気に仕事をしているお父さんは、まぶしい存在で
「こんな子を持って失敗したと思ってるんだろうな」くらいに
考えているんです。

自分なんかの気持ちがわかるはずないと
思っている父親が「わかるよ、子どもの頃はお父さんもこうだった」などと言ってくれると嬉しいんです。


受け入れて共感してやる一方で
その子の持つ歪んだ世界観は時どく修正してあげたほうが良い。

「みんな人の嫌なところばかりを見ていると思っているだろうけど
 世の中は意外とそんなことないよ」とか。
いじめを受けている場合にも
あの厳しい環境に居れば誰でもそう思うようになるといってあげることで
自尊心が回復するんです。

 


■友達親子のツケは10年後に


友達親子の多くは
子離れしたくない親が子どもに媚びるケースがおおい。
ただ、親が不安定になるのを恐れて子どもが媚びているケースもある。
(子どもが親の面倒を見ている典型)

母娘の関係が悪いせいで
父娘の関係がよいということもあります。

いずれにしても、友達親子は10年後にツケがくると考えた方がいいでしょう。
娘は健康な大人になれない可能性が高い。
父親べったりのせいで同世代の男じゃ物足りなくなっている人が居ます。
父の方がお金もあるし物も知っているから当然なのですが
同世代の男に興味が持てなくなるというのは問題です。








(週刊ダイヤモンド 2012/3/24)より抽出

2013年2月12日火曜日

「死にたい気持ち」を否定しない




どういう種類の本音とか感情とかであっても、否定されるのは苦しいことです。
近しい人なら、なおのこと!!

常識的には吐露してはいけないような本音や感情であっても、
「この人だけは、何を言っても受け止めてくれるし逃げていかないでくれる!」という存在は、病気の人でなくても人生を豊かにする重要な要素であると思います。

 


◇その人が感じる感情は否定されるべきでない

たとえば、数学のテストの答えが2で、ある生徒さんは3って解答したら、間違いです。
でも、感情は違います。かんじたその人の感情は常に正解であるべきです。
失恋をした場合、ある人は「ふられちゃったか~また新しい人を探そ!」と失恋と言う出来事に対しても次への期待という前向きな感情を持ちます。
ある人は、「俺を振るなんて、ゆるせねーな!」と怒りという感情を持つ人もいます。
そして、ある人は、「失恋しちゃった…もう死にたい」と、死にたい気持ちを感じるかもしれません。

失恋に対して、それぞれの人が持つ感情に不正解はありません。
その人が感じた、希望・怒り・死にたい、それぞれの感情は、その人にとっては事実なので、否定されるべき性質のものではないのです。


…「感情はそれぞれの人がそれぞれに感じて正しい」ということを前提に進めていきます。
このエントリーでは、うつ病の症状の一つである自殺願望を表明されたサポートする側の人(家族恋人友人など)は、
そのカミングアウトをどう扱えば良いのか考えてみたいと思います。






■うつ病の自殺願望の扱い方


うつ病の深刻な症状に自殺願望があります。
これは本当に命に関わることであるので、軽視してはいけないものです。

自殺のリスクが高いときは入院したほうがはるかに安全です。


では、家族の役割は何か?というと、
まずは患者さんが役割期待について抱えている間違った思い込みを
是正する必要があります。
それは、うつ病で自己評価が著しく下がった患者さんがよく抱くものですが
「自分が生きていることが迷惑なのだから、死んだほうが相手のためになる」という
間違った思い込みなのです。


家族は一瞬、悲しむかもしれないけれども、
すぐに自分のことなど忘れて幸せな生活に戻るだろうと
本気で思い込んでいる人は少なくありません。


そういう人には、まず、こちらの期待していること、
「何をしてもいいけれども、とにかく生きていて」という思いを強く伝えましょう。

あまりにも患者さんが頑固で
「それは本音ではないはず。本当は死んで欲しいと思っているのだろう」と言い続ける場合には、もしも患者さんが自殺をしてしまったら自分は一生自分を責め続けることになる、
ということを伝えてもよいでしょう。

これは「相手を視野に入れる」というやり方であるとも言えます。
患者さんを失うことを思えば、今の苦労など何でもない、ということを強調しましょう



そもそも、誰よりも苦しんでいるのは患者さん本人なのであって、
家族ではない、ということも伝えましょう。
その証拠に、本人は自殺したがっているけれども
家族はそうではないのです。

家族が病気になっていない、ということは苦労があるとしてもまだまだ耐えられる範囲なのだ、
という理屈を説明しても良いでしょう。







 

■死にたいほど辛いという気持ちは遠慮させない


「死なないで欲しい」という希望は強く伝えるべきですが
同時に「死にたいほど辛いという気持ちは遠慮なくて話して欲しい」ということも
伝えるべきです。


ご家族の中には、患者さんが「死にたい」というと
「もう、その話はしないで」といったり、ため息をついて落ち込んだりする人も居ますが
そういうコミュニケーションは、患者さんが辛さを表現する自由を奪ってしまいます。
病気が治るまでは耐えるしかない患者さんにとって、それがどれほど辛いことかを
理解する必要があります。

「死なないで欲しい」というのは、行動面への一つの注文にすぎず、
「死にたい気持ち」という症状を「治療」することはできないのです。

「絶対に死なないでね。でも、死にたいほど辛いでしょうから、何でも話して。
 話せば少しは楽になるかもしれないから」というふうに言うと良いでしょう。


自分は、家族に迷惑をかけていると思っている患者さんは、
家族に「愚痴」をこぼすことは迷惑に決まっている、と思い込んでいることが多いのです。
そういう場合には、
「思いつめるより、愚痴をこぼしてくれたほうが、むしろありがたい」ということを伝えましょう。

 




■哲学的に人生を考えちゃうのも症状


慢性のうつ病の方の中には「人はなぜ生きるか」「人はなぜ生まれてきたのか」
などというテーマを深刻に思いつめている方も少なくありません。

感受性が強い人がうつ病になりやすいということも関連していると思いますが、
人生の意味について正解を欲しがるうつ病の人に対しては

「そういうテーマは、うつがひどくなると必ず出てくるもので、今はそれを真剣に考えるべきときではありません。
 うつがよくなれば、多くの方がそんなことを悩んでいたことすら忘れてしまいます。
 つまり、健康な人は”人はなぜ生きるか”などということはあまり考えずに
 何とか毎日を過ごしているものなのです。
 これは、うつ病の症状である罪悪感とも関連しているのかもしれませんが
 何となく毎日を過ごすことが悪いことであるかのように捉えるのも、うつ病の症状です。
 人生については、うつが治ってから改めて考えてみてはどうでしょうか」

と、諭しもせず流しもせず、「治ったら考えましょう」という態度で行きましょう。
もちろん、「考えることも病気の症状だからね」というスタンスを摂っていることが前提です。

ただ流すだけでは、「なに、くだらないこと考えてるの、バカ!」という
スタンスなのだと誤解される恐れがあるからです。




そして、実際にうつがよくなってくると、
そんな時間を忘れてしまう人もいますし、
「当時あんなことばかり思いつめていたのは不健康なことだったと思った」と
おっしゃる方が多いものです。

2013年2月8日金曜日

「結婚して幸せになろう」への違和感




『最高の離婚 第5話』を観て、思うところがあったので頭の整理も込めてつらつらと。





◇結婚しないと幸せじゃない二人は幸せになれるの?


「結婚して幸せになろう」という命題が成り立つとき、浮かび上がるのは「私と貴方が幸せになるためには結婚が絶対必要」ということなんじゃないのだろうか。
結婚という形を達成しないと(恋人同士では)幸せじゃない二人が結婚をして(精神的な部分で)幸せになることはできるのでしょうか…。



結婚という形への根拠なき信頼感が蔓延しているのが非常に面白いと思う。

結婚という形を達成することで、理性的に感情を押し込めようとしているに思える。
お互いが抱えている問題、あるいは感じている二人の関係性の中での違和感を、婚姻というブラックホールに吸収させようとしているのでは。
で、案の定、そういう形の達成が幸せを運んでくれるっていうパターンは、破綻してしまうのでしょう。

でもまー希望的観測を言ってしまうと、婚姻という形で心が離れてしまった夫婦が、離婚と言う形から解放された関係になる(戻る)ことで、距離が縮まっていく、みたいな展開がベタだけど
いちばん視聴者が観たいホッコリバージョンなのではないではないでしょうか。


 

■あかりさん


「父親は女たらしで可愛そうな母親の姿を見てきたから、私は絶対一途な男を選ぶんだ」って強く思っているのに、けっきょく、何股もする男性に惹かれるって言う典型かもね。
父親と言う神様を否定しないためには「女たらし」という嗜好を「愛している証拠」として認識するんだろうねー人間の心が持つ防衛機制ってすごい!
どんなにひどい父親であっても、子どもにとっては父親であって、父親をひどい人間とは心底は思いたくないし、自分ガひどい父親から生まれただなんて納得できない。じゃあどうするかっていうと、父親を肯定するんだ。「妻以外の女性にも手を出す男性」を肯定することによって。そして、惹かれていく。


「父親(あるいは男性)の愛し方=法的に大事とされる人以外の人にも手を出すこと」みたいな公式を自分に叩き込むことで自分を守る。
そして、それを公式にした人は浮気性の男性ほど、愛されている自分を感じることが出来ているのかもしれない。



また、「父親ではなく母親の事だけ嫌いになって言った」というセリフも興味深かった。
破綻している夫婦関係なのに、お金とか世間体とか子どもの事とかで離婚を出来ないお母さんを見て育つ娘は、お母さんを大好きだし守ってあげたいと思うけれど、誰よりも母親のような人生を送りたくないと思うし母親を哀れむようになるらしい。で、母親を哀れんでいる自分に、罪悪感を持つと。


ついでに言えば、人間は、そう簡単には変わらないので描写があるかどうかは分かりませんが、あかりさんは次の次あたりには別のダメンズとの関係がはじまるのでしょう。




■りょうさん


人間は、そう簡単にはかわらないと思うけどなぁ~特に覚悟とか気合とか、瞬間的な感情で人間が変わるっていうのは考えにくい。
一時的な強い感情は、自分を別のステージ(社会的に望まれる役割の方向)に連れて行ってくれるような錯覚を抱かされるんだけど、結局、一時的な感情が運んできてくれた予感と言うのは、一時的で消えてしまう。

だから、人間は変わらない。逆に言えば、急に変わらないからこそ恒常は維持されていくのだと思う。


結婚という道具を結婚相手との関係ではなく自分自身の弱さを断ち切るための道具にしたって、ぜーんぜん役に立たないと思うけどなぁ。

げんに、ドラマのなかでも、紅茶を掛けられた女性の元に何事もなかったかのように収まりそうな感じだし。


「結婚という形(夫婦と言う絆への根拠なき信頼感)を達成すれば、女癖が悪いもの治るだろう」
「子どもが生まれれば、真面目な夫になってくれるかもしれない。アルコールも止めて、まともに働いて、お父さんとしての自覚も生まれてくれるにちがいない!」


形(結婚とか子どもが生まれるとか)が幸せを運んできてくれるってのは幻想ですよ。
人間の本質的な部分が変化することは、滅多にありませんから。

2013年2月3日日曜日

子ども同士がケンカの後すぐに仲直りできる理由



 


◇仲直りを邪魔するモンスターペアレントたち



○はじめにーー子供同士のケンカはどこまで介入しますか?


A子ちゃん(6歳)が泣きながら帰ってきました。
いつも遊んでいる友達の子(G子ちゃん)の家に自分だけ呼んでもらえなかったらしいのです。

その理由は、
その子(G子ちゃん)の母親が「うちのお母さんがあなたのこと(A子ちゃん)を嫌いだから家に呼べない」
ということでした。

原因は4ヶ月前、その子の家に遊びに行ったときケンカになったことがひきがねとなっているようです。

その時のけんかがどのようなものだったのかA子ちゃんのお母さんはA子ちゃんから「けんかになったけど仲直りしたよ」としか聞いておらず、子供同士のことゆえ気にもとめておらず
またそのけんかの後も、学校や公園では普通に約束して他の友達も含め遊んでいたので正直驚きでした。




■子供は「手放し」の天才

大人は、他人の人格について評価を下しながら日常を送っています。
そして、自分を不快にさせる人格を少しでも匂わせる相手には警戒します。
他人を”過去の出来事”という色眼鏡を使って評価することで、自己保身をしています。

ただ、子どもは違います。
子どもは、過去のことなど持ち出したりせず、「今、この時を目の前の相手と楽しむ」ということができます。
たとえ、どれだけケンカをして殴りあったり悪口を言い合ったりしたとしても、お昼休みには一緒にサッカーをしているのです。

どれほど怒っても根に持ったりせず、相手をすぐに許します。
これは、子供の「現在に集中する力」に由来するといえるでしょう。

楽しく遊ぶことの方が、過去を根に持つことよりも、子供にとっては自然な姿なのです。

ですから、一般的には、親が心配するほど子供は友達同士あるいは兄弟間のケンカについて気にしないのです。




■現在に集中できない大人が仲直りを阻害する

子どもは天才です。現在を楽しむことの天才。

だから、相手が過去にどういう振る舞いをしたかどうかよりも、
目の前の現在を友達と楽しみたいのです。



ところが、この天才たちを邪魔(守る??)するのが大人です。


「あの子は危険だから、一緒に遊んじゃダメ!」
「あの子を、うちの子に近づかせないように見張ってください!!」
などなど、
子供同士は、ケンカのことを考えずに友達と仲良くしたいのに、大人が介入してきて、友情を裂こうとするのです。


こういうケースは余裕のない大人、換言すれば「大人と子どもでは人間関係の作り方が違う」ということを理解していない未熟な親が増えれば増えるほど、
ありふれた現象になっていくでしょう。



 

■「私(親)を煩わせない友人関係にして!」


あるいは、子どもが自分の思い通りの枠外の行動(危険な子とは近づかない)以外の対処法を知らないという器の小さい親達が増えている現代では、
親に友達を奪われる時代になっているのです。

それなのに、「みんなと仲良くするのよ!!」と、子どもに説いているのですから、子ども達は何をすれば親が満足してくれるのか、ぜんぜんわからなくなってしまって、
親の顔色を伺うような子どもが増えていくのだと思うと、なんともやりきれない思いです。


 

■「相手という人格に評価を下さない」

子供は手放しの天才、ということを説明しましたが、その秘訣の一つは
「相手という人格に評価を下さない」ことなのです。

単に目の前の行動だけを不愉快に思うので、
それが終わってしまえば、何事も無かったかのように、また楽しく遊ぶことが出来ます。

そんなふうに、小さな子供は全般に、
相手という人格に評価を下したりせず、その場その場を楽しむだけなので、
大人たちが採用しているような自己保身のために、過去と言う色眼鏡を使って自分の都合の悪い人を排除するということをしないのです。

 

■子どもを枠に押し込める大人たち


親の矮小さが子どもの友情、あるいは、子どもが多様な価値観に触れるチャンスを失わせてしまっている時代。
これでは、たとえ、どんなに勉強が出来る子であっても、お金を稼ぐ段階になったときに、他人が怖かったり、うまくコミュニケーションをできないのは、
当然の帰結とも言えるかも知れない。




 

■子どもが子どもを育てる時代


「親がなくても子は育つ」かもしれないが、未熟な大人が増殖すれば、子どもだって成熟するチャンスを失っていくのではないでしょうか。

親が未熟でも、周りの大人がそれなりに大人だったら、親の未熟さは補正されたかもしれませんが、今の時代は、底に期待できない状況が…






 

○おわりにーー親が介入すればするほど…


子供の関係、親の関係も
余計に関係は悪化していくと思いますよ。

どういう経緯でお子さん同士が喧嘩になったのかは
分かりませんが、大抵の場合、他愛のないことから
始まっているのが大半だと思います。

それに対してイチイチ親が口を出していると、
本当に収拾がつかなくなることがあります。

もし、お友達のお母さんが本当に「遊んじゃダメ」というようなことを自分の子に言っているんだとすれば、
そういう親御さんだったんだ思って、こちらから近づかないようにするほうがベターだと思います。
※そういう方は、恐らくどこかでトラブルを起こしますから。