2012年12月25日火曜日

タイタニックに学ぶ、男の生き様


◇音楽家の人たちに全く共感しない女性達


映画タイタニックを観て(生涯で5回目くらいかな)思いついたことを。

映画を観ていて思ったのは、男の生き様って言うのはいかに、
自己中心的で女性から観たら意味不明な所に魂を傾けているのか?ということだ。


 


■プライドを守り抜くことが、男の生きる意味

いかに男性がプライドというか、自分の信じていることに自分の存在意義を見出しているかっと言うことが如実に現われている気がする。
男性はプライドとか想念とかっていう、”思想”の中に自身の存在意義を預けているが、一方の女性は「怖い」「助かりたい」という”感情”が優先されるから必死で生きようとする。

最後まで楽器を弾いている男性達に男性は共感するのだろうが、
女性の場合、「何してるの?早く逃げたらいいのに」と一蹴するのでしょう…笑




■生き延びることよりも自身のプライドを貫こうとする男達


船長、音楽家、正装で死にたい紳士、船の設計者(逃げたのが設計者で残ったのは組み立ての責任者かな?)そして金と地位で女性を思い通りに動かせてきたプライドを否定された資産家は救助船に乗ることよりもプライドを犯した男女に銃を向けてプライドを踏みにじられた怒りをぶつけようとした。



■男のプライドを簡単に否定するのはやめましょう!


この、「いかに男性と言う生き物がプライドや想念、あるいは自分が人生を掛けて積み重ねてきた行動に存在意義を持っている」のかということを、
女性達は学習すべきではないか。

 




■プライドが掛けた事象が壊れたら自分の人生も壊れる


設計者や船長が船に残ったところで、事態が変わるわけでもないのに、それでも(女性から見たら良く分からないプライドによって)自分の仕事(プライドを傾けてきた行動)の責任を取る意味で、船と共に沈むことを選ぶ…
男と言うのは、現実に呼吸する意味での生命よりも、自分がプライドを傾けて行ってきた行動に自分の生命が乗り移ってしまっているから、
そのプライドを傾けた先が壊れれば、自分の人生も壊れるって言う女性には理解できない思考回路をもっているのだろう。


考えてみると、リストラされて自殺するのは男性が圧倒的に多い。
それは自分の積み重ねてきた業績を否定されてしまう(=積み重ねてきたものを壊れた)ので、自分の人生も壊れてしまった→生きていけない)ので、「自分のプライドが死んだら=自分の存在意義も死ぬ」という思考回路に辿り着いてしまうからなのではないだろうか??





■最後にーープライドの中に存在意義がある


現実の世界での生命が続くことよりも、自分がプライドを傾けてきた事象に生命を注入しているのは、まさにプライドのために男性は生きているということがいるのではないだろうか。













2012年12月12日水曜日

社会から許されない嗜好は内側で飼いならせ


・ロリコンを治したいスレ

<BLOCKQUOTE>
11: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/09(日) 10:36:45.71 ID:OtHE3MVh0
今のところ何とか抑えてるけど、いつか爆発しそうでこわい

30: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/09(日) 10:42:39.24 ID:qLV+xgo00
学生時代は普通に彼女いたし、今もいるんだよ
でもやっぱ1人の夜は子供のアイドルのDVDとかで抜いてしまう


35: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/09(日) 10:45:47.01 ID:qLV+xgo00
>>26
初潮がどうこうというより、小さな子供に興奮する
12歳くらいまでがベスト

68: テツカブラ ◆TQfJFyC8Bxav 2012/12/09(日) 10:59:42.38 ID:bxGoL/Ie0
小6の妹がいる身からすると
お前らみたいな犯罪者思考の人間が
たくさんいるのが怖くて仕方ない
絶対に手出すなよ
</BLOCKQUOTE>
引用元:
http://majikichi.com/archives/7622260.html








◇割り振られた駒にどう対処するか

島本理生さんのアンダースタンド・メイビーでも確か、カウンセリングというか改心(宗教)の力を借りて夫のロリコンを是正しようとしたけど、無理で娘が被害者になっていた。子供の頃に愛情不足だと大きく年上の異性に惹かれるっていう定説もある。だけど、大きく年下だと犯罪になる。 難しい問題だ…。



■許されないものは内側だけで楽しむ

自分に与えられた資質が、ある資質は社会的には許されて、ある資質については糾弾される…これは確かに本人にとっては辛い。ロリコンの話で言えば、大きく年上が好きなら許されるが大きく年下は社会が許さない。

これは、同情の余地が有るかもしれない…と一瞬思うけど、それはあくまで、ロリータコンプレックスを持ってしまった当人の立場だけしか考えていないので、ここで嗜好を止めてロリコンの人に同情してはいけない。

 

■自分が強くなることで被害者を出さない

人間は大脳新皮質(理性)という武器が与えられているのだから、子供側、そして、親側の心情も含めて考えて、なんとしても、自分の中にある社会から許されない嗜好については自己抑制していく義務が人間にはあるはずだ。浮かんだ思考や欲望を押さえつけていく力が人間にはあると信じたい。

2012年12月8日土曜日

排除という選択肢でしか不都合な相手と渡り合う術を持っていなかったら、その人が社会から排除される



◇排除と言う防御が簡単に使える社会

着信拒否、あるいはニコ動、もっといえば、学校でのイジメ…これらに共通するのは
「自分にとって不都合な相手は自分の目の前から排除して、嫌な気分から解放されてスッキリして生きていたい」
という人間の欲望に正直に生きるための対処法だということ。

「あいつ、ウザいから拒否設定に入れよ
「気分を悪くするからNGコメにしよ」
「あいつが空気を乱すから皆で無視しようぜ」

こんなふうに、何か、自分の感情をマイナスの方向に進ませる対象を、
すぐに排除するような短絡的な対処法
が蔓延しているように思える。



 

■問題提起ーー不都合な存在は排除し続ける??

自分にとって不都合なものを排除していって、それで世界は本当に美しくなるのだろうか。 自分の価値観と違う存在を「ああ、うざい!拒否設定に入れよっと!」って言う具合に無かったことにすることは自分を守ることになるのだろうか。。


■汚いモノは必要ない!?

たとえば、自己免疫疾患(アレルギー、花粉症、MSなど)は先進国に多いと聴く。 先進国の清潔な環境で育った人間は、菌に対する耐性が低下して、ちょっとでも菌が強い場所に行くと、免疫システムがおかしくなり自己免疫疾患になるらしい。また、善玉菌は悪玉菌がいなければ本来の仕事をしないらしい


■汚い者は近寄らせない!


人間の話に戻ると、感情に任せて、その瞬間、目の前の不都合な物体を排除したとしても、自由主義社会では絶対に自分とは違う価値観を持った人間との出会いは死ぬまで続く。
いつの日にか、目の前の相手を排除できない環境(会社とか大人の社会)で生きなければならない時が来る。
そのときに、排除という選択肢でしか不都合な相手と渡り合う術を持っていなかったら、
その人が社会から排除されることになる。

【モラトリアムというか大学生くらいまでは自分の価値観と同じような人間とだけ付き合っていっても楽しく過ごせる。
 ただ、社会に出て、たとえば、気に入らないお客様であっても、商品を買ってもらって売り上げを上げないといけない。
 そのときに、気に入らないムカつく客だからといって、排除(自分をムカつかせる客の機嫌をとるのは絶対に嫌だ!)  
 ばかりしていると、会社の上司から「売り上げに貢献しないお前はクビ!」と言われてしまう。自分にとって不都合な 
 相手の対処法を”排除”しかしらない人間は、社会では相手じゃなくて自分が排除されることになる】



 

■まとめーー排除できないステージにいつかは登る


汚いモノを(ある瞬間、自分の目の前から)排除して安心を手に入れたとしても、その快適さはバニティーとしか思えない。なぜなら人生は短距離走ではなくマラソンなのだから。



 

■おまけーー相手を変えようとしないで自分が変わる


苦手な人間いるってのは自分が未熟なんだと感じることがある。 人間関係ってのはあくまで相対的なものであって、苦手と思える人格の持ち主たちと適度に付き合えるようになることが自分の成長に。

相手が凹ならば自分が凸という引き出しを持てば、凹という特長が苦手だった人とも、うまくいくかも

こっちが、一段上の高いところに登って、成長することで、相手の変化に期待しなくても、人間関係は改善していけると信じている。 あるいは、それでも生理的に無理な存在との対峙(退治)するときには、相手を不快にさせない程度のスルースキルという引き出しを見につければいいかもしれない…笑

2012年12月6日木曜日

「子供ってカワイイ!」と思える=良い母親に!?




◇「良い部分だけと付き合う」「丸ごと引き受ける」

ここの差を認識しておかないと
自分が子供を常に愛せない状態にあるときにショックをうけてしまう。

 


■デパートで売っている猫と猫のいる生活の違い


たとえば、僕は、猫がかわいいと思う。
だけど飼いたいとは思わない。

自分の日常を変化させずに、猫を眺めて癒される。
これはつまり、 「自分に害を与えない距離で猫が大好き」ということになる。

ぎゃくに、飼って、日常を共にして、猫ちゃんの世話をして、後始末をして、
自分が安全な場所から眺めているだけでは成り立たない猫ちゃんとの関係性を望むことはない。

これと同じことが、「子供をかわいいと思える私」と「育児を楽しめる私」とにも、言えるような気がしている。

 

■安全な距離で赤ちゃんをカワイイ!と思えても意味がない


自分の生活を脅かさない範囲、たとえば、道歩く幼稚園児をたまらなくカワイイ!と思えること。
あるいはイオンで彼氏とデートしているときに、家族連れを見て、「ああ、子供ってカワイイなぁ早く欲しい!」って感じたとしても、
それは、あくまで安全な場所にいる時に浮かんでくる想像(妄想)に過ぎず、ぜんぜん、リアルに子供との生活をしている自分を妄想しているわけではない。

 

■「子供ってカワイイ!」と言っている女性は良い母親になりそう??

こたえは、NOですよね。
子供がかわいいのは、あくまで自分以外の誰かが、その子供をカワイイと思えるシチュエーション以外の子育てのキツい部分、つらい部分を背負っていてくれて、
子供と過ごすことの「良い場面」しか目の当たりにしていないから、「カワイイ!」と思えるだけ。

女性も男性も、”自分が安全な場所にいる時に子供をかわいいと感じている”という姿に、過度に期待をすると、
現実に子供のいる生活に入ったときに、たがいの母性、あるいは父性に、期待をしていただけに、余計に失望することになって、最悪、
子供の存在が火種で離婚と言うことにもなりかねない。

自分事と他人事との識別をしっかりして、他人あるいは自分を見極めないと、期待だけが膨らんで、いっきに失望と後悔と怒りを招くことになりかねず、
結局、一番の被害者が子供という大人の能力不足により不幸な人間が増えることになってしまう。

よりよく生きるためには、他人を見抜く能力と、自分の本当の性質に気づく力を養っていく必要があるのかもしれない。



2012年12月3日月曜日

ワムのラストクリスマスは、楽しいクリスマスソング??



◇空気(雰囲気)を好む日本人。


あるラジオ番組を聴いていて、「好きなクリスマスソングの一位は?」というメッセージテーマだった。
wham!のラストクリスマスが一位だった。

ラストクリスマスが一位になったことを受けて、
「ああ、日本人は空気(雰囲気)が大好きなんだな」と改めて思ったので雑記。

 



■クリスマスが楽しみな人は楽しくなりたいはず


ラストクリスマスは失恋の曲。
少なくともクリスマスを楽しもうとしている人たちは、クリスマスを楽しく(ラブラブ・夢のような一日)過ごしたい人たちであるはずで、
決して失恋の曲で盛り上がりたいなどとは思っていないはずだ。

なのに、ちょっと悲しい曲調で届かない思いをグチグチ言っている男性の女々しい独白の楽曲を1位に選んでいる。
いかに日本人が雰囲気→「クリスマスによく流れている曲=クリスマスを楽しくしてくれる楽曲」で物事を選んでいる種族なのかがよくわかる。

クリスマスソングを終日流しているようなお店でB'zの「いつかのメリークリスマス」が30分に1回、流れてきたら、なーんか売り上げが落ちそうじゃないですか?
だけど、wham!のラストクリスマスは、マライヤやユーミンに混ざって、永遠リピートされている。「you gave it away(T_T)」って嘆いているのに…これは「いつまでも手をつないでいられるような気がした(T_T)」と
嘆いている内容は同じであるはずなのに、ラストクリスマスは”楽しいクリスマスソング”として認知・活用されている。


■結婚式で過去の恋人への思いを告白する日本人


日本人は内容より空気(雰囲気)を非常に重んじる種族である(あるいは英語のリスニング能力が低いだけともいえるかもしれないが)と思っていて、
たとえば、他に、映画ボディーガードの主題歌、ホイットニーのI Will Always Love Youを結婚式の入退場で使っているカップルが多いと聴いたときは吹いた。


「(社会的立場あるいは感情のすれ違いばかりで)あなたの人生に邪魔だと思うから身を引くわ」と嘆いている女性の歌詞なのに、
結婚式と言う形式上、もっとも愛する男性(別に異性愛だけを肯定するわけではないがここではわかりやすく異性愛にしておく)と一緒に居る場所で
本当に好きな男性の事を歌っている(≒不倫)歌を入退場に使っているなんて、正気の沙汰とは思えない。

これも、歌詞の内容よりも、「男性が女性を守り愛し合う映画のシーンの歌だから愛する二人にピッタリ」という空気感によって選ばれているのだと思える。
「不倫を認めてください」という誓いを立てあってるなんてことは、ありえないはずですよね…。

 


■電車内妄想ヤロウと化粧品


ジェームスブラントの「you're beatiful」という曲。
「あなたは美しい」という小学5年生でもわかるサビが印象的なのか、男性が女性に愛をささやいている楽曲にも思える。が、この歌を端的に訳すなら
”電車に中で一瞬目があった彼氏持ちの女性に対して、この出会いは運命だよね!僕達は愛し合う運命なんだ!!”って妄想している歌だと僕は捉えていて、
「あなたは美しい!」という部分だけを抽出して化粧品のCMやら恋愛の盛り上げるシーンのBGMで使われているのは、なんだか、
いかにも空気感に酔う日本人受けと狙った販促だなぁーと思ってしまう。

 


■空気感に人生を預けるの、やめませんか??


空気感に流されたり、空気を読む事ばかり気にしてオドオドしていきていると、その局面は乗り切れても、最終的には、
何にも手に入らないまま、時間だけが過ぎていて、むなしさが蓄積されていくだけのような気がする。


周りの目が気になるから宗教を隠したり、
田舎の空気感で考えると、離婚は絶対に出来ないって理不尽な夫に耐えて身体を壊すようなことになったり、
放射能を怖い!って拒絶反応だけをして、放射能の本当の危険度とか、原発なくしたら金持ちしか冬に温かな温水を使えない状況になったり…



もっと、物事の本質に目を向けていかないと、耳障りの良いことを言って自分の欲望を達成しようとしている大人たちに搾取されるだけの人生になってしまうような気がしていて、
そういう風に、何か、目の前の都合の良い事実を信じ込むために視野を狭くするのはやめましょう。
大損してしまうってことだ。

2012年12月1日土曜日

敵を作り出し結束を高めるのが女性の処世術




Q.
常に誰かを除け者にしないと気が済まない女とか必ずいるんだけど、何なんだあれは?中高生からババアまで、どの年代でも話聞くし。




A.敵を作ると言うエセ連帯感

敵を作ることで、とくに仲良くなかった相手とも結束できちゃう。だからこそ、敵を作り出して仮そめの”連帯感”を作り出すのが女性(メス)の習性。メスは他の女性達に「自分は仲間ですよ!」とアピールしなければならない。そうなったときに、相手と仲よくなるより共通の敵を作ったほうがイージー。






■悪口の有用性

悪口の共有と言うのは
互いの関係が蜜になったような錯覚を抱ける。
誰かの悪口を言い合えると、私たち二人は互いの悪口は言わないよね、と
密約を交わしたような気になれる。


だから、排除されずに済むと言う安心感を抱ける。

そんな安心感は錯覚に過ぎないのだけれど、
自分を守りたくて、悪口を言う。


自分が排除されないための防衛手段なのだ。

だから大抵、女の子の3人以上のグループは
その場にいない子の悪口を言っている。


2012年11月23日金曜日

「ノリ」を構成している子供たちの感情により添うのが大人の仕事



>>
大阪市北区で10月中旬、ホームレスの男性5人が相次いで襲われ、富松国春(くにはる)さん(67)が死亡した事件で、大阪府警は22日、いずれも大阪市内の16~17歳の少年4人を殺人容疑で逮捕した。

少年4人は無職の16歳と17歳、鉄筋工(16)、飲食店員(16)で、中学時代の同級生。「ノリでやった」「ストレス発散」「おもしろ半分」などと話しているが、「殺すつもりはなかった」と容疑を否認している。
<<
(via  http://nico.ms/nw438280



 

 

◇自分では対処しきれない感情→行動化(感情を行動で発散する)


■「ノリ」を解きほぐして内観させないと悲劇は起き続ける

「ノリ」を構成しているのは、どんな感情だったのか。どんな考え方だったのか。自分のマイナスの感情やストレスをどうやって発散していたのか。その発散法を教えた人たちは正しいことを教えてきたのか。
子供が持つ「モヤモヤした感情」に、しっかりと名前を付けてあげて、感情と向き合う手伝いをするのが大人の義務であるはずだ。
そうしないと、ただ、罰を受けて少年院だか服役をしたところで、この子供たちの人間的な豊かさは全く育たず、結局また同じような感情を持ったときに、同じように弱者にぶつけることでしか解消する方法がわからずに犠牲者が出てしまうかもしれない。

 

■「行き場の無い感情「は大人でも苦しむのだから…


子供が友達に暴力を振るったりするのは、けっして「ノリ」だなんて、大人が便利に使う言葉になんか収まらないはずだ。
行き場の無い感情の処理の仕方がわからなくて、自分のネガティビティを、自分よりも弱い対象物にぶつけることでしか発散できないっていうちゃんとした動機がある。
子供の未熟な精神性では、自分の感情を内部だけで処理する能力は、まだ育っていない。
だから、安易に外に出して発散しようとする。
コレは別に子供が弱いと言うわけではなく、成長の過程で、徐々に内部で処理する能力を養っていけばいいだけで、
問題なのは、大人たちが、そういう子供の行き場の無い感情を見逃したり、行き場の無い感情の存在を子供たち自身に気づかせるように導いていないのがいけない。


■感情に気づかせ、整理する力を育てられる環境を大人が与えて欲しい


子供たちが自分の感情を自分で把握で器用に成長するためには、大人たちが外から「あなたは、あのとき辛かったんだね。だから、それを暴力で解消しようとしたんだと思うんだけど…」
と、子供たちが自分の感情の存在としっかり向き合える環境を大人は提供するべきなんだ。

2012年11月1日木曜日

境界性人格障害 どう接する



Q.43歳女性

境界性人格障害と診断された友人女性との付き合いに悩んでいます。
個人攻撃がひどくなり、怒ると「見捨てないで欲しい」と泣かれます。

どのように接するべきでしょうか



A.大野裕 国立精神神経医療研究センター認知行動療法センター長


境界性パーソナリティ障害は、気持ちが動揺しやすく、人間関係が不安定になったり、自分を傷つけるような行動を繰り返して、生活の支障が出たり本人が苦しんだりしている場合に診断されます。

その人の気持ちの動きや行動の特徴をみながら診断しますが、その特徴が一時的に現われているのではなく、思春期の頃からずっと続いていることと、類似した場面だけでなく、多くの場面で見られていることが前提になります。



境界性パーソナリティ障害の治療は、うつや不安が強い場合はには症状を和らげるために抗うつ薬や抗不安薬などを使います。
動揺しやすく傷つきやすい性格には、つらさに共感しながら、直面している問題を解決する力を育てるカウンセリングが役に立ちます。

パーソナリティはすぐには変化しませんが、年単位で治療を続けると、徐々に変化して、性格の特徴は残っても、大きく動揺することは減ってきます。





境界性パーソナリティ障害の人は気持ちが動揺しやすいために、周りの人が対応に苦慮することが多いのですが、
それだけつらいのだということに共感しながら、直面した問題を自分の力で解決していけるように手助けしてください。

しかし、問題を解決するのはあくまでも本人です。

また、ご質問の場合のように、気持ちの動揺が激しい場合には、主治医に相談するように進めていただくのがよいでしょう。





※一度、治療を勧めて、「私は病気なんかじゃない!!」って感情が起伏した場合には、距離を開けるのも一つの得策。それは決して、人間味が薄い人という意味ではない。





2012年10月29日月曜日

タトゥーとピアス、は一種の自傷行為




◇変身願望の具現化は自傷行為



タトゥーとタバコと(耳以外の)ピアスは、自傷行為の一種だと思っている。
(ただし女性に限る)

この3つのうち、2つ以上が該当していれば同時に、リストカットと摂食障害なんかもかなりの確率でセットになっている気がする。

マイルドな自傷行為でひみ留まってくれればいいが、いわゆる精神疾患と呼ばれるものへの入り口になっている気がする。



■統計的に、タトゥーとピアスは一種の自傷行為という印象


自己嫌悪(変身願望=現在の自己否定)を感じていなければ、日本には文化としてのタトゥーは根付いていないので、タトゥーを彫ったり3箇所以上のピアスをあけることはファッションの域を越えているといえるだろう。ただ、自己否定をして変身願望を実行したということは、「新しい自分で再スタート」という決意の意味も多分に含まれているとも、いえるのだが

現在の自分を否定するはずだったのに、ある地点を迎えたときには、「タトゥーという傷跡」が蓋だけと言う悲しい結末が待っているのだけれども…。

 

2012年9月21日金曜日

激安チェーン店で接客を求めるな!!




◇安いのは何かを削っているか

らに決まってますよね??


「お金を持ってる人はお金を使ってサービスを受けることを知ってるから例えば
 居酒屋で、居酒屋レベルを超えるサービスを求めない。
 お金を持ってない人は高いレベルのサービスを知らないから
 単純にお金を払ってる方が偉いという態度に出て居酒屋などでもすぐにクレームをつける




 

■人に掛かるお金をカットして値段で勝負してるんです


汚いトイレも、崩れた売り場も、愛想のない店員も、すべて値段に反映されている。
固定費(人件費・立地・車内教育)を削減して値段を優先して提供しているって事をお客がわかっていないと
対人関係療法の考え方で言う「役割期待の不一致」が起こってクレーマーが増える。

そう考えるとクレーマーってのは無知な人の事だ。

300円均一での料金に含まれる接客サービスなんてのは
せいぜい、「料理がこぼれないように厨房から運んできてくれる」程度のもので、
愛想とか丁寧さなんか含まれて居ない。

そういうのをカットして300円なんだから。

それをさも、「お金を出してやっている」みたいなのは
ちっちゃくて、引いちゃうよね。
一緒にお客としていくときでも恥ずかしくなっちゃう。
悪意のない無知が一番怖いし、一緒に行動したくない。



 

■期待値が喜びや怒りになる

私たちが人の行動に対して「うれしい」とか「不愉快」と感じるときの
基準はなんなのでしょうか。
それは自分が相手に抱いている「期待値」なのです。
「期待値」と比べて相手の行動やリアクションが物足りないと
それが不満になり、
高いと満足度が上がる。




■「自分は困っている」ということが怒りのメッセージ


怒りは「自分は困っている」ということを知らせてくれる感情です。
つい怒ってしまっときで、
自分が困っていなかったときなど、なかったはずです。

自分が不利益を被ったり、自分が傷つけられたり自分が窮地に立たされたりするような何かがあって、
「自分は困っている」ということが、「怒り」が伝えてくれるメッセージなのです。




■現実的な期待を心がけるだけで優しくなれる


「現実的かどうか」という視点は、
クレーマー社会でクレーマーにならないためにも
クレーマーに心を殺されないためにも、とても役立ちます。

例えば、「他人と大人同士の話をしている時に、自分の幼児ばかり言いにくる子供にイライラする」
という状況を考えて見ましょう。
話を中断されるのは確かにイライラしますが、
でもそれを単なる「イライラ」ですまあないで、
「自分は子供にどういう期待をしているのだろう」と考えてみてください。
すると、そこにある期待は
「大人同士の話の空気をよく読み、きりのよいところで必要最低限の用事を話しかける」
というものであることに気づきます。
こんなことを小さな子供に期待するのは明らかに非現実的ですよね。

 

■クレーマーは無知かウサ晴らしをしたい人

「何にお金を払っているのか」という仕組みに無知な自分を棚に上げて
いい大人が「お客は神様だ!」と威張っているのは、なんとも病人っぽいですね♪

2012年8月30日木曜日

事情を認めてもらえた人は他人にも優しくなれる



◇現在は過去の積み重ね。それぞれの「現在」を否定しない


共感性は、人を癒すだけでなく、変化を引き起こす上で最大の鍵を握っている。
相手の気持ちを汲むという態度が人を動かすのだ。
もしも、相手を思い通りに動かしたい上司や
大切な人がまずいループに入っているのをどうにかしたい場合(ニート、無職なども含む)には
相手の現在を否定することなく「共感」してあげることが大切である。




■「変化を起こすこと」と「を変えること」の違い


患者に安全を提供するためには、
患者のありのままを受容する必要がある。

治療というのは変化を起こすためにすることであって、現状の何かしらを否定しなければ
変化に向けての動機付けが得られないのではないか、ということだ。


ただし、実際には、変化を起こそうと思うのであれば、相手を変えようとしないことが重要だと
私は思っている。



人間にはそれぞれのプロセスがあって、変わるとき(変化の準備ができているとき)には変わるし
それ以外のときには変わらない。
変化を起こすためには、そのプロセスを妨げる要因を除去することくらいしかできず、
治療とは基本的にはそういうことを提供する場なのだと私は思っている。



■変化は現在を肯定されることでしか起こらない!


人はそれぞれ前進する力を持っており、
それがさまざまな要因(現在かかっている病気の症状や誤った情報による悪循環など)によって
妨げられているに過ぎず、本来の力を引き出せる環境を作れば、
人は自然に前に進むものなのだ。


これは私の臨床経験から、また、臨床外の人間観察から、そして自分自身のことを考えても
事実だと思っていることである。


反対に、「替えようとすること」は、一般に逆効果である。

変えようとすると、かえって抵抗を強めてしまい、変わりにくくなることが多い。
これには、いろいろな理由が考えられるが、
最も大きなものは「変えようとする事」=「現状に否定的なジャッジメントを下していること」だと
私は考えている。
現状を「よくないもの」とジャッジしていなければ、変えようとしないはずだからだ。
否定的なジャッジメントを下されたときに、
私達はやはり傷つくものである。


それ以上否定的なジャッジメントを下されないように、自己防衛として
「変わったように見せる」ことはあるが
それはもちろん本質的な変化なのではなく、
むしろ「変わったように見せること」にエネルギーをとられてしまい、
回復のプロセスは停滞か後退してしまうだろう。

「変えようとすること」の、もう一つの問題は
コントロール感覚を損ねる効果を持つということである。わせてしまうだろう。




人を変えようとしないことが、変化を起こすことに繋がる。

2012年8月27日月曜日

聴き上手な人は否定が大嫌い

 

 


◇聞き上手≒相手を尊重する、ので…




『聴き上手な人は頑固者が多い』とは植木先生の著書の言葉。


なるほどなぁ~と思わされた。
聞き上手の要素としては色々あるのでしょうが、「肯定」と「共感」は必須。

つまり、「その相手の価値観を尊重している」のであって、
根底には「それぞれの価値観は否定されるべきでない」と思っている節があるはずで
否定されるべきでないのであれば、自分の価値観も否定されるべきでないと思っているはず



だからこそ、
相手の話に「共感」はしているが「同感」を示しているのではない事は、
その証左である。



相手の意見に自分の意見をぶつけるのは聴き上手な人のすることではないはずで、
相手の価値観(意見)を否定しないというルールは自分にも適応されるのであれば、
自分の価値観を頑固に曲げないこと、周りからのアドバイスを右から左に流す特性があっても、
なんら不思議ではないだろう。

2012年8月12日日曜日

自分自身に居場所を見つける



お盆で帰省してきた旧友との語らい。

学生の時から、自己分析癖と客観性優位の価値観が何かと馬が合って
人生について話すことが多かった彼女の話。












■他人の評価で生きようとしてきた…





いままでずっとやってきたことは
どこかで他人に合わせて、他人の評価で生きようとしてきた。
みんなが自分に期待することをやらなきゃと思ってきた。
ボーイフレンドとも彼に合わせようよ必死にしてきた。

だけど、気づいたのは、大切なのは、
自分自身に生きることが一番大切なんだって。

だから、ここからは、
周りはもう気にしないで
自分が「これでいいんだ」と思う生き方をしたい、と語っていた。



☆☆☆



なんだか、生き方が下手というか、
自分の居場所を見つけ難い彼女だったんですけど
自分自身に居場所をみつけていくのであれば、
今度こそ、持っている幸せになる権利を十分に発揮することが
出来るんじゃないかなぁと思いました。



友達と話していると自分の考えが見えてくる。

「そういう考え方もあるなぁ」
「その経験を、プラスに捉えちゃうんだ」












☆☆☆










心と心を突き合わせられる相手、鏡のような存在との語らいほど
自分探しの瞬間は無いんだなぁと思った。


「見た目」を気にする病気になる人たちは
リアルな人間関係が少ないらしい。

これは病気にまでは至っていない人たちについてもいえることです。

もちろん、表面的には、それなりに人間関係がある人も多いのですが、
それが「本当の人間関係」であることは少ないものです。
「本当の人間関係」というのは、自分の気持ちを伝え、相手の気持ちも聞き、
心のレベルで交流が行われるもの。
自分をある程度オープンにしてさらけ出すことによって、
相手も気持ちをさらけ出してくれて、そこにつながりを感じるとき、
私達は「受け入れられている」と感じるものですし、
相手の事ももっとも受け入れやすくなります。

2012年8月2日木曜日

乗り越えてしまえば、みんな良い思い出に



>>
この瞬間のために何千時間 費やしてきたのが
知りたいから

すぐに迷い すぐに嘆き
すぐに疲れたふりして
嘘もついてきたけれど

この一瞬のための何千時間 壁は自分だった
今わかったこと
この瞬間のために 失ったことも多いけど
確かめたくて

この一瞬のためだけじゃないんだ
続きはまだあるんだ
探してたこと
この先で見つけられるかな
<<
『Moment』SMAP
Words&Music:山口一郎









◇悲しい物語は最終回まで辿り着けばハッピーエンド




■辛い記憶の方が多い気がするのは?



人間って言うのは基本的には
辛い記憶を良く覚えている。

というのは、そうしないと生存できないから。
辛い記憶ってのはどういうことかっていうと
結局は自分にとって危機なこと。
同じ状況に出くわさないために
危機になることを、より強く覚えている。

人生で良い事って思い出さないと思い浮かんでこないが
辛い記憶はむしろ、出てきて欲しくないときほど、勝手に浮かんでくる。

 

■辛さは楽しい思い出に


おじいちゃんとかおばあちゃんをみると、
ぽーっとしていて、幸せそうに見える。

色んな経験をしてきているはずなのに。

めちゃめちゃ大人な、おじいちゃんおばあちゃんたちを見ていると
もしかしたら、長く人生を積み重ねてきていると、
辛い思い出なんかなくて、乗り越えてきた今となっては
全て良い思い出になるのかもしれない。

最後までやってきた人にとっては
辛い思い出なんかないのかもしれない。

辛かったときの話を聞きだして
若者にお説教しようとしたって、
辛い記憶なんかないんだから、大人の目録は外れる。

 

■途中でやめなければ、みんな、ハッピーエンド


結局、過去って存在していない。
実は未来も存在していない。
絶対に確実なのは、この現在でしかない。

で、辛い過去も
それを乗り越えてプラスの経験と捉えられたら
現在の僕は、その過去を見て、
「あの過去のおかげで僕はこうなれた!」
って言えるのかもしれない。

もし、自分の中で過去の問題を乗り越えられずに、引きずっていたり、
乗り越えていないせいで今の自分が幸せでなかったら、
過去を見て、「あの時のせいで僕は幸せではない」
って思ってしまう。

現在の主観でしか過去は存在しない。

過去は変わらないっていうけど、もしかしたら、
現在を豊かにしていくことで過去は変わっていくかもしれない。

過去の自分の辛かった経験に意味づけをしてあげれれる、すなわち、
救ってあげられるのは、ここにいる自分でしかないのかもしれない。

そう考えると、辛すぎることも、いつかの自分が
今の自分を救ってくれる日が来るまで、僕達は
走り続ける必要があるのかもしれない。

 

■「それでも、生きていく」より



なんのために、悲しいお話があるのか。
悲しい話ばかりで逃げたくなる。だけど、逃げたら、悲しみは残る。
死んだら、殺したら、悲しみが増える。


増やしたくなかったら悲しいお話を書き足すしかないんだ。


「楽しくても、つらくても、幸せでも、悲しくても、生きることに価値があっても、
 なくても、今日が始まるんだなって」



○辛かった自分を救ってあげられるのは幸せな自分だけ

2012年7月21日土曜日

「後悔している」の素晴らしさについて



 

 


◇「あのとき、ああしておけば…」と思える幸せさ











■「後悔をする」の大前提にあるもの

人生の重要な選択をするときに、
AとBとCの道があった。
それでAを選んだ。

優しくて良い夫になりそうなA君と結婚したけれど、
お金持ちで安定を与えてくれそうだったBさんを選んでいたら?
一緒に居ると楽しい超絶イケメンのCさんとあのまま付き合っていてたら?


これが後悔ってこと。

「後悔をする」の前提には
「自分の意思で選択した」という能動性が必須のはず。




■選択権(意思)のなかったところに後悔が生じるわけがない

後悔ってのは自分の意思で自分の進む道を決めてきた人、あるいは
選択肢の中から自分の意思で決めることが出来た人生を送って来たの人の特権。

選択権がなかった人間が後悔などできるわけがない。
後悔などあるわけがない。

だから振り返ってみて、「あそこは、あっちを選んでおけば…」
っていう後悔を持てる(持っている)人生は素晴らしい。

 

■後悔=幸せ

もしも「後悔していることがある自分」を
カワイソウだと思っているなら、それは、なんてオメデタイ思い違いなのだろう。
「後悔している」っていうのは「自分の意思を反映させることができた経験」なのであって、
プラスに捉えることはあっても、忘れたい過去なんかでは、あるはずがないはずで。




病気や自然災害に抗えきれなかった人たちに
後悔なんかあったものじゃないでしょう。

もしも、後悔を持つことが許されない人生にあるものあるとすれば、
何か(運命的なもの)に対する「恨み・憎しみ」が存在するだけで。
選択権(自分の意思)を働かせることができない側の確率に
自分が当たったことに対する何かへの怒り、それだけだろう。

だとすると、後悔を持てる人生は、幸せなんじゃないかしら。


2012年7月1日日曜日

どこに向かっているの?



>>
曇り空、泣くな
まだ、ここは、通過点で

<<
(大塚愛さんの曲;題名忘れた)










○今日のベジレディオの小話の感想


■この先、どうするの??

日本では外国人旅行者に
「どこから来たんですか?」
と尋ねる。

アメリカでは外国人旅行者に
「どこに向かっているの?」
と尋ねるらしい。







この話を聞いて、日本人(僕)は
確かに、どこから来た(相手の過去から)という情報から
相手を知ろうとしているなぁって思った。

相手の行動の動機を過去から聞き出そうとするのは間違ってはいないのだろうけれども
もしかしたら、今居る場所は「通過点」であって、
「これからどこに行きたいか?(どうしたいか?)」ということに関心を持っていくほうが
相手との距離が縮まるかもしれない。


それは、もしかしたら、日本という「孤島」であるのに対して
アメリカという「連なった大陸」であるという風土の差も
寄与しているのかもしれない。
日本には「日本に旅行に来ている」という”閉じた”感じがあるけれども
雄大な大陸で生きていれば、その場所は「通過点」であると想像しやすいのかもしれない・





■ここ(現状)は通過点


今ある場所は「通過点なんだ」…って、
なんだかかっこいいけれども、
そういうふうに思っていなきゃ、やってらんない事ばっかりだよ、ここまで。

ただ、ちょっとうまくいかない状況も
行きたい場所へ行くための通過点なんだと思うしかないって時もある。

そうしたときに、そういう人たちに、あるいは自分自身に
かけるべき言葉は
「どうして、ここにいるの?」ではなく
「これから、どこに行きたいの?」…なのかもしれない。

歩みを阻む最も危険な自問自答は
「なんで、こんなところで、こんなふうになったのだろう?」
という類のものであることは実体験からも明々白々なのである。

2012年4月1日日曜日

DVを受ける女性が逃げ出さない理由



◇DVはお互いに境界線が引けていないカップリングでしか起こりえない








■自分の気持ちをコントロールできないのは誰の責任??



DVを受けた女性が、怒っている男性から「俺を怒らせる気か!!」と
責任転嫁され、暴力を振るわれる、という構造。



「俺を怒らせる気か!」という言葉は
たいへん興味深い言葉だ。
なぜなら「怒らせる」という表現は
「相手が自分の気持ちをコントロールしている」と言っているわけです。



実際には、同じ状況で
全ての人が怒るわけではない。
怒っているのは男性の感情コントロール力の欠如なのであって
女性側が外側から刺激を与えたのは事実だとしても
それを”大人の男性”として処理できない「男性側の問題」


恋人や妻には何の責任もない。











■相手との境界線が引けない

この「怒らせる気か!!」という客観的には理不尽な関係性も
DV被害の女性は「私が悪かった、私が怒らせた…」と受け取ってしまう。
本来は相手の問題であるはずのものを
自分の問題として引き受けさせられる。

ここに、支配と支配される側というカップリングが
成立してしまう。

健康的に自他の境界線が引けている女性であれば、
「怒っているのは、あなたの勝手でしょ!」と言って、
暴力的な男性のもとから離れていけば良いだけの事。

健康的な人間関係を気づいている人と言うのは
相手と自分との間にちゃんと境界線をひけている。

境界線を引くと言うのは
「これは自分側の問題なのか、相手側の問題なのか」を
考えるということです。










◇まとめとして




■社会的立場はそこそこあっても3歳児の男性たち


心理学的に考えると
家庭で暴力を振るう男性は
だだをこねる幼児と似たようなものですが
大人で経済的な力も握っているために
妻を怯えさせて支配してしまうのです。
社会が、これまでは男なら手が出ても仕方がないといった
価値観で男性の暴力を容認してきたという問題もあります。

それにしても、
なぜ男性はそれほど「男らしさ」にこだわるのでしょうか。
女性は「女性らしさ」を社会から押し付けられている、と
感じている場合が多いのに
男性は自分から「男らしさ」を求め、
その理想に従っている場合が多いように見える。


男性たちが家庭環境の中で自分をコントロールすることを学んでいないのは
事実でストレスとの付き合い方は苦手なようです。
だから、何かストレスがかかると誰かに転嫁したり、
うつになってしまったり、
自分を責めて自己破壊的な(薬物への依存や自殺のような)行動を取ったり
してしまうことが多いのでしょう。

大人になったとき、ストレスにさらされたとき、
人間関係に悩んだとき、
仕事がうまくいかなくなったとき、そんなときにどう行動するかという基礎は
その人の育つ過程・環境の中で育まれます。
たとえば
母親だけが子育てに関わっていて母子が密着して生活することになる核家族は
思春期以降の男性にとってアイデンティティを確立することが
難しい家族の形なのかもしれません。

2012年2月25日土曜日

自他の境界線があいまい=パーソナリティ障害



■アイデンティティ混乱の時代




自他の境界があいまい=パーソナリティ障害傾向

ネット社会やカメレオンのようにその場その場での適応を求められる
時代の流れなのか、ここに居る自分を自分だと思えない状態を
抱えている人たちが増えているらしい。

今の世の中って何が[大衆性]があって何が[公]なのかであるのと同時に、
何をもって[個]なのか[私]なのかの境界線が曖昧というか定義できなくなってきてると思う。

社会と自分、自分と自我は別物なのか。


これはパーソナリティ障害と呼ばれる精神疾患だけど
ひどくなると、多重人格者みたいなことが起きてくる。
つまりアイデンティティの喪失なのだ。



















■他者は自己愛補填の道具か



一方、自己は他者の集合体なので区別しないほうがいい。
他者を自分のように扱えれば
世界は愛で包まれる、という解釈もある。

どんな人間でも絶対に自分が一番かわいいので
自他の境界線がなくなるのは愛の原資になるかもしれない。

ただ、他者を自己だと思うということは
自己を満たすために他者は存在している、と思い込んでも不思議で無いという状況が
生まれる。

これもまた、パーソナリティ障害の一部である
”自己愛性パーソナリティ障害”と呼ばれる人格傾向の
特徴の要である。

トルストイが述べるように
自分を愛するように他者を愛するのは素晴らしいことだけど、
他者は自分を幸せにするべき、という考えに張ってしない限りにおいて
子の思想は有効なのではないだろうか。