2012年7月21日土曜日

「後悔している」の素晴らしさについて



 

 


◇「あのとき、ああしておけば…」と思える幸せさ











■「後悔をする」の大前提にあるもの

人生の重要な選択をするときに、
AとBとCの道があった。
それでAを選んだ。

優しくて良い夫になりそうなA君と結婚したけれど、
お金持ちで安定を与えてくれそうだったBさんを選んでいたら?
一緒に居ると楽しい超絶イケメンのCさんとあのまま付き合っていてたら?


これが後悔ってこと。

「後悔をする」の前提には
「自分の意思で選択した」という能動性が必須のはず。




■選択権(意思)のなかったところに後悔が生じるわけがない

後悔ってのは自分の意思で自分の進む道を決めてきた人、あるいは
選択肢の中から自分の意思で決めることが出来た人生を送って来たの人の特権。

選択権がなかった人間が後悔などできるわけがない。
後悔などあるわけがない。

だから振り返ってみて、「あそこは、あっちを選んでおけば…」
っていう後悔を持てる(持っている)人生は素晴らしい。

 

■後悔=幸せ

もしも「後悔していることがある自分」を
カワイソウだと思っているなら、それは、なんてオメデタイ思い違いなのだろう。
「後悔している」っていうのは「自分の意思を反映させることができた経験」なのであって、
プラスに捉えることはあっても、忘れたい過去なんかでは、あるはずがないはずで。




病気や自然災害に抗えきれなかった人たちに
後悔なんかあったものじゃないでしょう。

もしも、後悔を持つことが許されない人生にあるものあるとすれば、
何か(運命的なもの)に対する「恨み・憎しみ」が存在するだけで。
選択権(自分の意思)を働かせることができない側の確率に
自分が当たったことに対する何かへの怒り、それだけだろう。

だとすると、後悔を持てる人生は、幸せなんじゃないかしら。


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