2013年3月2日土曜日

「ショックを受けるだろうから、言わなかった」




◇大切な相手ほど言えないことが増える…


人間同士が深く付き合おうとすれば、
どうしても衝撃的なことを伝えなければならないタイミングというのもあります。

よく、「ショックを受けると思わなかったから言わなかった」「心配をかけるから言わなかった」という気づかいをしている人をみます。
しかし、それは、「相手の領域」を「自分の領域」で勝手に判断してしまっている「境界線問題」の典型であると言えます。


たとえ、衝撃的な事を告げられたとしても、その衝撃を受け止めて乗り越えていくのは相手であって、
発言者はあくまで、伝える時点までしか責任を持たなくて良いのです。

伝えた後に「相手が困っている様子を見たくない」というのは「自分の領域の問題」ですし、「伝えたら相手が困ってしまうだろう」というのは、「相手は衝撃を乗り越えられない弱い人間」という決めつけを”勝手に”行っているのです。


それはつまり、相手を信じていない、ということ。

自分の基準で、目の前の相手が「どれくらいの衝撃なら耐えられる人間」ということを決め付けるのは、
相手を思いやっているのではなく、勝手な予想をしている妄想家のやることなのです。



人間には、多少とも関係のある話について知って対処する権利があります。


「もっと早く報告してくれていたらうまく対処できたのに」
「もっと早く教えてくれれば余計な心配をせずにすんだのに(心配をかけまいとして何かを隠すと、どこか不自然な歪みがでてきてかえって、相手に心配をかけることもある)」
などと、相手に思われせるのは、よい「気づかい」ではありません。

少し複雑になりましたが、人間は逞しい動物なのです。
ショックを受けるのも、心配するのも、人生の一つの要素で、そういうことを1つ1つ体験しながら人は成長していくものです。
そして多くの人が、それらをちゃんと乗り越えて生きていく力を持っています。


「ショックを受けると思うから言わない」「心配をかけると思うから言わない」という姿勢が
「相手の領域」についての決め付けだという意識は持っておく必要があります。

その上で、「安心の提供」が無理なときにもできる「気づかい」があります。
それは、「安心を脅かす要素」を減らすこと。

たとえば、「心配をかけるかもしれないけれども、重要な話だからしておきますね」と前置きすれば、
相手はそれなりに心の準備をすることができます。
どういう心構えで聴けばよいのかがある程度わかるからです。


心の準備もないときに突然聴かされることが、衝撃をよりひどいものにします。
ですから、話の内容としては「安心の提供」が不可能なものであっても、「前置きすることで心の準備をさせる」ことによって、「安心を脅かす要素」を
減らすことが、立派な気づかいになるのです。

 

■あなたの「助けて!」を待っている人が居る!


産後に過食症になった志保さんは過食嘔吐の繰り返しのため、
産まれた子どもと落ち着いて向き合うことも出来なくなってしまい、
行き詰った挙句に外来を受診し、私の勧めで夫に症状を打ち明けることになりました。

志保さんは「そんなことを知られたら夫に嫌われる」と強く抵抗しましたが
育児にも支障をきたし、どうにも身動きがとれなくなったため最終的に観念しました。

志保さんが驚いたことに
夫は大変心を込めて話を聞いてくれて
「そんなに大変なことになっていたのに、どうしてもっと早く話してくれなかったんだ
 一人で抱えて、つらかっただろうね」と受け入れてくれました。

そして、一緒に治療に取り組んでくれることになりました。

志保さんは「こんなことを知られたら嫌われるだろう」と思うような
気持ちを少しずつ夫に打ち明け受け入れてもらう、というプロセスを積み重ねていきました。

そして、以前の「何も言えずに抱え込む」パターンからはずいぶん成長して
夫にはだいたいのことを受け入れてもらえると言う信頼感を持つことができました。








■勝手に憶測して関係を悪化させる


親しい人との関係では「相手の事くらいわかっている」という思い込みが強いため、
相手の言動について「なぜそうしたのか?」ということの確認を怠っている場合が
とても多いものです。

たとえば
妻が熱を出して寝ていたとき帰宅した夫が様子も見に来ないで
テレビを見てビールを飲んでいた、
というような場合「熱を出して寝ている妻への配慮も無い。自分の楽しみばかり」と妻は怒りを感じたけれども、
よくよく夫に聞いてみると「起こしては悪いと思い、静かにしていた」というようなこともあるのです。

この場合、妻の様子を身にか無かったことが夫なりの配慮なのであり、
それがわかれば妻はきがすむかもしれないし起こされても良いから様子を身にきて欲しい、ということになるかもしれません。


いずれにしても怒るような状況ではない、ということがわかるはずです。



こんなふうに、ちょっと聴いてみれば現実は全く違って、
実は何の問題も無いのに
確認を怠ったために不和が作り出されてしまう、
ということは案外多いのです。

では、私たちはなぜ確認を怠るのかというと
もちろん、「わかっている」という思い込みもあるのですが
それ以上に、自分にとって不愉快だった体験についてあれこれ話したくない、という気持ちもあるからです。

ネガティブなことについて話したくないという人は多く、
それは自分がさらに相手に失望して嫌な気分になるから、という場合もあれば
相手の非についてとやかくいうと相手が怒りだすのではないか、
ということが心配だという場合もあります。
あるいは、自分がそんな「小さなこと」と気にしていると思われたくない、
ということもあります。

しかし、「ずれを埋める」という目的を考えれば
やはり確認はしたほうが良いのです。
また、「小さなこと」に見えても、
その不満は蓄積されていき
関係性そのものを損ねていくのですから、
決して、「小さなこと」ではない。







■うつ病を抱えたときは他人の力を信じられなくなる


うつ病の深刻な症状に自殺願望があります。
これは本当に命に関わることであるので、
軽視してはいけないものです。


うつ病で自己評価が著しく下がった患者さんがよく抱くものですが
「自分が生きていることが迷惑なのだから、死んだほうが相手のためになる」という
間違った思い込みなのです。


家族は一瞬、悲しむかもしれないけれども、
すぐに自分のことなど忘れて幸せな生活に戻るだろうと
本気で思い込んでいる人は少なくありません。


そういう人には、まず、こちらの期待していること、
「何をしてもいいけれども、とにかく生きていて」という思いを強く伝えましょう。
あまりにも患者さんが頑固で
「それは本音ではない図。本当は死んで欲しいと思っているのだろう」と
言い続ける場合には、もしも患者さんが自殺をしてしまったら自分は一生自分を責め続けることになる、
ということを伝えてもよいでしょう。


これは「相手を視野に入れる」というやり方であるとも言えます。


患者さんを失うことを思えば、今の苦労など何でもない、ということを強調しましょう。
そもそも、誰よりも苦しんでいるのは患者さん本人なのであって、
家族ではない、ということも伝えましょう。


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