2013年4月10日水曜日

「あなたの評価」よりも優先すべき存在が…




若年妊娠の子が「母親学級受けたくない」と話してて、
理由をきくと「『あの子遊んでたからこんなことになって』という視線が辛い」。
虐待なんかの話題では「子ども産む資格のない鬼母」扱いされるわけだけど、
こういう子を孤立させて支援から遠ざけていくのは社会そのもの。




という文章を読んでの感想。










◇自分の評価 > 子供のために生きる


確かに、社会的な風潮として「10代そこそこでの妊娠」=「遊んでいて節操の無い女性」とみなされることもあるだろう。
そういう社会的プレッシャーが母親になるために必要な準備から女性を遠ざけてしまうと言う面は否定できないだろう。

しかしながら、今回、疑問に思ったのは「周りの視線が辛い」から「母親学級受けたくない」という女性側の傲慢さだ。
「あなたが周りから同評価される」かよりも「生まれてくる子どものために学ぼう」という自己犠牲のような感覚を持たなければ、いけない段階なのではないだろうか?

我執をしている場合ではない、のだと思うのだけれども…







 

 

■自分より大切にすべき存在が出来たんですよ?


そんな、「あなた(母親)が周りからどんな風に思われているか?」なんてことよりも、「生まれてくる子のために学べることは学んでおこう」っていう思考にシフトできなければ、子育ては失敗に向かうんじゃないだろうか。「この子の為になるなら私への周りの声なんか気にしない」くらいじゃないとさ。


人間は「自分がある程度満たされていなければ、他人に尽くすことはできない」のであるから、本来は、ある程度、
自分自身が満たされたから、妊娠出産を迎えるべきなんだけど、現実問題として、この母親の場合は妊娠しているのだから、たとえ自分に満たされていない分があったとしても、それを一旦脇において、子どものためにできることを考えていくべきなのだ。


極端な話、「私の事なんかどうでもいいからこの子を幸せに育ててあげよう」という感覚が芽生えなければいけない段階であるのに、この母親は未だに「周りの視線が怖い」と、自分自身に対する評価の方を優先して、母親へのステップ(つまり子供中心の生き方)を放棄しようとしているのだ。









 

 

■自分を捨てる覚悟が培われているか!?


「周りの評価を気にする生き方」っていうのは、
そんなに簡単には是正させることはないだろうけど、それでも親になるんだったら、自分の評価よりも大切にしなければならない事があるんだ。

「遊んでいる女」という烙印を押されたとしても守っていかなければならない存在があるんだ。


「自分の事を捨てる覚悟を出来るくらいに満たされてからでないと、母親になるステップを拒む」のであれば、
やはり10代での妊娠出産は避けるべきという結論が出てきてしまう。

とはいっても、「自分がいかに幸せになるかが生きている意味」という人間は、いつまでたっても、
自分を捨てるという事を出来るようにはならないと思いますけどね。








 

■他人が気になる貴方へ

「周りを気にしすぎる人」っていうのは周りの思考を悪い方向に妄想して勝手に落ち込んでいるんだ。
「私の事を悪く思っているに違いない…」っていう根拠のない確信を持っている。


でもね、他人は他人の事なんか気にしてないんだよ。びっくりするぐらい、あなたの事なんか眼中無いんだよ!
他人の事など全然どうも思ってなくて自分の事で頭が一杯なんだよ!!


といっても、「他人の顔色をうかがいながら生きる」という生き方は、簡単には是正できないので適切な治療が必要なので、本を読むでもいいしカウンセリングを受けるでも良いので、「他人に嫌われないために生きる」という苦しい生き方パターンを手放してください。



※「自分に自信がない人」は「他人の評価を気になりすぎる」傾向にあります。












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