2013年4月26日金曜日

女性の社会進出は本当に幸せか





○第一部





◇金銭的な支えを女性が担うことは幸せか



【「稼げるキャリアウーマン&専業主夫」という夫婦モデルは幸せになれるか】



結論を言ってしまえば、私は「金銭的な支えを男性が担って女性は男性に上手に支えさせてあげる」という男女関係が最も幸福度が高い男女パターンなのではないかと思っている。
(ただし、子どもが居る夫婦の場合には、そうとも言いきれないとも思う)









まずは、引用を4つ示したい。







引用①


「ほら、沙美、いつか言ったことがあるだろう。『自分にとって都合のいい男と、愛する男が一致するとは限らない』って」

「よく覚えてるわね」

「そりゃそうだよ。プロポーズをいつするか悩んでいたころだもの。なあ、そりゃ自分のためにエプロン締めて夕飯つくって、風呂沸かしてくれる男はそりゃ都合いいさ。
 だけど、沙美、そんな男好きになれるか?」

沙美は小さく首を振る。

「そうだろ。だからオレぐらいにしておけ。オレだってたまにはめしぐらいつくるし。それに…」

ちょっとそこで口をつぐんだ。

「誰よりも沙美のことを愛しているんだからさ」


(コスメティック 林真理子 小学館)









引用②

二年前に会社を辞めて絹子の収入を支えに暮らしはじめたときに、面倒くさい諸々の義務や規範と一緒くたにそんなものは窓の外へ放り捨ててしまったのだ。
だがそれは、絹子という存在自体を、その経済的価値以外は余所(よそ)へうっちゃってしまうに等しい行為だったのかもしれない。
要するに、自分のようにさしたる理由も無く自らのプライドを引き下げてしまうと、自分と関係する人間たちの誇りをもないがしろにしてしまうのではないだろうか。


(見えないドアと鶴の空 白石一文 光文社)








引用③


116:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/24(水) 12:49:33.81 ID:E4pWusD10
 >>103
>そのときは彼女のためにと必死で
 >それどころじゃなかったような気もする

具体的に何したの?
 彼女を養えるよう努力した?
 
131:>>1:2013/04/24(水) 12:57:01.58 ID:fUOncG+D0
 >>116
経済面では貯金をちゃんとして、残高も聞きたそうなタイミングで見せてたよ。
あと、ストレスとプレッシャーに弱い子だったから
 マッサージ覚えて、アロマのセット買って、会話術の本買って、
 可能な限り笑顔を絶やさないようにしたよ。
 


74:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/24(水) 12:36:52.80 ID:lEbgYISMP
 全くもって依存しすぎだな、自律しろハゲ
自分の存在意義を相手にゆだねるから鬱陶しがられるんだよ
自分がない人間なんかと一緒にいられるわけねーだろ気持ち悪い
 ただ単に相手に尽くして依存することと、好きになることは違う
 
103:>>1:2013/04/24(水) 12:44:49.19 ID:fUOncG+D0
 >>74
そう思うよ、だから失敗したんだろうね
 

http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3762137.html





引用④

「女性からのプレゼントで男は幸せにならない!? ?」


脳科学評論家、澤口俊之によると、本来プレゼントは男性から女性へのみである。

高額なプレゼントを与えることは、
自分がこれだけお金を与えることができる、自分の財産を誇示するために行っている。

本来の贈り物は男性から女性のみで逆はない。
女性から男性に贈られても、男性は幸せにはならない。

男性は女性に比べ、プレゼントでは幸福感は高まらない傾向がある。
プレゼントを貰うと嬉しいかも知れないが、嬉しさと幸福感は別モノである。
幸福感は持続するもの。
貰った瞬間は嬉しいとしても、幸福感とは別である。
















 

 

■男性の愛は与えるもの、女性の愛は感じるもの




上記の4つの引用から私が考えたのは以下の事だ。



・「自分(家庭)を支えるために金を稼ぐ女性」を男性は本当には愛せない。
・「自分(家庭)を支えるために金を稼がない男性」を女性が好きでいる事は出来ない。




ありていな事を言ってしまえば、「男性は誰かを愛することに幸せを感じ、女性は誰かに愛されていると感じることが幸せに感じる」みたいな古びた理論が深く関わっているんじゃないかと思った。


そして、女性が「私はこの人に愛されている」と最も感じられる要素は「稼いだお金をくれる」ということなのであって、別に「疲れている時にマッサージをしてくれる」ことではないのではないかということ。

「マッサージをしてくれる男性」より「マッサージにいけるお金をくれる男性」にこそ、「私は愛されている」と感じることが出来るのだと思う。




だから、引用③の彼は、捨てられた。
彼女をサポートしようと必死に努力したが、捨てられた。
その理由の最たるものは女性にとって「私をサポートしてくれる男性」というのは「私が自由に使えるお金を化成毛くれる男性」ということだからにほかならないように思えてしかたがない。





また、引用④が真実だとするなら、「女性が稼いだお金」で贅沢な生活を送れるとしても男性の心の底では、不満が蓄積していくのではないかと思う。

「稼げる能力がある自分」というプライドももてないし、そもそも、「女性からの贈り物」でどれだけ豊かになろうとも弾性は幸福にはならないと澤口先生はおっしゃっているのだから。





男は愛を与える相手、愛を与えてくれる相手が喜んでいる姿を見てこそ、本来は、幸福感を感じることが出来る生き物なのではないだろうか。





オスが狩りをして、メスが洞窟で子どもを育てる。男が働いて女が家庭を守る。
女性にも働く権利を!という時代から、女性も働かないと社会が廻らない時代になってしまったいまとなっては、
実は猛烈サラリーマンと専業主婦という家族モデルは生物学的に考えたときに凄く幸せなパターンだったのではないかと。



男性が女性に守ってもらう(心の支えも守ってもらうことになるだろうがここでは、金銭的な意味で。)というのは男も女も、もうお互いを好きになり愛し尊敬もできないようになってしまうのかもしれない。 












 

 

■子どもがいる時には男女ではなく夫妻になるから…


ただし、子どもが居る場合は役割分担が逆になるだけなので家庭生活はおおむね満足できるものになるのかもしれない。
「子どもを育てる」という役割の中で夫婦という男女関係から「お母さん、お父さん」という「性を超えた役割分担を担う合い関係」に関係性が移行するので、
「男女という関係」という役割は子どもができれば終わらせることが出来る。
そうなれば、子どものために稼ぐのは誰であってもかわない。なぜなら「子どもを育てていけること」が家庭の最重要遂行任務になるからだ。

ただ、モーレツサラリーマン&専業主婦のときのモデル並みに父親が子育てを行うことが子どもの発育にハンデになるのではないかという懸念は残る。
シングルファーザーで最初から育てるのではなく、お母さんが存在している状態でお父さんに農耕に育てられる子どもは、ちゃんと育っていくことが出来るのだろうか…。

いつも犠牲になるのはか弱き存在だ



















○第二部




しかしながら、「女性が稼いで男を養う男女関係は幸せになれない」と結論付けるには、
もう一つ考えなければならないことがある。



それは、「ヒモ」と呼ばれる男性の存在である。




ダメンズと高給取りの女性という構図は、まったく珍しいものではない。
彼女達は「私の彼、ちっとも働いてくれなくて困ってるの~」とまんざらでもない顔で愚痴という体裁でノロけていることがある。
そして、「彼、私がいないと駄目なの」と恍惚とした表情で、しっかりと一家の大黒柱としての働きを全うする。

この組み合わせは、まさに「幸せな関係なのではないだろうか?」
「稼がない男性」にこそ、愛を感じている女性がいることも事実なのだろう。









引用①


くるむ?@k0r0m0x0  
ヒモのなりかた 
「これぐらい俺がやるよw ○○いつも頑張ってるからさ、俺といるときぐらい休んでて良いよw」 
「今日元気無いね、どうしたの?おいで」
「俺さ、お前がいないとダメだ。お前しかいないんだよ・・・。」 
この3つが言えればなれる。らしい。 
1年ヒモやってた友人が言ってた。
https://twitter.com/k0r0m0x0/status/156623061934800897







引用②

昨夜はリアルヒモメンと遊んできた。同棲してる彼女に家賃と食費を払ってもらっている強者だ。
さらにこのヒモメン、二股三股かけまくる。とても器用なのだ。なんというか、そういった類いの女性を見抜く千里眼を持ち合わせている。
ヒモは才能ですね。母性本能くすぐれるかどうかなんで、そこら辺僕、うまいと思います。天性のものです。
http://matome.naver.jp/odai/2135076937445318201











引用③




なんで看護師の旦那ってヒモみたいなのが多いんだろう?
 
   

539: 名無しさん@HOME 2010/06/13(日) 02:27:28 0
なんで看護師の旦那ってヒモみたいなのが多いんだろう?
みんながみんな、ってわけじゃないだろうけど、
知人友人に看護師が4人いるんだけど、
その旦那たちが揃いも揃ってヒモに毛が生えたような連中でさ
皆見た目だけは多少よくて、でも生活能力は限りなくゼロに近く、
自分が楽して遊んで暮らすことばかり考えてる
中には自分の親と同居させて、自分は遊び三昧、
でも看護師の奥さんには「親がいるから子供も産めてよかったろう」って、
恩着せがましい事言ってる
看護師してる知人友人達も、なぜか皆示し合わせたように、
「この人、アタシがいなきゃダメなのよ」と言って奴隷してる
奴隷したいならすればいいと思う、それで自分が幸せなら
けど、「この人(ry」って言うなら、深夜に電話かけて愚痴らないでくれ、と思う

550: 名無しさん@HOME 2010/06/13(日) 10:57:16 0
くらたまの「だめんずうぉ~か~」に載ってたけど、
疲れた感じの病棟看護師は、十中八九だめんずらしい。
やっぱ>>539の下から3行目みたいなことを思っちゃうんだって。



540: 名無しさん@HOME 2010/06/13(日) 02:54:01 0
うーん、両親が看護婦+ダメリーマン(ヒモじゃないけど、低脳で仕事が 致命的にできない)の組み合わせだけど、稼ぐ能力のない男は稼ぐ女の 匂いにはすっごい敏感。
 自分には稼ぐ能力がない男には、寄生先(稼ぐ女)を見つけないと
死活問題だから必死になるんだろうね。



544: 名無しさん@HOME 2010/06/13(日) 08:09:06 O
看護介護職は献身的な精神がないと勤まらないよ。
 頼られるのを当たり前な仕事についてるから、私生活でも頼られる→
面倒をみる→ヒモや依存型知人をつくりやすい、んじゃないかと。
あと基本が女職場だから、他の女よりいいものを、少しでも早く、があると思う。
 入院してた大学病院のナースたちを見てそう思った。

551: 名無しさん@HOME 2010/06/13(日) 11:11:23 0
…あたしがいなきゃダメな男は、誰がいてもダメな男です。

553: 名無しさん@HOME 2010/06/13(日) 11:38:01 0
>>551
名言だw

554: 名無しさん@HOME 2010/06/13(日) 11:40:19 0
>>551
男にしてみりゃ「面倒見てくれるなら誰だっていい」程度の認識だろうしねー

563: 名無しさん@HOME 2010/06/13(日) 15:29:10 0
>>551
「あたしがいなきゃダメ」=「自分がいてもダメ」とどうして思えないのか。
http://sutekinakijo.com/archives/23483949.html








 

■お金で寂しさが埋めている?


「わたしなんか、生きている価値がない」というような、人間としての根本的な自己肯定感が欠損している女性は、
「男性を支えられる私」という役割を得る事でイキイキと生きることができるようになる。

思うに、自己肯定感の欠損を埋めるには「誰かに頼りにされる自分」を感じることが必要なんじゃないだろうか。

「お前は頑張っている」「お前が居ないと駄目なんだ」「お前だけが頼りなんだ」

このような外側からの承認を浴びていないと自分を保てない女性が、最も低コストで、この言葉達を得るために「ヒモ男」の存在が欠かせないのではないだろか。
そして、その言葉を浴びている時は幸せ…なんだけど、「夜中に電話で愚痴る」と引用に書いてあるように、「幸せなんだけど何かが違うんじゃないかしら…」という言葉に出来ない不満がジワジワと蓄積されていくのかもしれない。


きっとダメンズ好きな女性が、本当に必要なのは「愛されること」なんだろうけど、残念ながらダメンズたちは「金を持っていてオレに使ってくれる女性」が好きなのであって、
別に特定の誰かを愛しているわけではない。だから、彼女達が欲しい分だけの愛情を得られる事は多分、ないのだろう。
だからこそ、ダメンズから逃れられない…というループも生み出すのかもしれない。























◎最後の結論ーー禁断の【男性不要論】



そんなことを考えていくと「女性は男性から愛(自由に使えるお金)をもらっているということに最も愛されていると感じることができる」という仮説は、
概ね成り立ってしまうのではないかと思った。

おそらく、この先、女性の方が収入が多いことは、当たり前の世界になっていくだろう。
社会経済のために男女の愛が犠牲になる時代なのかもしれない。
なぜなら、『稼げる女性が増えることは男女関係を幸せに導くか?』という命題の答えは「ノー」としか言えないと思うからである。


そして、ぶっちゃけた話として、「お金を稼ぐ役割を女性が担ったら、男性という存在は、何のために存在するのだろう?」という男性不必要論にまでつきささってしまうのではないかと懸念している。



出産は女性にしかできないし、子育ても子どもが女性を求める。
有能な男性は社会を豊かにするために奔走する役割があるだろうが、社会的な貢献をしない(する能力が無い)男性たちは、家庭というコミュニティを支えるための稼ぎすらなくなってしまったら、いったい、何のために存在するのだろう…




以上の事を踏まえると、
「モーレツサラリーマン&専業主婦」という高度成長期モデルは、最も幸福感が高かった時代だったんじゃないかと…。
そして、社会経済のために愛は擦り減っていく…「最後に愛は勝つ」は、女性の社会進出によって脆くも崩れ去っていくんじゃないかと…。



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