2013年4月19日金曜日

喪失体験機会の喪失





◎結論

喪失体験の欠如→心の弱さ→直面化を恐れる







「叱ったときの反応がいちばん違うんですよね。きびしく叱ったとき、昔の生徒は反抗してきましたが、最近の生徒は、反抗はしないのですが、こちらの叱責を正面から受けることができないのか、いつもクニャクニャして、視線が合わないんです」


「叱ったときに反抗する子は少ないですが、そのかわりに視線があわない。
 こちらの叱責を正面から受け止めないので、聞いているか聴いていないのかわからない…」




「このままじゃ、論文が間に合わないぞ」と大学院生に指導すると、
ほとんどの学生は、視線を合わせず、視線をそらして、直面化をさけようとするのです。


緊張感に耐え切れないがゆえの現象なのです。
(あなたのお子さん、このままでは大変なことになりますよ 諸富祥彦 アスペクト)







 

 

■喪失感に不慣れな現代っ子



平成っ子は…

・死が身近でない

核家族化によって、昨日まで一緒に生活していた人がこの世からいなくなるという体験
(おじいちゃんおばあちゃんが死ぬ)という経験を得る機会が圧倒的に少ない。(死に意味があるとしたら、生きている人間にし人間が死ぬことの意味を遺すことだと思っている)


・動物は死なない。
犬猫が殺される現場を見る機会が無い


・ファミコンのセーブは消えない。
理不尽に(自分の力が届かない場所で)一瞬にして積み上げてきた努力が消え去ってしまうと言う生きていく上で起こりうる理不尽さを体感できる機会の減少。











○まとめ


人の死とかゲームデータのセーブとか、なるべく人生の早い段階で「自分の努力ではどうにもならない」摂理みたいなものを学ばせるべき。

コンピューターは自分の望んだ結果が出るけど人生はそうではないんだよ、と。
コンピューターは命令すればその通りに動いてくれるけど人間あるいは人生は、こっち側が正しいことをしても結果がそれに伴うことはとても少ないという事を可能な限り10地位頃からちょっとずつ津免疫をつけさせる。

これも教育なのではないだろうか。

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