2013年4月13日土曜日

フェミニスト誕生の1事例の展開



「男になんて期待しちゃ駄目。男のやることにいちいち傷ついたりしちゃだめ」
「男に人生を左右されたりしちゃだめなんだよ」

(砂の上のあなた 白石一文) 


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■自立した女性に憧れる。精神的にも経済的にも。


お金が無いという理由で男に縛られる。
そういう女性にはなって欲しくない。
結婚はいつでも離婚できる準備が整ってから、するべきだ。







母親は専業主婦だった。私が小学生になったころからはパートだった。
金銭的に不自由をしていたわけではないが、
母親は、父にお金と言う鎖で縛られているように僕には感じられた。
お金さえあれば、経済的自立さえ出来ていたなら、
母親は苦しんでいるように、生活をまもるためだけに、
自分を殺して父親からの支配を逃れたのではないか。

そう思うと、母の忍耐力は素晴らしいと尊敬しつつも
世の中のこれからの女の子には
母のような女性にはならないで欲しいという思いも在る
だから、自立した女性が生きやすい=憧れるのだ。


対照的に、台所に居るときは母親をやっているわけで
子どもとしての期待が捨てきれない。
そして母親を思う。
だけど母親は娘がいないかのように作業にふけっているだけで
なんの交流も生まれない。

その状況では、娘には自分の気持ちを体験する余裕なんてない。
身体だけ、そこにあるっていう感じの母親をみて、
ほんとうにこころを持ちながら生きているのかどうか不安になったのかも知れません。


愛情の無い夫にお金(あるいは世間体)で縛られていた母に強烈な同情と哀れみを感じていたことが、
俗に言うフェミニストを生み出す一つの背景なのではないか?と自分の経験からは思っています。














 

 

■仕事という言い訳を盾にする父



母に同情とペアになるのかもしれないが、父は家庭には居なかった。
いや、居るんだけど、居ない。


仕事をしていないと人間としての価値がない。
仕事をして、給料を得てはじめて、社会から承認されると思っている。


男の子は身近な男性をモデルにして
アイデンティティを形成する
知らずに、仕事以外には
何も無い、仕事をすることで人間としての情緒的な交流を回避しようとする生き方を
取り込み、踏襲していた。


父は仕事人間だった。
いや、仕事が好きワケじゃない。仕事を真面目にするという生き方以外に
何もすることがなかったのだ。
そして、人間的交流を避けていた。人間と会話を嫌っていたわけじゃない。
ただ、情緒的な交流が全く行われていないのだと思った。

父親を嫌いつつも、そういう価値観を受け継いでいる自分が怖い。











 

■所詮は支配された選択



大学ではなく就職をしようとしたとき、
「私は大学に行かなかったから、同じ思いをさせたくない」と言われた。

嬉しかった。


だけどよくよく考えてみると、自己愛の補填だったのかも。

自分が出来成ったことを預けられただけで
僕がなぜ進学ではなく就職したいのか、全く汲み取られていなかった。

親の大きな期待というのは
親の自己愛、とくに傷ついた自己愛、の再生である。
それゆえ、親から投影された自己愛をひきずったまま思春期。













 

■我が子を不幸にするために生まれさせたくない





親が生活を持続するための仕事、生活を送るために必要な資源を得ることに生きることに必死だった反動なのかおかげなのか生きることを常に考えるようになった。


生活の糧を得ると言う意味での仕事は尊敬に値するくらい熱心だったが
親として、一人の人間として、生きること(難しいけど心の満足と言うか)の仕事をしていなかった。



仕事と言う自分と向き合わずにただただ働くだけの姿を見てきたせいもあるかもしれない。



生活と言う仕事は完璧だったかもしれないし感謝をしている

ただ変わりに温度のある人間関係の仕事をまったく受け継げなかった。
温度のあるものに触れなかった、とも言えるかも知れない。。





結局、結婚にポジティブなイメージがないのも
子どもを全くかわいいと思えないのも、
そのくせ、たまーに強烈に子どもが欲しくなるのも
後遺症なんだと思う。しょせん、投影同一化によって本当に助けたいのは
子どもの頃の自分って事。












 

 

 

■but I never had you,




Mother, you had me but I never had you,
I wanted you but you didn't want me


子供の頃から 母親という人に親密な感情を覚えたことは無かった。
我がままを言ったり甘えたりした記憶もない。

いや、物質的なことについては望みを伝えて事はあったかもしれない。
ただ、人間的交流を求めた記憶は皆無。


私にとっては決して気を許すことのできない常に緊張を強いられる存在だった

もちろん献身を疑ったことはない
むしろ人並み以上に構われたほうだと思うくらいだ
母親の落胆した顔を見ると幼いながらに罪悪感を覚えた。



期待に添えないことで自分を責めてきた
多くは無意識だったのかもしれない
しかし本人に自覚がないだけ かえって抜け道が無かった


子どもという存在が苦手なのも、
自分が子どもを産むことに関心がないのも、
とどのつまりは長年にわたって両親の不仲を見せ付けられてきた
後遺症のようなものなのだ、と私はそのときにはっきりと 悟った。









 

■子どもを自己愛の道具には絶対しない




>>
「子育ては親育て」などと言われていますが、私は「子育ては親の癒し」だと思っています。
多くの親にとって、子どもとの関わりは無条件の愛情を与えてもらう、人生で初めての機会となるからです。
実は、子どもを持つということは、自分を無条件に愛してくれる人を持つということ。
子どもは育っていく存在であると同時に、不完全な親を見守ってくれる愛の存在でもあるのです。
<<
(怒らない子育て 水島広子 青春出版社)



子どもを嫌うのも
過度に子どもを欲しがるのも結局は後遺症なんだよね。

子どもを作って幸せにしてあげようとするのは
一見、種の保存の本能を持っている人間として健全だけど
なんだかんだで投影同一化なんだよね。
子どもを幼い頃の自分に見た立てて救ってあげようとしているだけ。
本当にその子どもの望む幸せを援助してあげようという気持ちじゃないし
子どもを機制として利用して産むんだからどんなことがあっても
幸せを応援してあげることは出来ないんじゃないかな。

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