2013年4月9日火曜日

真面目=柔軟性が無いだけ





真面目というのは他人を疲れさせる。ただ頑固ということだから。
(不自由な心 白石 一文 角川書店)










 

■他人と融合できないと孤独になる



真面目な性格とは、響きはいいですが、真面目すぎるのも問題です。


まず自分を苦しめることになります。
人によっては他人にそのまじめさを強要して、つきあいにくい人と思われてしまうこともあります。


自分のすることに手抜きができなかったり、すべて完璧にこなさなければ気がすまなかったり、
自分の決めたルールで自分を縛って苦しくなったり、決して良い面だけではありません。



しかし、仕事や勉強では、まじめな人は一生懸命しますから、ある程度いい成績や成果は出せることでしょう。

約束の時間や期限をきちんと守り、友達の約束も果たしますから、人からも信頼されるし、いい面もたくさんあります。
長所と短所は表裏一体なのです。


しかしならが、人間は分かっていても正しさを実行できない場面に多々直面しながら生きていくものだ。
真面目(ルールや道徳に忠実)な人は、他人の弱さ(ルール道理に生きれない人間)を許せないので他人から距離をとられてしまう。
そして、なにより自分に厳しいルールを課しているから安らぎを得られない。






 

 


■真面目というトラウマ


30代の男性、栗太さんは暴力的な父と兄の下に育ちました。

母親は父の暴力から逃げ出しており所在も不明でした。
自分たちを捨てた母親を憎んでいた。


父は経済的な安定だけは与えてくれましたが家では飲酒しており
気に入らないことがあるとすぐに手が出ました。

兄も父にとても似ており父から暴力を受けると
その鬱憤をそのまま栗太さんに向けてきました。




兄に殺されるのではないか、と思ったこともあります。
栗田さんは警察官になりました。
正義を行う仕事がしたかったのです。



組織の規律は厳しかったのですが
栗田さんが生き抜いてきた家庭環境からすればどうということはありませんでした。



警察官という仕事には栗田さんは、全般にうまく適応したと言えます。
問題が起こるのは、より個人的な関係においてでした。






もっともうまくいかないのは女性との関係でした。


栗田さんは温かい家庭を持ちたいと思っており
強い結婚願望を持っています。


相手に全般的によく尽くすのですが
少しでも相手の行動に自分への愛情を疑わせるような点が見えると怒りが爆発してしまうのです。


たとえば、栗田さんが嫌っている他人の事を
「でも、あの人もなかなかよいところがあるわよ」などと
言われた程度で恋人を殴ってしまうこともありました。



また、全体に嫉妬深く相手が何をしているのかを
いつも知りたがりました。

メールをしてすぐに返事が無いと浮気でもしているのではないかと思い、
応答があるまで何度も電話したり、相手の家の前で帰宅するまで待って居たりしました。


そんな彼の様子を最初の頃こそ「愛情の強さ」と感じてくれる相手も
だんだんと不気味さを感じて交際を続けられないと言うこともおおいのですが 
栗田さんは「別れたら翌日の新聞を見れば、俺の事故死のニュースが載っているだろう」
などというので相手も別れにくくなってしまいます。




それでも別れる相手には
「お前がどれほどひどいことをしたか、一生忘れるなよ」
などと脅すようなことを言い、
あいてをますます怯えさせてしまうのです。







***



栗田さんは仕事においては問題なく社会適応は良好です。

しかし、親しい関係を作るうえでは大きな問題を抱えています。
いわゆるDVタイプです。


全般物事をはっきりさせたがるタイプで
それが警察官という職業には適しているとことがあります。

しかし、人間を敵か味方に識別する考え方は
親しい関係には不向きです。




栗田さんは相手が自分の味方だと思っているうちは尽くすのですが
ひとたび「敵」を感じさせられると態度が豹変します。


また、敵かどうかを知るためには
相手がぎょっとするほどしつこく迫るのです。

これらの「敵か味方か」「善か悪か」という二分法が
自らのトラウマを反映したものだと言うことに
栗田さんは全く気づいていません。
栗田さんは自分が育った環境が劣悪だったと言うことは
よく承知していますし、
だからこそ温かい家庭を築きたいと思っているのですが
自分の感じ方や行動パターンにトラウマの影響が
これほど現れていると言う自覚はありません。



敵か味方かをはっきりさせる自分のやり方が極端だとは思っていませんし
そうしなければ、この世は生きていけないと信じています。


栗田さんのこの感じ方のずれは
そのまま、彼にとって、世の中は依然として「戦時下」だということを示しています。


確かに彼が育った環境は「戦時下」と呼ぶのにふさわしいところでした。


そのときに作られた症状を無自覚なまま引きずっている彼にとって
人間は全般に信頼できないものだけれども自分の味方であることを
あらゆる面で明らかにしてくれる人だけが味方なのです。


自分が嫌っている人間の事を
「でも、あの人もなかなかよいところがあるわよ」などというのは許されない利敵行為であり
そんな人を自分の私生活に置くことなどはできないと
感じられてしまうのです。



「あまりにも狭量」と感じられる栗田さんの言動も
こうしてトラウマ症状として考えると理解可能なものになります。

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