2013年4月15日月曜日

自己嫌悪は自分勝手な行為



自己嫌悪とは自分の罪をかみ締めることの出来る良心的な人間のように思えるが実は、
自分勝手で自己中心的な人間が行う行為だと思っている。



なぜかというと2つの理由がある。






一つ目は「悪かった」と思うことで許してもらおうとしている点だ。



「私が悪かった、私が悪かった、私が悪かった」と自分の世界に閉じこもって周りからの非難をシャットアウトしようとしているのです。


本当に反省をしている人は、自分が直すべき点についてもしっかり耳にいれ、自分の非を改善しようとする。


しかし、自己嫌悪という防御を行う人は、「私が悪かった」という免罪符を盾に、「何が、どう悪かったのか」ということを受け入れようとしない態度なのだ。





二つ目は、「自分が悪かった」という「反省している自分」で物事が完結すると思っている点だ。



たとえば、仕事で自分のミスで取引先に迷惑が掛かったら、現実な対処をしなければならない。
荷物が届いていなかったら、荷物とトラックの現在地をしらべて最短で届けるにはどうすればいいかと考えなければならない。
取引先の取引先が怒っているのなら、謝罪に向かわなければらない。

なのに、自己嫌悪に酔っている人は、こうした現実に困っている取引先のことをまったく考えられてない、
つまり自己中心的な人間なのだ。



自己嫌悪をしている人が自分を責めたところで、誰も喜ばないし何も解決しない。



やるべきことがあるのに「自分が悪かった」と思うことによって、全てが解決されると思っているのだ。

相手のために出来ることをしようとしないのもやはり自分勝手な人間の行うことと言える。













 


■怒ってしまう自分を責めても、何のプラスも無い



子どもをつい怒ってしまった後に自分を責めてしまう、という人は多いもの。
感情的に子どもを怒ることがよくないというのはほとんどの人が知っていますし、できればやりたくないことでしょう。
また、つい怒ってしまう自分は親として器が小さいと感じてしまうものです。

でも、自分を責めることは、実は何のぷらすにもなりません。
自分を責めるときには、「子どもに対して悪いことをしてしまった」と思ったりするので、あたかも子どものことを考えているように感じられますが、実はそうではないのです。



自分を責めてしまうとき、私達が見ている先は「だめな自分」だけ。
その間、現実の子どもにはむしろ意識が向かなくなってしまうのです。




子供は目の前にいるのに、
そのこを見てあげるのではなく、「悪い事をしてしまった自分」ばかり見てしまうのは寂しいもの。
親が自分を責めてしまうと、目の前に居る子供は取り残されてしまうのです。

子育てにおいては、「子供の現在を診る」ことがとても重要です。
そして、子供が見て欲しいのは、常に「今の自分」なのです。
つい起こってしまったときこそ、子供をちゃんとフォローしてあげたいもの。



どうすることが子どもにとって最もよいのか、ということを考えるためには、
「今の子供」を見てあげる必要があります。





自分を責めている場合ではないのです。








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