2014年2月12日水曜日

「メダル獲得は日本人として誇らしい」への違和感




他人の功績で自分が高まった気分になれないのは悲しい性分なのかもしれない。





■あなたは何も成し遂げていない!


なぜ、他人の実績で自分が高まったように喜べるのか。
国際的なスポーツ大会やワールドカップ、あるいは甲子園なんかの時期に、いつも思ってしまうこと。



誰かを応援したくなる気持ちは分かる。
その人が活躍すればこちらも嬉しくなる気持ちも分かる。

ただ、その人が活躍したからって応援している側の人間は何も成し遂げていないはず。
それなのに、なにか、自分自身さえ何か実績を残しているかのように騒げる人たちが羨ましくもあり蔑んでみたしまう部分もある。


もっと、自分自身に帰属した事柄で充足感を感じればいいのにと思ってしまう。



日本人だから、出身校が一緒だから、地元が一緒だから、移籍する前に地元チームに在籍していたから…
そういう人たちが実績を上げれば、なんとなく親近感を持って応援したくなる気持ちまでは理解できるが、
その人たちの実績に応援する側の人たちがプライドみたいなものを預けてみても、応援する側の人間は何も成し遂げていない。

そういう偽物の達成感に自分自身を預けている限り、永遠に誰かの実績に乗っかってしか自分を満たすことが出来なくなってしまっていて、
そういう意味でスポーツが生活に欠かせないものになっているとしたら、何て悲しいことなのだろうと思ってしまう。

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