2013年3月15日金曜日

自傷行為に救われる人、希死観念に発展する人





◇自傷行為→希死観念


「生きるための切る」「生きていることを確めるために自分を傷みつける」
という体験談が多い。
そして、この言葉通り、自傷行為は基本的に「生きるため」に行われると信じている。

ただ、残念なことに、自傷行為はいつしか希死観念に発展し、本当に自殺を達成されるまでに運んでしまうのだ。

だから、自傷行為が救いであるうちに、有用な対処をすべきなんだ。










■自傷の原因は


自傷行為のピークは思春期から20代。
30代になれば感情を処理する方法を見つけていることが多い。
自傷行為の原因はさまざま。

誰かに拒絶されたり、見捨てられたり、失望されたりするのがこわくてコントロールできないくらい不安を抱えてしまいます。

すると、どうしようもない恐怖が襲ってきて、
不安はますますつのり、マヒ状態になったり、空虚感にとらわれたりします。

自分の感覚に感情が感じられなくなる。
そうならないために自傷するのです。



 




■効用の代表例


・緊張や不安を和らげる
・抑うつ状態や空虚感からのがれるため
・ぼうっとてい自分を見失っている状態から逃れるため
・これまでの虐待的なパターンの続き
・強烈な苦痛を和らげるため
・身体の自己コントロールをとるため










■自殺の危険の高い人の心理



・極度の孤立感

この孤立感は、最近になって発病した精神障害の影響で生じたという場合もあるのだが、
幼い頃から永年に分かって抱き続けてきた感情であることも少なくない。

実際には家族も居るし、友人や知人も大勢居る。

しかし、その中で絶望感を伴う深い孤独を感じ続けてきた。
周りから多くの救いの手を差し伸べてられていても、
この世の中で自分はひとりきりであり、
誰も助けてくれるはずは無い、という深い孤立感を抱き、それにいよいよ耐えられなくなっている。











・無価値感

「私は生きるに値しない」「私など居ないほうが皆が幸せだ」といった感情も、
うつ病をはじめとする精神障害のために、最近になって生じている場合もあれば、
幼少期から強い絆のある人からのメッセージとして永年にわたって受け続けている場合もある。

最も不幸な例は児童虐待を経験した人である。

「生きることさえ許せれない」という絶望感に圧倒されてしまっている。
そして、本人も無意識的に周囲の人々をあえて刺激し、挑発することによって、
自分を見捨てるように振舞うことさえ稀でない。










・強度の怒り

自殺の危険の高い人は、絶望感とともに強烈な怒りを覚えている。
これは強い傷うなのある人にむけられている場合もあれば、また、他者に対してそのような怒りを
覚えている自分を意識することで、かえって自分自身を責める結果になっている場合もある。

窮状をもたらした他者や社会に対して強い怒りを感じていたのが、
何らかのきっかけで、それが自己に向けられると、急激に自殺の危険が高まりかねない。

他者に対する強烈な怒りはしばしば自分自身に対して向けられた怒りである。












・諦め

自殺の危険の高い人は、同時にさまざまな感情に圧倒されているのだが、
次第に、ありとあらゆる必死の闘いを試みた後に独特の諦めが生じてくる。

穏やかな諦めというよりは「嵐の前の静けさ」「台風の目」といった
不気味な感じを伴う諦めです。

「すっかり疲れ果てた」「もう何も残されていない」「どうでもいい」「何が起きてもかまわない」といった
感覚である。この段階に至ると、怒りも、抑うつや不安も、孤独さえも薄らいでいく。

このような諦めに圧倒されてしまうと、周囲からはこれまでの不安焦燥感が薄れて、かえって穏やかになってしまったととらえかねられない。

あまり敏感で無い人の目には、これまでの不安や焦燥感が薄らいで
落ち着きを取り戻したかのようにさえ映るかもしれない。












・全能の幻想


ある時点を越えると、唯一、今の自分の力でも、ただちに変えられるものがあると思い始める。
そして「自殺は自力で今すぐ出来る唯一の残された行為だ」といった全能の幻想を抱くようになる。

この幻想は、絶望感、孤立感、無価値感、怒り、諦めといったさまざまな苦痛を伴う感情に圧倒され続けた人にとって
甘いササヤキとなって迫ってくる。

この全能の幻想には、自殺という行為によって、ただちにすべてから解放されて、楽になれるという思いも伴う。

自殺を引き起こしかねない問題がなんであれ、
自殺の危機が直前にまで迫ったような人は
このような複雑な感情に圧倒される。











 

■コミュニケーションとしての自損行為


自損行為によるコミュニケーションは「私は困っている」というメッセージ。

このメッセージは不機嫌の原因、つまり「何に困っているのか」が特定されていない、漠然としたものである。
しかし、この漠然としたコミュニケーションは大変効果的にはたらくのである。

このメッセージを送られた周囲の人間はメッセージに込められた感情を解読しようとする。
不快の原因は何なのか。この予測をしてもらうことが胎児なのである。







 

■男性の自傷者


私たちの社会において、多くの男性は深い悲しみなどのつらい感情を吐露しない傾向がある。
最後まで助けを求めない人も居るだろう。


自傷行為は男性にも起こる。


もっとも、その頻度は女性ほど高くは無い。
女性は怒りの感情を内部に、
つまり自分自身に向けることが多い。

これに対して、男性の怒りの表現は
他人への身体的攻撃の形をとる傾向がある。








 

■安堵感を得るため


身体を傷つけるとエンドルフィンという自然の鎮痛剤が身体からでます。
ひどい怪我をしたときなどエンドルフィンが分泌され苦痛をやわらげてくれる。

自傷行為においても同じようにエンドルフィンが分泌されると、考えられている。



エンドルフィンが出ると気分が良くなりほっとして安堵します。
このことが自傷行為を続ける強い動機となり怒りの感情をあらわすためにリストカットをはじめて切ることで安堵感に感じたり、一種の陶酔じょうたいになれることがわかってくると何度も繰り返すようになる。


自傷行為によってしか喜びを感じられないという人も居ます。
普通の人より興奮や痛みを感じにくく、
自分をひどく痛めないと興奮しません。

自分が止めたいと思っていないのでもっとも治療しにくいタイプ。








■自傷行為の先


リストカットや摂食障害、不特定多数との安易な性行為などの自傷行為は「心の痛み」への
対処として行われます。

その意味では、自傷行為は生き延びるための対処戦略の一つと言えます。

しかしその戦略は、あたかも何らかの感染がもたらす疼痛に対して
鎮痛剤だけを漠然と投与する治療にも似て、あくまで対症療法にとどまるものです。


すなわち、鎮痛剤の投与は疼痛を緩和させ、生活を一時的に改善するかもしれませんが
その反面で感染の拡大にはまったく効果がなく、
痛みを感じないあいだに、身体は確実に死にむかって衰弱している可能性がある。

自傷行為もこれと同質の自己治療なのです。


だからこそ、再三述べてきたように
自傷行為そのものは自殺企図とは異なるものの、長期的には自殺につながる自殺関連行動なのであり、
「自傷行為は”生きたい気持ちの現われ”であるから放置して良い」という理屈は成り立たないわけです。



それでは、自傷行為を即刻やめさせ、原因に働きかける根治療法を行えばいいのかというと
そう簡単な話ではありません。


単に自傷行為をやめたからといって、それで「心の痛み」が消えるわけではありませんし、
将来における自殺の危険がなくなるといった単純な話ではないのです。
  




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