2013年3月5日火曜日

「自分はそこに居て良い存在なのか?」


『新しい仕事に就くと、いつも、「明るいね」「前向きだね」といわれる。しばらくは仕事も楽しいけれど、慣れてきてずっと同じ人と一緒に居ると自分がそこにいていいのだろうかと不安になり「居てはいけないのではないか」と思ってしまう。そのうち「もう辞めたら」と周りから言われている気がしてきて、それでいつも自分から退職した。』






◇「居てはいけない存在なのかな…」の定着


上記は久美さんという女性の話。

久美さん(29)は、虐待を受けて育った。
父親はアルコール依存症で機嫌が悪い時には久美さんに八つ当たりをした。
母親に助けを求めても何もしないか、「あんたが悪いからよ!」と突き放された。

こんな幼少期を過ごしていれば、他人を信じる土台は育たないし、「自分の身を守るために出来ること=他人の顔色を伺って機嫌をとること」という対人関係パターンが根付いてしまう。
だから久美さんは、他人の顔色を凄く気にする。
そして、他の人がすべて「お前などいなくなればいいの」と思っているに違いないという考え
が頭から離れないのである。





■他人の顔色でしか生きれない愛着スタイル

人の顔色をすごく気にしてしまう、気疲れしやすい。
「お前なんか要らない」と言われないか、いつも不安に思う。
対立したくないので、つい相手に合わせてしまう…



そういった対人関係に過敏な人は少なくないだろう。


一方、人と親しい関係になるのがわずらわしい。
結婚して縛られるのが嫌だ。仕事の付き合いはするけれど、それ以上の関わりはもちたくない。
このように対人関係が表面的で、深まりにくい人も増えている。




そうした対人関係のパターンを、知らずしらずに支配しているのが、
その人の愛着スタイルだと考えられるようになっている。



困ったことがあると、すぐ人に相談したり助けを求めたりする人。
逆に、どんなに困っていても、なかなか人にそのことを打ち明けたり、まして援助を頼むということが言い出せない人。
気軽に甘えたり、すぐ相手と親しくなれる人もいれば、何年顔を合わせていても、いっこうに距離が縮まらない人もいる。


こうした行動の違いを生み出しているのも、愛着スタイルなのである。




愛着スタイルは、他者とつながり、相手から慰めや支えを得ようとする行動面だけでなく、自分が助けや慰めを求めたときに、
相手がどう応じるかについて、どんな期待を持ち、どれだけそれを当てにしているかという心理的な面にも関係する。
親や配偶者さえ当てにならず、親しい人に助けを求めても傷つけられるだけだと思っている人と、親しい人はみんな自分の事を心配して助けてくれると信じている人とでは、
当然行動も違ってくるし、その違いは、親しい人との関係だけでなく、対人関係全般にも及ぶことになる。

安定した愛着スタイルの持ち主は、相手が助けになってくれると信じきっているので、実際にすぐに助けや慰めを求め、それを得ることができる。

しかし、不安定な愛着スタイルの人は、そんなことをすると拒絶されるのではないかと不安になって、助けを求めることをためらったり、最初から助けを求めようとしなかったり、
あるいは助けを求めても、求め方がぎこちないため、相手を苛立たせてしまったり、肝心な事を切り出せなかったりして、結局、効果的に相手から助力を得ることができにくい。





 

■親の子守をさせられた子どもは…


子どもは、親の顔色や気分を推し量り、的確に対処を行いながらも、
常に高い緊張状態に置かれると言うことである。
それは、親が安定している場合には強いられることのない緊張である。

親の雲行きが一瞬のうちに変わってしまうような場合にはなおさらである。
日々、薄氷を踏むような思いでくらすということになる。

そうした中で、
子どもは親の顔色や感情の些細な変化にも敏感になると同時に、
それに強く支配されるようになる。


子どもの行動は、自分がそれを行いたいかどうかよりもそれが親を傷つけてしまわないか
あるいは親を喜ばせるかという観点に依存するようになる。

ある考えが浮かんでも、それを気軽に口に出して話すと言うことはしなくなり、
それが両親の機嫌を損ねはしないか、傷つけはしないかと自分に厳しく検討を課し、
結局、何も自分の本心はいわないということになりがち。



これなら親も喜ぶだろうということしか口にしなくなる。
親の顔色に合わせてしかしゃべらなくなる。






■顔色を読んであげないといけない親

大人の顔色を読まなければならない環境で育つとなぜ境界線をひくことが難しくなるのでしょうか。

それは、「自分が相手にどうして欲しいのかを表現するのは自分の責任」という
考え方が身に付かない、からです。


親が「言わなくても自分の心を察して欲しい」というタイプの人だと
子どもは顔色を読むようになります。

また、親が感情的に怒るようなタイプの人でも
子どもはやはり親の顔色を読むようになります。


「自分が何をしたか」で叱られる子供は
自分の価値観と自尊心を育てることができますが
「親の機嫌がどうか」で叱られる子供は相手の顔色を伺うようになります。


それしか判断の基準がないからです。


親がアルコール依存症というような場合も同じです。
親がどのくらいアルコールの影響下にあるかで反応がガラリと違うからです。
いつ地雷を踏むのか分からないので
常に親の顔色を窺いながらビクビクしていなければなりません。

大人の顔色を読まなければならない環境で育つと、
なぜ境界線を引くことが難しくなるのでしょうか。
それは「自分が相手にどうして欲しいかを表現するのは自分の責任」という
考え方が身につかないからです。


相手の不機嫌が本当に自分のせいだったら
相手がそれを伝えるべきなのです。



うまく言えない人もいるでしょうがそれはその人の問題で
その人自身の課題として努力していく必要があるのです。

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