2013年3月4日月曜日

現在に不満があるほど過去に執着する


「弟の高校の卒業式の話を聴いていたら、感動したけど何か虚しさがこみ上げてきた…」という話を聞いたので、
そこで彼女に湧き上がってきた”虚しさ”について、少し考えてみたい。





◇転移する満たされない感情

彼女の母校は弟の高校と同じだったらしい。
で、彼女も関わりがあった先生が弟の担任だったらしい。
そして弟のクラス男女の仲も良くてワキアイアイとした雰囲気のクラスだったらしく、その話を聴いたときに
「私の時とは全然違うじゃん」「私の高校時代ってなんだったんだろう」と落ち込んでしまったらしい。


そして、「高校から、もう一度やり直したい」という思いが湧いていることを吐露した。



一方、現在に話を戻すと、彼女は大学生(21歳)で後期の単位で予想外の不可がたくさんあった。
そして成績の前から「私はこの学部の勉強に向いていない…」と落ち込み気味であった。

現役で入試を突破した彼女は、彼女の卒業式は、後期の試験が近いこともあり、感傷に浸る余裕はなかったという。









…以上の事から考察するに題名にもあるように「現在(新しい役割)が満たされていないほど過去(古い役割)に執着する」ということは人間の傾向として見て取れるような気がしている。



 

■マイナス部分が抜け落ちて記憶される


彼女は「高校をやり直したい」と言っていた。
たしかに、弟さんのクラスのように、男女が仲良くて先生とも友達のようなクラスの中で高校生活を送りたいという願望はすごく良く分かる。


しかしながら、よく考えてみたい。


高校に戻るということは、彼女から卒業式を奪った大学入試をもう一回受けること(受けるための膨大な勉強の時間)さえも、もう一度繰り返すことになるのではないだろうか?

このことは、「過去や思い出というのは辛い部分が抜け落ちて、楽しいことや嬉しいことだけを都合よく思い出して心を慰めてくれる効果」があるんだということがいえるのではないかと思った。

私達が「過去に戻りたい」「昔の友達に会いたい」「元彼・元彼女に会いたい」と思うときは、おうおうにして現在が満たされていないときなのではないだろうか?
そして、過去を思い出すとき、楽しさや嬉しさを味わうために払ってきた努力や犠牲、痛みについては、すっぽりと記憶から抜け落ちている。


■思い出は道しるべ


ノスタルジーな思いは酒のつまみとしては最高なのだけど、現在を乗り越えるために足かせになる場合もある。
たとすると、過去に心を温めてもらいながらも過去に飲み込まれず現在を進むためには「過去を思い出す時というのは自分の人生にとって分岐点になる様な大きなテーマの難題に立ち向かっているのだな」と、自分で自分自身を客観的に見つめることなのではないだろうか。



…大学生の彼女も、現在の自分の状況に納得がいっていない状態が続くほどに、きっと、過去の思い出を思い出して虚しさを思い出すことになるだろう。
ただ、現在がうまく廻りだせば、過去を思い出すことなどなくなり現在に集中することが出来るだろう。

届くはずも無いだろうが、彼女に伝えたいのは「過去に飲み込まれる」のではなく「過去を思い出している自分というのは分岐点になる様な現在地にいるんだよ」ということ。

思い出が示してくれるのは”道しるべ”なんだよ。



















そして、「現在が満たされないと過去に執着する」というパターンは逆もある。
現在がうまく行かないとかこのことを持ち出す、というのは過去が良い体験であっても悪い体験であっても、同じことなのだと思う。

以下に示す。


 

■パートナーの過去が許せない

よくあるパターンに
妻が夫の過去を責め夫は「昔の事を今更言われても仕方が無い」と言い、
妻はその対応に対して「開き直っている」と怒る、というものがあります。
これはある意味でどちらも正しいのですが
話が平行線になっているということは
それぞれが違うレベルで話をしているということです。

相手の過去を責めるというとき
私たちは過去の事そのものを責めているように見えるのですが実際は違います。

過去の事が許せないと思う気持ちには波があるものです。
基本的にはいつも許せないといっても、それが和らぐときと
特に強く感じられるときがあるはずです。


その「波」というのが
実は現在の関係性を反映したものです。


相手の過去が許せないという気持ちが「いつ」から強くなったか、何があってからか、相手が何を言ってからか、
ということに注目してみると、より最近の問題が浮かび上がってくるはずです。
最も多いのは同様のパターンのことが起こったときから、ということでしょう。


「やっぱりこの人は、こういう人なのだ」と思うからです。
そして過去のことを責められた側は
何と言っても過去のことは取り返しがつきませんから
「昔の事を今更言われても」ということになるのですが
実際にそこで問題とされているのが
より最近の出来事であれば
いくらでも改善が可能なのです。


ですから、過去の事が許せないと思うときには
それをそのままぶつける前に
何があってからその気持ちがつよくなったのか、ということを考えてみると効果的。






>>
千佳さんはかつてインフルエンザで高熱を出していたときに
夫が友人と飲みに行ってしまった、という過去が許せずに居ます
夫はそのことをすでに詫びているが
最近、その怒りがムラムラと湧き上がってきて
「だいたい、あなたはインフルエンザで高熱を出している妻を
 見捨てて飲みにいくような冷たい人ですからね」と夫にぶつけた。
しかし、千佳さんのこの怒りが強くなったきっかけを探してみると
それは近所の人とのトラブルについてそうだんしたときからでした。
そのときに夫が親身になってくれなかったことが
きっかけだったのです。
そして、親身になってくれない最も象徴的なエピソードであった過去の事を
強く思い出しました。
<<




この構造が理解できれば過去の事を繰り返し責められている人も
単に自己防衛するのではなく
「今、相手は何に困っているのだろうか」という視点を持つことができると思います。
どちらか一方が過去から抜け出して現在に焦点を当てるだけで事態は大きく変わるはずです。





 

■古い役割の欠点が小さく感じられる


これはDV被害者の支援をしているような状況でも頻繁に経験されることでがある。
それは具体例としては
一度は家を出るといったのに、また戻るという、という「行きつ戻りつ」は、
プロセスとしては理解できるとしても、
その現場で支援している人にとっては絶望感や無力感につながりうることであるし、
本当にプロセスの一部として是認してよいのだろうか、という不安も感じるだろう。


その「異物」感から、ジャッジメントを下してしまうことも少なく無いだろう。
しかし、そんなときにも「患者に変化を起こすこと」と「患者を変えること」の違いを
常に意識しておくと役に立つ。


「別れ」という変化を起こすためには、変化のための枠組みは維持しつつ、変えようとしない姿勢が
必要なのである。


具体的には、「変化することが必要だとは思うけれども」という前提を示した上で
「どんな感じ方をしても大丈夫」という安心感を患者に与えることである。
「別れることの必要性を患者が頭では納得した」という時点で
「変化することが必要だとは思うけれども」という前提は示されたことになる。
したがって、後は、「どんな感じ方をしても大丈夫」というところに専念していけばよい。
実際に、「やっぱり戻ることにした」と言ったときに、
「そう考えるには何か理由があるのだろう」という姿勢でじっくりと耳と傾けていくと、
患者は安定していくし、私の経験では、話しているうちに再び
「やっぱり出ることにする」と翻意したこともある。


逆に「やっぱり戻ることにした」といわれたときに
すぐに否定してしまうと、患者は抵抗を強め、ますます「戻る」方向に傾くだろう。

これは、考えてみれば当然のことで、「役割の変化」を進み難い理由の一つが
「新しい役割はネガティブなところばかりが目につき、古い役割はポジティブなところばかりが目につく」
ということである。



これは、変化の不安を反映したものであるが、
いざ変化しようとすると、新しい役割がとても難しいものに思え、
一方、古い役割の欠点が小さく感じられ、
「やはりこのままでよい」と思いやすくなるのだ。

ひどいDVを受けてきたのに、
いざ別れようとすると「昔は優しかった」などという記憶が優勢になるのはそのためだ。

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