2013年3月18日月曜日

どうか彼女達が自分を許せますように



◇「頑張れない自分を許せない」彼女達に救いと支えを




いろいろ不調で死にたい。やばい。体調悪いとメンタルも悪くなる。

死にたい。やばい。メンタルがどん底すぎる。

ほんとは1年くらい休みたいです。


どこでも浪人、留年してないからずっと止まってない。



Twitterにもリアルにもハイパーな友達が多い。
私はクズ。そういう感情自体が、病気なんだけどね。自分に価値が見いだせない。死にたい。これも病気。




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誰か彼女を救ってあげてください。
もうどれだけ頑張ってもがんばり足りないんです。自分を許せないのです。



どれだけ何を達成しても自分を許せない状態なんです…





とは言うものの、悲しいことに彼女を救うのはタイミングしかないのだろう。頑張れない自分を許してあげること、身体が完全に動かなくなること。このどちらか2つのタイミングが訪れるまでは、彼女は辛すぎる毎日を走り続けることでしょう。

どうしようもない場所までたどり着かないと分からないことがあるんだ。だとすると、限界と分かっていつつ自分を許さないことに大きく観れば意味がある。どっちにしろ、そこまでいかなければ次に進めないんだから




いつの日にか、どうしようもない状況(=本物の限界)まで走り抜けて辿り着いた彼女達を、
誰かが優しく受け止めて支えて欲しいと思う。
そして、立ち止まることが出来ない彼女が燃え尽きるまで走ることを、
遠すぎない場所で見守ってあげる存在もどうかあってほしいと思う。











 


■足りないと感じる心が、自分を苦しめる


「頑張りすぎ」とは、一言でいえば、「どれほど頑張っても足りないと感じてしまう心」のこと。

もう、十分にがんばったから、このくらいでやめておいてよいのではないか、とか、
他のことのバランスにおいて、これはこの程度でやめておいたほうがよいとか、
そいいう感じ方ができなくなるのが「頑張りすぎ」です。


ひとたびそういうモードに入ってしまうと、どれだけ頑張っても、
「もっと頑張るべき」「まだ頑張りが足りない」と思ってしまうので、心はどんどんボロボロになってしまいます。


これが最もひどくなるのが、うつ病になるときの頭の中です。


うつ病は確かに物理的な過労がきっかけになって起こることが多いのですが、
その際には物理的な過労だけでなく、精神的な過労が発症のプロセスを加速させていきます。
常に、「もっと頑張らなければ」という思いになってしまい、物理的には休んでいるはずの時間ですら、
頭の中は「もっと頑張らなければ」と仕事に追いかけられる、ということが起こってきます。



こんな状態では休息をとることができないので、どんどんエネルギーが消耗していき、うつ病になってしまうのです。

ですから、うつ病は「頑張りすぎ」の一つの結果だと言えます。






 


■「頑張りすぎ」をやめる=足りないと感じる心の手放し


一方の「頑張る」は、「自分ができるだけ頑張る」ということ。


頑張ると、達成感を得ることができます。
頑張りを「十分」と感じることができるのです。

たとえ目標に達していなくても「今の時点ではこれ十分」と感じることができます。


自分が望む方向に向けて努力し、自分には力があると感じ、
「今の時点ではこれで十分」と達成感を覚えられれば、自己肯定感も高まりますし、人生を豊かにするでしょう。



ですから、「頑張りすぎ」をやめるということは、単に「頑張る量」を減らすということではなく、
「どれほど頑張っても足りないと感じてしまう心」を手放すということなのです。


結果として、「頑張る量」も減ることが多いですが、そこに本質があるわけではありません。


実際に、ずいぶんたくさんの量を頑張っていても、生き生きとしていて、
全く心がボロボロになっていない人もいますね。


なお、このように見てみれば、うつ病の人に対して「頑張って」と励ましてはいけない、と言われるのは当然のことです。

 









■頑張らなければ心がボロボロには、ならない


心がボロボロになっている方は、例外なく、頑張ってきた人なのです。
ここまで本当によく頑張ってきました。


その上で、ですが、ボロボロな心をそのままにしてしまうと、
うつ病などの形で心身を病んで行くことにもなりかねません。


それに何と言っても、人生の質はもっと向上させて良いもの
「心をボロボロにしながら何とかゴールまで走りぬける」人生ではなく、
もっと楽に温かく生きていく豊かな生き方があるのです。

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