2013年3月20日水曜日

「誰かを救いたい」≒「自分が救われたい」




◇相手の「感謝」を求めすぎるのは危険


誰かを救いたいと言う思いが強くなるとき、それは残念ながら自分が救われたいという思いが強くなる時である確率が高い。

そして、そういう”SOSのサイン”と使命感とを混同すると、みんなが傷つくことになる。





誰かを救うことで、低い自己肯定感を補おうとするのは良い面もあるけれども、危険性もある。
それは自分が相手に尽くした結果、相手が自分に感謝してくれないと「怒りが湧く」からである。


相手を自分を満たすための道具として扱ってしまうと非常に危険だ。



誰かを救うことで自分の役割を見出そうとしているのであれば、
その役割が達成されなかった(相手から感謝されない、あるいは患者さんが良くならなくて退院できない)時に、
自分の存在価値がわからなくなってしまう危険性があるのだ。


そして、必死に命を駆けて患者さんを救うと言う役割を全うしたつもりなのに、患者さんが良くならなかったら、「無力な自分」を感じて、燃え尽き症候群にたどり着いてしまうかもしれない。



だから、「私が救ってあげるんだ!」という使命感は素晴らしいモチベーションになるんだけれど、
そのモチベーションは、ときに、あなたを苦しめる危険性を孕んでいるんだという事をどうか、覚えておいて欲しいんだ。












 

 

■働き始める前に、どうしても読んでおいて欲しい書籍


対人援助職の燃え尽きを防ぐ
http://www.amazon.co.jp/%E5%AF%BE%E4%BA%BA%E6%8F%B4%E5%8A%A9%E8%81%B7%E3%81%AE%E7%87%83%E3%81%88%E5%B0%BD%E3%81%8D%E3%82%92%E9%98%B2%E3%81%90-%E6%A4%8D%E7%94%B0%E5%AF%BF%E4%B9%8B/dp/4422320602


忙しいだろうけれども、働き始める前に、読んで欲しい。


患者さんの価値観や考え方を許せなかったりするのは、どうしてなのか?ということが、
その理由から対処法までしっかり記載されていて、きっとあなたが病棟勤務にて患者さんに怒りを感じたときに、サポートしてくれることでしょう。








 



■本当に救われたいのは誰?


救いたいという思いは、案外簡単に暴力につながります。


彼女は可愛そうな人だ。
だからぼくは救わなければならない。
ぼくがいなければ彼女は生きていけない。
そういう風に思うのは、他人を支配したいという欲求があるからなんです。



そういう欲求が、
「ぼくがいなければ生きていけないくせに、あの態度はなんだ」と言う風に変わるのは時間の問題なんですよ。


他人を救いたいという欲求と、支配したいと言う欲求は、実は同じです。

そうしてそういう欲求を持つ人は、その人自身も深く傷ついている場合が多いんです。

http://blog.goo.ne.jp/kunkun-mei/e/2cb3a5263fa37fbc54cae2028224406f




 




■投影同一視(投影同一化)


自分に向き合おうとすると、どうしても見たくもない都合の悪い感情と向き合わざるを得なくなりますので、そういう不愉快な事態を避けるために、他人という鏡に自分を映し出して、そこに自己愛を注ぐのです。


つまり、極端な言い方をすれば、他人の人格や個性などはどうでも良くて、
あくまでも自分の延長としての存在としてしか他人を理解しないのです。


これはたとえば弱者の救済という形で表現されることもあります。
救いを求めている自分自身を、他人という鏡に映し出すのです。


そして、そこに映し出された哀れな自分を、必死になって救おうとするのです。
表面的には弱者を救済しようとしているように見えるのですが、本当に救おうとしているのは他でもない自分自身なのです。
しかし、実際に自分で自分を救おうとすると、「見捨てられた自分」という、苦痛に満ちた心理的現実と向き合わなけれ
ばならなくなるのです。


ですので、このような苦痛を避けるために、他人という鏡に自分を映し出して、そこに映った自分を救おうとするのです。

そのために、利用できそうな都合のいい弱者を探し出すのです。

http://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/gihou/projectiv_id.html

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