■「面倒」とは他人に認定されるもの
「こいつ、面倒くせーなー」って思う場合の「面倒くささ」は2種類あると思っていて、その種類は「面倒くさい」と”思う側”の事情が反映されると思っている。
「人間はそれぞれの意思で行動を決めていくべきだ(あるいは他人に乗っかりたい)」と考えている人が「面倒くさい」と思うのは「自分の意思がない人間」に対して。
一方で「なるべく自分の都合のいいように他人を動かしたい」と考えている人にとっては「意思のある人間」を「面倒だな」と思うでしょう。
そんな事を考えていくと、たとえばブラック企業と呼ばれるところの社長と社員は、実は
相性が抜群なんじゃないかと思ってしまう。
自分の意思のない人(あるいは自分で決断をしたくない人)は「なるべく自分の都合の言いように他人を動かしたい」と考えている人(ブラック企業の雇い主みたいな人)と相性が良いのだ。
■面倒なやつ認定をされない場所に辿り着け
「自分の意思を反映させて生きたい」と思っている人間は、個人の判断に権限と責任がある場所に行かないと「面倒なヤツ」と思われるだろうし、
「自分の人生を誰かに預けて自分の決断に対して責任を負いたくない」と思っている人間は、歯車の一部として活躍できる場所を選べいい。
自分に相応しいのが「自由だけと責任を負うことになる場所」なのか「窮屈だけど自主性とは無縁の場所」なのか?ということを間違って選択してしまうと、/みーんなが不幸になってしまうように思える。
どうか、行きやすいと感じられる場所にたどり着くことを諦めないで欲しいし、苦しい場所に留まっていても誰も認めてくれないんだよ。
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