2013年3月30日土曜日

「しょせん、他人事」と思っていた自分を忘れるな



◇「ダウン症の啓発運動」で感じる怒りの対処法



「ダウン症や発達障害は誰が悪いのでもなく、誰にでも起こり得ることなので、出来損ないとか病気じゃないんです。そういう中傷や誤解をしてもらいたくない」と言っていたお母さんがいた。



その方のお子さんはダウン症らしかった。確かに言いたいことは分かる。
誤解や中傷で母子共に傷つけられる場面を幾度となく経験してきたのでしょう。


だけどね、お母さん。
あなたがそういうことが誤解だと気づいたのはお子さんがダウン症だったというキッカケがあったからですよね?
そのキッカケがなければ、あなたも「誤解する側」の人間のままだったんですよね?だとすると、「誤解する側」の人間が「誤解し続ける」事に怒りを感じるのは適切でないと思いませんか?







誤解をしている場合ではないくらいに強烈な出来事を他人事としてではなく自分事として体験しなければならいくらいのキッカケがなければ、「誤解する側の人間」で居たであろう自分を棚にあげて、「理解を示さない貴方達は人権を侵害していることに気づかないのですか!」みたいな怒りをぶつけるのは、愚かな行為なんですよ。


だって、他人事だったときには見向きもしなかった自分が居たでしょ?
そういう自分に啓発をしていると思って下さい。

簡単に理解を示して上げれると思いますか??







周囲の無理解に怒りが湧いたときには、他人事だったときの自分を思いだしてみてください。
見下していたり親の不手際だと思っていたんじゃないんですか?


自分事ではない他人事には関心を寄せなかった自分を棚に上げて、「誤解し続ける人」に理解を求める啓発運動を
行う権利はあっても、誤解を改めようとしない人たちを責める権利はないんですよ。


なぜなら、自分事として捉えない限り、到底理解など出来ないし理解したくもない事柄というのは世の中に溢れているんですから。




「伝わらなくても伝え続ける」くらいの意識で啓発を行わないと自分が燃え尽きますよ。
怒りを感じた相手に理性的に啓発を行うことは無理ですし、なにより、怒りは自分を滅ぼす 
のです。

「簡単には伝わらないのは、しかたないことだな」くらいの心構えで無いと、「無理解な周囲の人」たちに向けた怒りによって「あなた」が滅びてしまって、やがては子どもへの怒りに変わったり子どもが貴方の異変を感じて混乱してしまうかもしれませんよ。



怒りからは何も生まれないんですよ。


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