2013年3月18日月曜日

他人任せの対人関係は苦しいだけ




◇自信が無いから相手任せになる


自分は「できそこない」だと思っている人は相手に期待することも、自分自身が期待されていると思っていることも、
現実に比べると「自分をいじめるような形」に歪んでいることが多いものです。


自分が人間として当然の扱いを受ける価値があるということをわかっていないのです。

これは、役割期待のずれがそのままつながっていきます。










ーー症例


筑紫さんは、自分はいつも人の中で浮いてしまうと悩んでいました。



最近始めたアルバイトも、他の人たちは親しそうに話しているのですが、
筑紫さんだけは溶け込めないのです。

別にいじめられているわけではなく、感じよく挨拶してくれたりはするので
どう見ても筑紫さん側の問題のようでした。

筑紫さんは、自分はやはり人間としてどこかかけているのだ、と思っていました。



筑紫さんと周りのやりとりについてよく聴いてみると、
筑紫さんから周りへの働きかけは、堅苦しいあいさつをするだけだということがわかりました。



それ以外の状況では、話しかけることはおろか、微笑みかけることすら殆どしていないのです。
また、ほかの人たちが話しているときにも、筑紫さんは決して近寄らず、
興味がありそうな顔もしていないことがわかりました。



***






筑紫さんがそのような態度でいるのは、もちろん自分に自信がないからです。
積極的に人に話しかけたり笑いかけたり、
人が面白そうな話をしているところに図々しく入って行ったりしたら
「何様のつもり」と思われるかもしれない、楽しそうな雰囲気を壊してしまって迷惑をかけると思っているのです。



でも、相手の立場に立ってみると、見え方はだいぶ変わります。


筑紫さんの態度からは自分と親しくしたいのかどうかもわかりません。
人付き合いが嫌いな人なのかもしれないとすら思うでしょう。
筑紫さんとの付き合い方の距離を測りかねてしまうと思います

このような状況で、筑紫さんが相手にどんな役割を期待しているのか、
ということを整理していくと、この状況の不自然さがますますよくわかります

筑紫さんは

「自分から話しかけなくても、自分が興味を示していなくても、
 自分が本当は人と話せなくて寂しいのだと言うことに気づいてくれて、やさしく話にも入れてくれる」

という役割を相手に期待している。

これは、一度でも相手に伝えておけば実現可能な役割ですが、一度も伝えたことも無く
最近始めたアルバイトで、お互いのことを良く知らない状況では相手に超能力でもない限り、
まず実現するはずの無い役割期待です。




「自分は話しかけるのが苦手だけれども、いつでも人と話したいと思っている」
ということをなんらかの形で伝えておけば、ずれはぐっと改善されるでしょう



相手がすべきことは
「やさしく話しに入れてくれること」だけになるからです。
これなら多くの人にとって実現可能なことでしょう。




あるいは、「自分が興味のありそうな顔で見ている時には話しに入れて欲しい」
という期待をするのもよいでしょう。

そのためには、筑紫さんは「興味のありそうな顔で見る」という形でコミュニケーションを
することになります。
(ただし、言葉を使わないコミュニケーションの場合は性格に気づいてもらえないことも多いので
 確実だとは言えませんが)


これは、相手とのコミュニケーションに参加することで結果の一部に責任を負うことになり
自分が結果の一部をコントロールしているできるということになります。




自分が話に参加したいときには、興味のありそうな顔をすれば、望んだ結果を得ることができるのです

そして、現在の無力感からその分、抜け出すことができるでしょう。



役割期待のズレはあらゆる人間関係で起こりうるものですが
自分に自信がなさ過ぎる人の考え方は、ずれをさらに広げてしまいます。


筑紫さんが自分のことを「どこか欠けている」と思っていなければ
「親しくしたければ自分から話しかける」というのは「人間は、親しくする人を自分から選ぶ権利がある」ということや
「話しかけたときには、それなりに礼儀正しく扱ってもらう権利がある」
ということなど、「人間として当然の権利意識」に基づいていると同時に
「親しくしたがっているということが分からなければ、どう扱ってよいかわからない」という相手側の当然の限界を考慮したものです。













■「自虐のメガネ」をかけていませんか?


「自分は嫌われやすい」というメガネは、今までの経験や「プチトラウマ」からつくられているかもしれません。
今すぐにメガネを外すことが難しくても「自分は嫌われやすい」というメガネをかけている、ということに気づくだけでも、ずいぶん状況を変えていくことができます。


「嫌われた?」と思うときに陥っていくスパイラルは、
「そういえばあのときも…」「この前、私、あんなこと言っちゃったし…」
「電話やメールが多すぎて、めんどくさい女だと思われているかも…」
などと、次々「嫌われているかもしれない証拠」が出てきて、どんどん不安になっていく、というもの。




そんなときに、「そもそも私は自分は嫌われやすいと思うメガネをかけているんだった」ということを思い出せば、スパイラルに本格的にはまることを防げるはずです。
「嫌われたかもしれないけど、ここで結論を決め付けないで、次に会うときの様子を見て考えよう」と思ったりすることができるかもしれません。


「自分は嫌われやすい」メガネ以外にも、「自虐のメガネ」はいっぱいあります。

「どうせ自分は失敗するだろう」というメガネも、新しい挑戦の足を引っ張る代表的なもの。
何か新しいことをしようとしても「どうせ自分は失敗するだろう」というメガネがあると、
「○○したらどうしよう」が次々と出てきて、新たな一歩を踏み出せません。
そして、結局何も出来ずに終わってしまうため「思ったとおり、人生失敗だ」となってしまうのです。



こんな「メガネ」で自分を見ることが当たり前になってしまっている人は、
自分が思いこみのメガネをかけていることにすら、なかなか気づけません。


そんな人のために、「自虐のメガネ」の簡単な見つけ方をお知らせしておきましょう。


たとえば、親しい友人から「恋人に電話をしたのに出なかった」あるいは「メールしたのに返信が遅かった」という話を聴いたときに、「きっとあなたは嫌われているのよ」というでしょうか。

言わないですよね。


それよりも、「きっとたまたま忙しかったのよ」「もともとずぼらな人なんじゃない?」など、「それ以外の可能性」について語ると思います。

ちょっとした話を聴いて「きっとあなたは嫌われているのよ」と決め付けるなんてひどいことだと私達は知っているので、
そのような配慮するのです。



あるいは、何か新しいことを始めようとしている友人に対して、「どうせ失敗するから」などというでしょうか?
それよりは「頑張ってね。あなたならきっとできると思う。もしも困ったことがあったら相談して」というのではないでしょうか。



このような、他の人に対してなら言うようなことを自分自身には言えず、
むしろ「嫌われたのではないか」「どうせ失敗するのでは」という厳しい言葉を浴びせている、ということそのものが、
「自虐のメガネ」をかけている証拠です。

前向きな考え方がなかなかできないときは、自分の立場を他の人に置き換えたときに、自分が相手にかけてあげるであろう言葉を書いてみてください。
自分を責める「メガネ」を通しては見えない世界が、いっきに広がるはずです。











■「自分の立場」を少し離れて見ると

何事も、つい悪いほうに考えてしまう「癖」をなおしたい、というとき。


恋人に電話をしても出ないときや、メールの返信が遅いときに、「嫌われた?」と思ってしまう、
などというのもそんな癖の一つです。
実際のところはわからないのに、「自分は嫌われたのではないか」というストーリーを作ってしまうのです。


これは常に「自分は嫌われやすい」というメガネをかけている、と考えると分かりやすいと思います。


起こっていることは単に「電話を掛けたけれども相手が出なかった」「メールの返信が遅い」ということだけなのですが、
それを、思い込みのメガネを通してみてしまうと、「嫌われた?」と感じてしまうのです。


同じ現実であっても「自分は愛されている」というメガネを持っている人であれば、「何か電話に出られない用事があるのかな」と考えたり「本当に返事が遅くてずぼらなんだから!」
と思ったり、いずれにもしても「何か事情があるはずだ」と考えるでしょう。














■「自分を癒す」とっておきの方法


幼少期からの生活の中で「相手が下す評価が自分の価値を決める」という感覚を形成してしまうと自分に自信がなくなっていきます。

相手のプラス評価がなければ自分を肯定できなくなるからです。




実は、人の評価が気になる、というのは、過去から積み重ねられてきた「プチ・トラウマ」のため。



医学的にトラウマ(心的外傷)というと、命に関わるレベルの体験によるものを言います。
しかし、それほどではなくても、心が傷つけられる体験を私達は日常生活の中で沢山しているものです。
命に関わるレベルではないけれども、他者からつけられた傷を「プチトラウマ」と呼んでいます。

批判、ネガティブな評価、人格否定など、さまざまな体験から受けた「プチトラウマ」があると思います。

こういった「プチトラウマ」があると、これ以上、人からいやな事を言われないように、隙を作らないよう、人目を気にするようになります。


これが「プチトラウマ」の症状です。

もっと、元気に生きていくためには、自分の「プチトラウマ」を少しずつ癒していくことが必要。
少々時間が掛かるかもしれませんが、自分で自分を居やすいからは、誰にでも備わっているものです。


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