2013年5月1日水曜日

「家庭ではいい子なのだから…」はネグレクトだ!





◇親の前で素で居る事を許されない子ども達



大人がそうであるように、人間は安心できる相手にしか自分の素を見せない。
会社ではできる人を演じていても、恋人の前では甘えている…これはまさに「安心できる相手=本当の自分を出せる」ということである。


そして、当然、子どもも安心できる場所でしか素は出さない。
さらにいえば、素になれる場所が確保されてこそ、社会で求められる役割を演じることが出来るようになるのである。
ところが、どうも、バブルが終わったくらいから、子ども達が素を見せれる場所がなくなっているようなのである。



どういうこと、以下に示してある。















 


■親に十分「わがまま」を言える子は園では手がかからない


「親の前ではいい子なのに、園では大変手がかかる子供」が
この20年くらいの間に目立っている。
そういう子どもと言うのは先生を独り占めしようとして
「自分だけの先生になって!」という要求を行動で示す。

そして、その欲求が満たされないと
そういう子は弱い子を攻撃しに行くようなのである。
親に気を許せていないから園で本性が出る。
子どもは安心できる人の前でしか反抗できません。






■幼少期の社会的不適応行動は成長してからつづくことも

一見、聞き分けがあって、親からは「いい子」に見えるので園で大変手がかかる子どもは将来は心配なのです。
家庭で「いい子」に見えても、
園では暴れていたり、わがまま放題だとしたら、ご自身が親として失敗されている。

「家庭ではいい子なのだから、暴れるのは保育士が悪い!」っていうのはお門違い。







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佐藤先生:
気になっているのは、小学校一年生の子ども達です。
30人以上のクラスだと、もう大変で、こっちのけんかを仲裁している間に、あっちでけんかがはじまり…といった具体で、
なかなか集団でいっせいに集中するということは、ほんとにむずかしくなっています。
ところが、授業参観とか運動会とか、保護者が参観においでになるときには、みんなみちがえるほどに、立派になるんですよ。
どうしてこんなにちゃんとできるのに、保護者がいないときには、できないんだろうって不思議に思っています。
かといって、保護者の前でちゃんとしているこどもたちをみていると、これはほんとじゃないでしょ?
ほんとはもっと甘えたいんでしょ?と思うことも、たびたびあります。



本来、小学校低学年のうちは、まだまだたくさん甘えたい時間ですし、おうちで甘えることが必要な時期です。
ですから、おうちでぐずぐずして泣いている子ども、身体から溢れ出てくる不快感情をそのままおうちで受け止めてもらえている子どもは、
意外と学校ではちょっとがんばって、それなりに社会性のある行動をとることができるという段階なんですね。
逆に、おうちで良い子をしていると、学校で足りない分を補うように幼い側面を出してきてますので、いつもは三歳児の集団のようで、
保護者が参観にくると6歳児になるというような状況が起こっているのだと思います。



佐藤先生:
そういえば、家庭訪問したときに、おうちでまだまだ甘えん坊で、学校でちゃんとやれているか心配ですっておっしゃるお母さんのお子さんは、
わたしからみると、学校ではちゃんとやっているお子さんだったりすんで、どうしてだろうって、思っていました。
そういうことなんですね…。
逆に、お子さんの事を、うちの子はしっかりしているのでまったく心配していないんです、とお話になるご家庭のお子さんが、学校で養護教諭にべったり甘えたり、
すぐにかっとしたり、赤ちゃんみたいになっちゃったりするということがありますね。


(ちゃんと泣ける子に育てよう 大河原美以  河出書房新社) より




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■保健室だけが救い



だれもまだ登校してこない早朝に学校にやってきて
保健室の前で用語の先生がやってくるのを待っている生徒も目立つようになった。

しかもそういう子どもの中には
授業が終わって多くの生徒が下校してしまっても
そのまま残って、
いちばん最後まで帰らないでおこうとする子どもが
目立ってきたのです。

保健室の先生に
「帰らないでくれ」と訴えるようにもなった。


これはどういうことかと言うとこの子達は安らぎの場を求めて、
一生懸命になっているということなのです。

自分の学校やクラスよりも、家庭の方にやすらぎがあれば家庭のほうにいようとしますから不登校になります。

ところが、自分の家庭よりも
保健室のほうが大きな安らぎの場ということになれば登校拒否ではなく帰宅拒否になっています。

近年になって、保育園の幼い子どもにも
そういう傾向をハッキリ見せる子どもが目立ってきました。








 


■やすらぎの場の経験が少ない


こういった子ども達は
本当の安らぎの場にいて育てられた経験が十分ではないのでしょう。

学校の保健室に長く居ようとする生徒や夕方親がむかえにきたときも
なかなか帰りたがらない保育園児をみてますと彼らはそうだと思います。
親に対する本当の依存経験が不足しているのです。

ですから、自分に自信もないし
周りの人を信頼できないのです。
場合によっては
親に対する信頼感も少し弱いのかもしれない。

家族の中でやすらげなくなると家庭内暴力になる。














 

 


■人の嫌がることをする理由

繰り返し同じいたずらをするとしたら
その子は小さいときから、めぐまれた環境で優しく育てられた経験が不足しているのだと思います。


あるいは、望んだことを満たされながら育てこなかった。
優しく育てられてこなければ、やさしさというのは身に付かない。


そして、それだけ人に対しても、不信感を強く持ってしまうものだと思います。




ですから、人の嫌がることをするということは
「こんなことをしても僕のこと好き?」と、愛情を確めているわけですね。
見捨てられ不安を体験していて、それを恐れているのかもしれない。



それは決定打ではないかもしれない
「そんな子を生んだ覚えは無い。勝手なことばかりしてもうお母さんは知りません」
「あなたのような子はどこかにあげてしまうから」と、
軽い気持ちで言っていたかもしれません。


このような親からメッセージを繰り返し言われて育った子どもは心理的にはいつか捨てられるという気持ちが
心の底に積もってしまいます。


ですから、いつも親や周りの人の関心を得ようと
それが相手に嫌がられるものであっても、
そのことによって愛情を確めようとしている。





これは子どもだけでなく
恋愛中のカップルなども相手の感情の確めるためによくやる行動です。











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さおりさん(24歳)は清楚で上品な感じの女性です。
さおりさんは、恋愛がうまくいかない、という悩みを抱えていました。
「渡して、根っこからのわがままで、自分でも嫌になるんです」というさおりさん。
話を聴いていくと、男性との付き合いが深まり、だんだん親密になってくると、すごくわがままな自分が出てきちゃうんです、とのこと。

さおりさんのこころには、「たとえわがままな悪い私でも、見捨てず愛して欲しい」というたいへん強い思いがありました。


さおりさんはカウンセリングを受ける前から、そのことにうすうす気づいていましたが、
カウンセリングで話し合うなかで、心の底にあった「わたしは悪い子だから愛してもらえないんじゃないか」という深い怯えがあることに気づきました。


その怯えは、両親の言いつけを守らなかったときに、ひどく叱られた経験を繰り返して作られたのでした。


もし彼氏が寛容になってわがままに耐えると、さらなる要求をします。
そのとき、さおりさんは、心の奥で、「じゃあ、もっと悪いこんな私でも愛してくれる?」と試しているのです。
もちろん、自分自身がそんなことを思っているとは気づいていませんでした。


しかし、いつか彼氏も耐えられなくなり、別れを切り出します。
このとき、「ほら、やっぱり、私が悪い子だから愛してもらえないんだ」と、もとの信念の正しさを確認すると言う悲劇を繰り返していたのでした。

子どもが望むことを親に教育する



◇「愛することは愛されたものしか出来ない」を超える!



私達は与えられたものしか与えることが出来ない。
与えてもらえなかったものを後世に伝えることは出来ない。


共感、優しさ、甘えたい気持ち、自他の境界線…これらの子どもにとって親から与えられるべき庇護を与えられなかった子どもは、残念ながら自分の子どもにも、これらを与えてあげることが出来ない。


我が子を愛したいと思っているのにいざ、我が子を育てていると、どう接してあげればいいのかわからず、結局思い通りにならない我が子を憎く思ってしまうことさえある。



そんな悲劇は、繰り返したくない。





どういう場面で親からの愛情が必要で、その愛情を伝える方法は何か。
そういうもの与えられずに育った大人が我が子にそれを与えるためには、外部からの協力が必要かもしれない。
ただ、それには親自身が「私は親になるには未熟」という、ある種の自分の弱さを受け入れる強さが必要なのだが…

親の能力の低さよりも子どもの成長を優先する覚悟が親には必要だといえよう。









 

■「愛を伝える方法」を教育する


最近日本でも紹介されているPCIT(parent-child interaction therapy)という治療法がある。
これは親がイヤホンを通じてモニター室からの指導を受けながら子供と一緒に遊ぶという治療法である。
DV被害に遭った母子等がこの治療法を受け、その効果が知られている。
そこで最も強化されるスキルが、子供を褒めると言う事と、
セッション自身をいかに楽しくすると言うことである。
そしてそれを指導者が親に対して同じ事をする、という形で促す。
つまり指導者がワンウェイミラーの向こうからは親の動きを見守り、
マイクを通して母親のヘッドフォンに向かってそのパフォーマンスを褒める。




※PCIT

親子相互交流療法Parent-Child Interaction Therapy(PCIT)は、
子どものこころや行動の問題に対し、親子の相互交流を深め、その質を高めることによって回復に向かうよう働きかける行動学に基づいた心理療法です。
http://pcit-japan.com/index.html






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「一昨日、娘が保育園から帰って来たときです。じっと黙っているので、どうしたの?何か嫌なことがあったの?と聴いたら、
 菜奈がポロポロ涙を流しました。私は自然と娘の頭を抱いて、よしよししてあげました。
 そんなことをしたのは最近なかったんです」
「その日、どうしてできたのか、自分ではわからないのですが、自然とそうしていました。
 娘は頭を私の身体に押し付けてきました。
 私は何も言わずに娘の頭をなでていました。
 そうしたら、ふーっと力が抜けてきて、温かく不思議な気持ちになりました。」
「今思うと、私が許された気持ちになったようでした。
 菜奈は私を必要としている。自分は必要とされていると思いました。自分が”いる”ことが”いい”ことなんだ、私は”いていい”んだ…あのときは、焦りが消えて、時間がゆっくりと流れていました」






小さい頃から誰にも助けてもらえず、一人ぼっちで生きてきた。疲れた。
「もういいか…」という諦めの気持ちがわく。静かに消えてしまいたいと思う。
でも、菜奈ちゃんが自分を必要としてくれる。
自分の存在を認めてくれている。
娘は自分が長年押し殺していた「甘える」という気持ちを思い出させてくれる。
それを自分は許せなかった。
でも、今は「菜奈は可愛いな」という気持ちが彼女の緊張を解く。
菜奈ちゃんの甘えを許せているということは
自分の甘えを許し始めているということだ。




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■子供はただあなたを愛し、あなたに愛されることを望んでいるのに


自尊心が低く、自分が愛に値しない存在だと思っていたら、
そんな自分が愛することがそれほど価値の高いものだと思えないでしょう。
自分に愛されることが子供にとって何よりの癒し、などということが
あるわけがないと思い込んでいるのです。

物をつい、買い与えてしまう人の中には、自分の愛情よりも物の方が価値があると思っている方もいますが、
決してそんな事は無いのです。


どんなに自尊心の低い親であっても、
子供にとってはかけがえのない親。
親の愛情には、間違いなく、どんなものよりも価値があります。
子供は親から愛を感じることが、何よりも嬉しいのです。







○子育ては「自分が愛される」体験



「私自身の自尊心が低いのだから、自尊心の高い子供なんて育てられない」
「私自身、コミュニケーションが苦手なのだから、子供のコミュニケーション能力なんて高められない」
などという感想を持っているお母さんも多い。
親になったからと言って、急に完璧な人になれるわけではないし、
実は、親自身も「心配の子育て」によって、「足りないところ」ばかりに注目して育てられていたということが少なくありません。

そして、その結果として、
自尊心に何らかの問題を抱えている、という親は決して「稀なケース」ではないのです。



 

 


■子供とのかかわりが親に癒しを与えてくれる


子供との関わりを通して、自分を癒す体験というのは、どういうことでしょうか。
それは自分について「足りないところ探し」をやめるということです。
自分に本来、備わっている力に目を向け、それに気づき、子供をはじめとする他人とつながりということなのです。




■条件付の愛



条件付きの愛ばかり与えられて来た人は、
どうしても人目を気にするようになりますし、
本当の意味で自信を持つことが難しくなってしまいます。
つまり、自尊心が低い人は、「条件付きの愛」しか知らない人、
ということが出来るのです。








■無条件の愛はいつまでも続いていく

親に対する「条件」が始まるのは、一般には思春期に入ってから。
思春期は大人になるためのプロセスなので、親の事を客観的な目で見るようにも成ります。
親という人間を、自分なりに位置づける試みが始まるのです。




でもそれまでは、どんな親に対しても、子供は無条件に愛を向けてくれます。

「自分の親がこの人でなければよかったのに」などという考え方をすることはなく、
親は親として受け入れて、どのよにすればその親とうまくやっていけるだろうかということだけを
考えるのです。

客観的に見れば親としての機能が、かなり低いと思われるような親に対しても、
子供は無条件に愛し受け入れている、という事実には感動を覚えることもしばしばです。



意識される部分では、
「○○の家のお母さんみたいな親だったらよかったのに」「親の○○なところが許せない」
などと思うのですが、
実際のところ、どんな親のことも見捨てることができないのが子供というものです。

大人になってからも、どこかしらに「無条件の愛」が残っているのです。


虐待された子供が自尊心を決定的に損ねるのは、これが原因です。


自分を虐待する親のことを「不適切な人間」としてみることができれば、
親の態度から自分の価値をそのまま決めることはないはずです。

しかし、子供は親に大して「不適切な人間」と評価を下して自分から切り離すことをしないので、
ただ親のありのままを受け止めます。


そして、
「親をこんなに怒らせるなんて、自分が何か悪いことをしたに違いない」
「親をこんなに不機嫌にさせるなんて、自分はよほど出来損ないに違いない」という思いを
育ててしまうのです。









■無条件の愛で子どもが親を救ってくれる


子供が持っている無条件の愛は、子供側から優しさなどの形で自発的に伝えてくれることもありますが、
親が心を閉ざしているとなかなか感じられないものです。
ですから、子供の愛を感じられるかどうかは親次第。
子供から無条件の愛を感じられるような態勢を作ることが、
子育てにおける一番の幸せだといえ、他ではなかなか味わえないものです。



初めての子の場合、子育ての経験がないのは仕方ないとしても、
「子育てを楽しもう」という気持ちを持ってみることはできるでしょう。
「何とか失敗せずにやりくりしなければ」
ということよりも、むしろ、あまり長くは続かないこの甘い時期を楽しもう、
ということに意識を向けてみませんか?