2017年10月27日金曜日

あのとき親に言ってもらいたかったこと


4.父親の生き方が見えて怒りが消える



42歳の柏木孝男さん。
高校生の頃、いまでいえば「ひきこもり」で一年留年した。
大学卒業と同時に家を出て、以後一度も帰っていない。
父親に絶交の手紙を出したことがある。
6ヵ月前からうつ病でクリニックに通い始めた。
うつ病は治ったが、それからも月一回のカウンセリングを続けている。
話し内容は仕事の事から自分の家族の事、娘の事などで、
いままで一度も父親の話をしたことはない。




■ずっと怒りを抑えてきたーー理想的な上司、柏木さん

その柏木さんがある日、初めて父親の事を話題にした。
「父の事は話したくない、先生にも。憎しみと怒りがわいてきて辛いから考えたくない。
 自分はずっと父親に嫌われてきたと思う…」
「小さい頃からお前は駄目な奴だとずっと言われてきた」
「小学生の時に、日曜日に野球の試合があって負けて帰って来た。遅くなってしまったので心配した父親が途中までバイクで迎えに来てくれた。
 『なんだやっぱり負けたのか』と言われて、そのとき父親は笑っていた。気づいたらバットを試合会場に忘れていて、自分はそれからグランドに引き返した。
 父親は先に家に帰った。バッグを持っていってくれた」


彼はそんなことをぽつりぽつりと語った。
終始、無表情だった。そして、話題はいつもの仕事や会社の人間関係に戻って、その日のカウンセリングは終わった。

一ヵ月後、彼はまた父親の事を話題にした。
「前回、ここで親父のことを話した後、帰り道で考えた。先生に『父親に対する怒りを出し切っていない』といわれたような気がしました。
 先生はそんなことは言わないのは分かっているのですけど、そのことをずっと考えながら帰ったんです」

「最近、父親とたまたま電話で話す機会があって『どうしてるんだ、ちゃんとやっているのか』と言われてすごい怒りがこみ上げてきた。
 電話を切ったあと、もう一度電話をかけなおそうと思って何度も迷ったけれど、先生にきけばこんなとき多分、『まあね、どっちでもいいけど(迷ったときは)急ぐこともない』といわれるだろうと思って止めておいた」
そういって彼は寂しげに笑った。

「うつ病も治って昔みたいに仕事に精をだそうと思うんですけど、どうしても父親の事を考えてしまう。もう父親のことなんか忘れて仕事していればいいんですよね」


「でも、忘れられるかな、時間を引き延ばすだけになるでしょうか」
「どうしたらいいんですかね。なんか苦しいです…」
彼は黙った。




忘れていればそれでいいいのだ。
今さらどうという事もない。
でも、悔しさがどこかにひっかかかっていて思い出してしまう。



>>
柏木さん、あなたはとても優しい人で
人の面倒を見てきましたね。
部下から慕われている。
よく気がつくし、共感するのも得意ですよね。
それはあなたのとてもよいところだと思います。
お父さんから「どうしてるんだ、ちゃんとやっているのか」といわれて
怒りを感じたといいましたけど
あなたは優しいから、どこかでやっぱり怒りはぶつけちゃいけないと思っているところが
多分あるのだと思います。
でも、それはあなたが長い間我慢してきたことだから
とてもよかったことの一つだと思います。
<<


えっ?という顔をして柏木さんは聴いていた。
それから緊張した声で最近父親と話して、
やはり腹が立つことがあったといった。

しかし、その話はすぐに終わり
急に話題は変わって妻と娘の話題になった。
さらに仕事の話で部下の話、新しいプロジェクトへの興味、会議の中の人間像などになった。
とりとめのないことを夢中になって喋っている。いつもの柏木さんらしくない早口である。
先ほど私が言ったことや、父親の話は忘れているかのようであった。
そして15分くらいつらつらと家族の話をした後で
自分から元の話題に戻った。

「先生、僕はやっぱり父親が怖いんですね…」
「自分の事を言ったりすると、逆襲されて潰されそうだったんです。
 だから黙ってきました。そのほうがいいんです。
 僕は自分を主張しないほうがいいんです。
 そうして生きてきたんです…」と言って言葉が出なくなった。
手が震えていた。
「何で…」と彼は押し殺した声で泣いた。
こぶしを握り締めていた。
それから二週間の間、
父親に対する激しい怒りを感じ、
その前で我慢してきた自分を思い出したという。
すると、惨めな気持ちに襲われてまた怒りが激しくなった。
さらに二週間後のカウンセリングでは
彼は再び父親への怒りを語って元気が無かった。



■あのとき言ってもらいたかったこと

さらに一ヵ月後のカウンセリング、気持ちは穏やかになっているようだった。
彼は野球の試合に負けた日の夕方を思い出した。
「そのとき、お父さんから本当は何て言ってもらいたかったんですか?」と私が尋ねた。
彼はしばらく考え、「疲れたか?とか負けたのか残念だったな、とか、やっぱり分かってもらいたかったんですね。慰めてもらいたかった…」と答えて、
柏木さんは窓から夕暮れの空を見上げた。

「人の失敗を慰められない人だったんですね、父は。
 失敗や試合に負けたことを受け容れられないのかな。多分、
 自分自身にもそうしてきたのでしょう。自分を慰めたことも無いし、人から慰められた経験が無かったんですね」
「多分、そうでしょう。だから柏木さんに”もっとしっかり”と
 きつく言うことしか出来なかった。」
「そうですね。僕は幸いに今の家庭をもてたから、
 それこそカウンセリングにこれたから、自分を慰めたり、人から慰められたりすることを知ったんですよね。
 父は多分、今もそれを知らない」
柏木さんの顔はとても穏やかになっていた。



さらに一ヶ月後、カウンセリング。
父親ともはもちろん会っていないし、会おうとも思わない。
そのうち会うかもしれないが、今はいい。
彼はもうすっきりしている。
しかし、そうであればこそ、少し実家の事が心配になってきた。
母親のことである。
「もう実家の事はいいかなと思っています。そばに姉夫婦もいるし…」と彼は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

「柏木さんは小さい頃から長い間、ご両親の面倒を見てきたでしょう。
 とくにお母さんの面倒を見てきたのでは?
 お父さんがわがままで厳しい人だったら、そう言っていないのかな、だから
 その分、あなたはお母さんの事を心配したでしょう。
 あなたと同じようにお母さんもお父さんのところで苦労したところがある」

「ええ、そうですね。お袋に心配かけないようにって思ってきたことは
 そういうことだったんですよね…」
「もう、でも、柏木さんもいいじゃないですか。
 たくさんご両親の事を心配してきたから
 長い間、十分やってきたからもういいですよ」
「十分やったから…もういいんですかね…姉はいつも自分のわがままを通せて、でも私は我慢してやってきたんです…その姉が実家の傍にいて、私はこうして離れている。そでいいんですかね」


「あなたは優しいから100%やらないと気がすまないかもしれないけれど、まあ、90%くらいで残りはとっておいたらどうですか?そのうちにご両親にあったときに何か言えればいいでしょう?」

柏木さんはとてもすっきりした顔になって言った。
「もう、母親を手放してもいいんですね…」
そう言って、しばらく時間を置いて付け加えた。
「これでいいんでしょうね。気持ちが軽くなりました」
もう少し我慢しなくてはいけないのかという迷いも
「まあ、いいかな」と思えて自分を許せたのである。


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