2017年10月27日金曜日

ひきこもり息子とまじめな母親



■「いい母親」が「いい子」を演じさせる

母親は午前中に家事を済ませて午後からパートに出ていた。

ある日、身支度をして家を出ようとしたら、昼夜逆転の息子が二階の自分の部屋から起きて来て不機嫌そうに「メシ!」という。

母親は自分の怒りを抑えながら穏やかな声で「これから母さん仕事だから…」と言った。
息子はムッとして食卓の上にあった醤油の瓶をひっくりかえした。

そして何も言わずに二階に戻っていった。






「先生、私はどうしたらよかったのでしょうか?仕事には遅れても、ご飯を作ってやるべきだったのでしょうか?息子に何を言われてもやってあげたほうがいいのでしょうか?」
息子はどうして怒ったのか。


母親の「これからお母さんは仕事だから…」という言葉に彼が読み取ったものは、
「何でこんな時にご飯だなんていってくるの。いい子のあなたはそんなことなかったじゃない。ちゃんと時間に起きてこなくてはだめよ」という怒りと叱責のメッセージである。
”いい子を期待する母親が悪い子である息子を責めている”という構図がここにある。
「A」⇔「反A」という対立関係に苦しんでいる彼はこのメッセージに敏感に反応するのだ。


彼の目からみれば、日常生活のあらゆるところに、些細な出来事のどこにも、この「A」⇔「反A」という対立関係が仕組まれている。
カウンセリングでこのことを母親は理解できた。


では、こんな場合「どう答えたらいいか」であるが、その前になぜ母親が息子の「メシ!」に怒りを感じたかを考えてみよう。
出掛けに「メシ」といわれれば誰も怒るかとおもえば、そうでもない。


例えば、こんな親子関係もありうるだろう。
母親は「何言ってんのよ、バカね、こんな時間に」と笑って取り合わず、息子は時計を見て「あれ、もう一時半か」などと応えて、
ぼさぼさ頭を掻きながら即席ラーメンを探す、などという関係である。
しかし、母親は怒りを感じてしまった。なぜだろう。
それは彼女の中に「息子にはちゃんとご飯を作ってあげなければならない」という”真面目な母親”の気持ちが強いからである。
彼女は「いい母親」でありたいと思っている。 
それを演じられない時間帯に「メシ!」と言われたので怒ってしまったのだ。
ここに母親が抱えてきた苦しさ、辛さがある。







■僕がこうなったのはお母さんのせいだ

ひきこもりになってしまうのは、登校や仕事に対して義務感が強すぎるからである。
「 絶対に学校は休んではいけない」と思っていると、学校に行けなくなる。
逆に学校なんて週3日もいってりゃ十分だ…、と思っていれば不登校は起こりにくい。

子の義務感は親から受け継ぐ。だから親の義務感が強すぎると、
子供の義務感も強くなる。その強さは必ず親より大きくなる。
親が10の義務感で生きていれば、子供は15くらいになる。
義務感の強すぎる母親は知らず知らずのうちに子に強いメッセージを送り続ける。
学校は休んではいけない、いい子で居なさい、先生の言うことを聴きなさい、友達と仲良くしなさい、
宿題はちゃんとやるのよ、お行儀よくするのよ…つまり、いつも頑張りなさいというメッセージである。
それを信じた子供は義務感がさらに強くなる。知らず知らずのうちに、学校=緊張と我慢の場、
となってしまう、毎日、強い緊張をかかえて登校しているから、ある時、力尽きて不登校となる。
親自身のもっている義務感は例えば、人とうまくやっていかないといけない、
世間から悪く言われないように、子供をしっかり育てなければ…つまり、ここでも頑張らなくてはいけない、である。
一方、親の義務感がそこそこに範囲内だと子供は現実的なメッセージを受け取ることができる。
つまり、人とはうまくいくことに越したことはないが、ケンカをしたり、うまくいかないこともある、あるいは自分はあまり自信がないけれど、
そういう子もいる、まぁ大丈夫だろう…などのメッセージである。すると、学校は「行かなければならない場所」だけではなく、
時々は休んだりすることもある場所であり、安心感を持てる場所にある。友達付き合いや授業も緊張感も比較的小さくなるから、
学校生活に楽しみを見出すこともできるだろう。そんな子には不登校・ヒキコモリは起こりにくい。
引きこもった子は親から引き継いだ過剰な義務感に縛られ、窒息している。
こういった心理的な背景を理解すると、引きこもった子が親とのケンカでよく口にする言葉の意味も理解できる。
「僕がこうなったのは、お母さんのせいだ!」
この言葉に込められた思いの深さは初めは、親はもちろん、言っている本人も理解していない。
さらに心理の専門家であるカウンセラーでさえも、表面の意味しか見えていないことが多い。
つまり、親のせいでこうなった。だから親が反省して親が変わらなければ、
子の問題は解決しない、と解釈されている。
子の義務感は親に従おうとする自然な気持ちから始まり、ついで親を労わる気持ちによって強化される。
しかし、それは親から引き継いだ義務感であり、親自身も苦しんだ義務感だ。親には親との人生とその辛さがあった
。親は親で一生懸命に生きてこなくてはならなかった。親子の辛さは表裏一体である。
それが理解された時、初めて、問題が解決される。その時に、家族全体の緊張感が見えてくる。






■気を遣いすぎて「ひきこもる」



一般論ですけどね、
周りに気を使ってきた子がひきこもりになりやすいんですよ。
ずっと気を使ってきて疲れちゃってね。
それで学校に行けなくなります。
女の子はお母さんの話に付き合って一緒に頑張ろうって気を使うんですが
男の子はお母さんの期待することを先回りしてやってきたり、
それに気を使うんです。


だいたい小学生の頃が一番それが出ます。
「幼稚園の頃だったと思いますが
 私が義母に叱られていると、そのときは隠れているのですが
 その後、黙って私のところに寄ってきて…いつまでもそばにいるんです。」
義母がきつく当たりだすと、決まって夫はその場から居なくなった。


あるとき、涙をこらえながら夕食をしたくしていると、
いつの間にか息子が寄り添っていた。
「お母さん、今日のおかずは何?」って聴くんですよ。
「お魚だよ」って言うと「美味しそうだね」って言うんですが
でも…小さい息子には調理台の上は見えないはずなんですが…


そうですかすごく心配していたんですね。
「お母さん、大丈夫だよ、僕が居るからね」っていう気持ちでしょうかね。
彼なりにお母さんを慰めようと…
いろいろあったんですね。
本当に息子さんと一緒によくやってきたということですね。
お母さんも息子さんも、家の中ですごく緊張して暮らしてきたんですね。
その緊張が彼の抱えてきた辛さですね。






■子が欲しいのは「ごめんね」ではなく「ありがとう」



息子さんに謝りたいと思っていたが
きっかけがないと報告してくれた。

でも、お母さん、息子さんは何か違うものを感じ始めていると思いますよ。
言わなくてもいいですよ。
それから、今までも息子さんには何度も謝ってきたんじゃないですか?
ええ、そういえば、
「見てあげられなくてごめん…」って、
息子に責められてた時に何度も言いました。
そうしたら、息子さんは何と応えてていました?
何も言いませんでした。黙っていました。
そうですよね。
お母さんに謝られても辛いだけです。
息子さんが言って欲しいのは違う言葉ですよね、多分。
言って欲しいというか、実際の言葉じゃなくて…分かって欲しい気持ちってどんな気持ちだと思いますか?
「私を支えてくれてありがとう」です。
二人で頑張ってきたんでしょ?
母親は涙を浮かべていた。

もちろん、いきなり息子に感謝の言葉を伝えても、彼は何を言われているのかわからないだろう。
しかし、心の深いところではその言葉がほしいのだ。
「ごめんんえ」と謝られても彼の緊張は解けない。
それどころか、母親を困らせている「だらしない引きこもり」の自分を責めるだろう。
そしてイライラするだけだ。
居場所がなくなって、また一人部屋に閉じこもって苦しむのだ。

今、彼には過去を後悔することではなく、一緒に頑張ってきた過去を認めてくれる言葉が必要なのだ。




■母親が息子の悪口を言えば息子は治る

「お母さんは、あなたの引きこもりのことで前から相談に行っているんだよ。
 そうしたら先生に叱られてね。
 引きこもりの責任は親にあるっていきなり言われて…びっくりしたよ。
 和樹が小さい頃、お母さんはずいぶん息子に支えられたはずだって言われたよ。
 いろいろ思い出して、和樹がいい子をしてくれたお陰で、お母さんはずぶん支えられたって思い出したんだよ。
 だから、お礼を言っておこうと思ったんだよ…いろいろありがとう…」
息子は黙って聞いていた。
話が終わると、聞き取れないほどの小さな声で「うん」と言ったように母親には見えた。
そして部屋に入っていった。


「いい子」を演じる子どもの前には必ず「いい母親」を演じたい母親が居る。
「いい母親」を演じたい母親=真面目すぎる母親である。
不登校の子どもを持つ母親に対するカウンセリングはここが要点となる。
つまり、何でもきちんとやってあげる「いい母親」のもとに、何でもきちんとしようとする「いい子」の息子が育つのだ。
息子が自分の中に「ワル」を受け入れて成長しようとしているときに、母親も自分の中に「ワル」を育てなければならない。
母親も変わる。変わらざるを得ない。
自分のなかにあった「ワル」を許さない気持ちが溶けていくのである。
具体的には「こんな息子の事で毎日毎日せめられていてはかなわないわ。もういい加減にしてよ!」という気持ちを自分に許していくことである。
ところが、こんな気持ちを持つことは世間では許されないことになっている。
母親が相談に出向いた教育相談や精神科でそんなことをいったら、きっと「母親がしっかりしなくてどうする!」と叱られてしまうだろう。
でも、「もう、あんな息子どうでもいいわ!」と、カウンセラーの前で息子の悪口を言えれば、母親の変化は進んでいくのである。

子どもに「ワル」や「弱さ」を許さなかったのは、親が自分にそれを許していないからでもある。
子どもは親の生き方を見習って育っていくものである。
子どもが変わるときは、親も変わるときである。
A:いい母親、息子の面度を見る、自分を我慢する
反A(B):悪い母親、息子を放っておく、わがまま
息子の中の「A」⇔「反A」の対立に応じて母親の中にも同じように「A」⇔「反A」の対立がある。
息子が回復するのにしたがって母親の行動も変わる。
こうして息子も母親も自分を成長させていくのだ。




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