2017年10月27日金曜日

知らないところでお母さんを支えてきた


心の絶対矛盾(「A」と「反A」)が融合していく




■親子逆転にとって境を越えるーー例②拒食症の容子さんのその後

拒食症の大井容子(29歳)の経過。

彼女達、母娘の対立がどうして解決したのかをまとめてみよう。


大井さん親子3人が外来を始めて受診したとき、容子さんは治療に対して「斜に構えた」態度を見せていた。

しかし、自分から点滴を希望したことをきっかけに治療が始まった。
治療が進んでいく途中でこんなエピソードがあった。


容子さんは毎晩寝る時間になるとお母さんに甘えてわがままを言い、自分の話を聴いて欲しいと明け方まで母親を放そうとしない。
母親は娘に対する罪悪感から無理して付き合っている。


ある日、外来で娘を横にして母親は言った。
「前のところでも、娘を愛してあげなさいといわれたんです。どんなことでもきちんと話を聴いてあげるようにといわれたんですが…。
 おとといも夜十二時過ぎに娘が話を始めて私は午前三時まで聴いていました。でも…私も疲れてしまって娘の言うとおりにはしてあげられないんです」

娘を拒絶すれば娘の病気は治らない。しかし甘えさせていれば切りがない。
母親の体力も持たない。絶対矛盾である。


私は二人を前にこんなことを話したのだった。

「お母さん、容子さんが分かって欲しいというのは…彼女が小さい頃からお母さんのためを思って生きてきたということを分かって欲しいんですよ。

 たとえば、容子さんが小さい頃にね、お母さんの顔色をみながら、こうしてあげたらいいんじゃないか」と思って色々してきたことがあったと思うんですけど、
 それを分かって欲しいんですよ。知らないところでお母さんを支えてきた、そういう子じゃなかったですか?」
そういうと母親はじっと考え込んでいたが、それから急に崩れて涙ぐんだ。
「娘を何とかしなくてはならない。育て方が悪かった。自分の責任だ」。


そう思って母親は娘の治療に必死だった。
その必死さは実は治療だけでなく、母親の生き方そのもので、もう30年近く続いていた必死さだった。
でも、必死なのは母親だけでなかった。
子どものほうも実は「何とかしよう」と思って必死だった。

お互いに「何とかしよう」と思って一緒に生きて生きたのである。
それでいい子になろうとした。


母親が小さい子供の面倒を見て愛情を注ぐ、という一方通行の図式が逆転し、実は子も母親の気持ちを察して親の面倒を見てきたとわかると、
絶対矛盾が崩壊する。なんだお互い様じゃないかとなって母娘の対立が意味を失うからである。


拒食症の娘の絶対矛盾は母親に従ういい子とそうしたくない悪い子であり、母親の絶対矛盾はきちんと娘を育てる、いい母親と、もうそれを止めたい母親であった。
このことを契機に容子さんの怒りは小さくなり、母親も自分を責めることが少なくなった。
その結果、母娘は穏やかになり、相変わらず喧嘩はするけれども、安心して言いたいことをいえるようになった。
冗談が出るようになり、穏やかな関係が生まれたのである。
もちろん、容子さんの拒食という症状もいつの間にか消えていった。

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