2013年5月1日水曜日

子どもが望むことを親に教育する



◇「愛することは愛されたものしか出来ない」を超える!



私達は与えられたものしか与えることが出来ない。
与えてもらえなかったものを後世に伝えることは出来ない。


共感、優しさ、甘えたい気持ち、自他の境界線…これらの子どもにとって親から与えられるべき庇護を与えられなかった子どもは、残念ながら自分の子どもにも、これらを与えてあげることが出来ない。


我が子を愛したいと思っているのにいざ、我が子を育てていると、どう接してあげればいいのかわからず、結局思い通りにならない我が子を憎く思ってしまうことさえある。



そんな悲劇は、繰り返したくない。





どういう場面で親からの愛情が必要で、その愛情を伝える方法は何か。
そういうもの与えられずに育った大人が我が子にそれを与えるためには、外部からの協力が必要かもしれない。
ただ、それには親自身が「私は親になるには未熟」という、ある種の自分の弱さを受け入れる強さが必要なのだが…

親の能力の低さよりも子どもの成長を優先する覚悟が親には必要だといえよう。









 

■「愛を伝える方法」を教育する


最近日本でも紹介されているPCIT(parent-child interaction therapy)という治療法がある。
これは親がイヤホンを通じてモニター室からの指導を受けながら子供と一緒に遊ぶという治療法である。
DV被害に遭った母子等がこの治療法を受け、その効果が知られている。
そこで最も強化されるスキルが、子供を褒めると言う事と、
セッション自身をいかに楽しくすると言うことである。
そしてそれを指導者が親に対して同じ事をする、という形で促す。
つまり指導者がワンウェイミラーの向こうからは親の動きを見守り、
マイクを通して母親のヘッドフォンに向かってそのパフォーマンスを褒める。




※PCIT

親子相互交流療法Parent-Child Interaction Therapy(PCIT)は、
子どものこころや行動の問題に対し、親子の相互交流を深め、その質を高めることによって回復に向かうよう働きかける行動学に基づいた心理療法です。
http://pcit-japan.com/index.html






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「一昨日、娘が保育園から帰って来たときです。じっと黙っているので、どうしたの?何か嫌なことがあったの?と聴いたら、
 菜奈がポロポロ涙を流しました。私は自然と娘の頭を抱いて、よしよししてあげました。
 そんなことをしたのは最近なかったんです」
「その日、どうしてできたのか、自分ではわからないのですが、自然とそうしていました。
 娘は頭を私の身体に押し付けてきました。
 私は何も言わずに娘の頭をなでていました。
 そうしたら、ふーっと力が抜けてきて、温かく不思議な気持ちになりました。」
「今思うと、私が許された気持ちになったようでした。
 菜奈は私を必要としている。自分は必要とされていると思いました。自分が”いる”ことが”いい”ことなんだ、私は”いていい”んだ…あのときは、焦りが消えて、時間がゆっくりと流れていました」






小さい頃から誰にも助けてもらえず、一人ぼっちで生きてきた。疲れた。
「もういいか…」という諦めの気持ちがわく。静かに消えてしまいたいと思う。
でも、菜奈ちゃんが自分を必要としてくれる。
自分の存在を認めてくれている。
娘は自分が長年押し殺していた「甘える」という気持ちを思い出させてくれる。
それを自分は許せなかった。
でも、今は「菜奈は可愛いな」という気持ちが彼女の緊張を解く。
菜奈ちゃんの甘えを許せているということは
自分の甘えを許し始めているということだ。




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■子供はただあなたを愛し、あなたに愛されることを望んでいるのに


自尊心が低く、自分が愛に値しない存在だと思っていたら、
そんな自分が愛することがそれほど価値の高いものだと思えないでしょう。
自分に愛されることが子供にとって何よりの癒し、などということが
あるわけがないと思い込んでいるのです。

物をつい、買い与えてしまう人の中には、自分の愛情よりも物の方が価値があると思っている方もいますが、
決してそんな事は無いのです。


どんなに自尊心の低い親であっても、
子供にとってはかけがえのない親。
親の愛情には、間違いなく、どんなものよりも価値があります。
子供は親から愛を感じることが、何よりも嬉しいのです。







○子育ては「自分が愛される」体験



「私自身の自尊心が低いのだから、自尊心の高い子供なんて育てられない」
「私自身、コミュニケーションが苦手なのだから、子供のコミュニケーション能力なんて高められない」
などという感想を持っているお母さんも多い。
親になったからと言って、急に完璧な人になれるわけではないし、
実は、親自身も「心配の子育て」によって、「足りないところ」ばかりに注目して育てられていたということが少なくありません。

そして、その結果として、
自尊心に何らかの問題を抱えている、という親は決して「稀なケース」ではないのです。



 

 


■子供とのかかわりが親に癒しを与えてくれる


子供との関わりを通して、自分を癒す体験というのは、どういうことでしょうか。
それは自分について「足りないところ探し」をやめるということです。
自分に本来、備わっている力に目を向け、それに気づき、子供をはじめとする他人とつながりということなのです。




■条件付の愛



条件付きの愛ばかり与えられて来た人は、
どうしても人目を気にするようになりますし、
本当の意味で自信を持つことが難しくなってしまいます。
つまり、自尊心が低い人は、「条件付きの愛」しか知らない人、
ということが出来るのです。








■無条件の愛はいつまでも続いていく

親に対する「条件」が始まるのは、一般には思春期に入ってから。
思春期は大人になるためのプロセスなので、親の事を客観的な目で見るようにも成ります。
親という人間を、自分なりに位置づける試みが始まるのです。




でもそれまでは、どんな親に対しても、子供は無条件に愛を向けてくれます。

「自分の親がこの人でなければよかったのに」などという考え方をすることはなく、
親は親として受け入れて、どのよにすればその親とうまくやっていけるだろうかということだけを
考えるのです。

客観的に見れば親としての機能が、かなり低いと思われるような親に対しても、
子供は無条件に愛し受け入れている、という事実には感動を覚えることもしばしばです。



意識される部分では、
「○○の家のお母さんみたいな親だったらよかったのに」「親の○○なところが許せない」
などと思うのですが、
実際のところ、どんな親のことも見捨てることができないのが子供というものです。

大人になってからも、どこかしらに「無条件の愛」が残っているのです。


虐待された子供が自尊心を決定的に損ねるのは、これが原因です。


自分を虐待する親のことを「不適切な人間」としてみることができれば、
親の態度から自分の価値をそのまま決めることはないはずです。

しかし、子供は親に大して「不適切な人間」と評価を下して自分から切り離すことをしないので、
ただ親のありのままを受け止めます。


そして、
「親をこんなに怒らせるなんて、自分が何か悪いことをしたに違いない」
「親をこんなに不機嫌にさせるなんて、自分はよほど出来損ないに違いない」という思いを
育ててしまうのです。









■無条件の愛で子どもが親を救ってくれる


子供が持っている無条件の愛は、子供側から優しさなどの形で自発的に伝えてくれることもありますが、
親が心を閉ざしているとなかなか感じられないものです。
ですから、子供の愛を感じられるかどうかは親次第。
子供から無条件の愛を感じられるような態勢を作ることが、
子育てにおける一番の幸せだといえ、他ではなかなか味わえないものです。



初めての子の場合、子育ての経験がないのは仕方ないとしても、
「子育てを楽しもう」という気持ちを持ってみることはできるでしょう。
「何とか失敗せずにやりくりしなければ」
ということよりも、むしろ、あまり長くは続かないこの甘い時期を楽しもう、
ということに意識を向けてみませんか?




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