2013年5月1日水曜日

母性なき所に父性を受け入れることは出来ない





◇母性という根源的な土台は築かれているか


昔は自己肯定感が育った子どもが多かったから、学校の先生は規律を教え込めばいいだけだった。
しかし現代は家庭で自分を受け入れてもらえていないと感じている子どもが多い(自分を受け入れてもらう=母性で満たされる)



子どもは自分の感情を充分に優先してもらう体験にある程度満足していないと規律やルールを守れるようにはならない。
なぜなら、自分の気持ちを最優先にしてもらえない(ルールのほうを優先するという)と自分を否定されたように感じてしまう。
自分の感情を受け入れてもらってある程度安心感を得た子どもでなければ、規律を受け入れることはできない。



気持ちを受け入れてもらう(母性)が土台にあってこそ社会的な規律(父性)を受け入れることが出来る。
土台が無いところにはどんな建物も立ちませんしたったとしても脆い。





社会の規律を守れる子供に育って欲しければ、親の先生も、「その子はある程度の母性は備わっているのかな?」という視点を持つことは、非常に重要だと思われる。


家庭で母性が育っていないなら、悲しいけれども学校の先生達がそれを補ってあげるか家庭での生活に介入していくしか(現実では無理かもしれないが)社会に適応できる子どもにそだてるという子ども中心の子育てに軌道修正する道は残されていないのかも知れない。


















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実際に、体育の時間の跳び箱が楽しくて、チャイムがなってもやめたくない。
次の授業がはじまると、すねて、かんしゃくを起こしてひっくりかえっている、というような小学校一年生の場面で考えて見ましょう。
こういうときに、どういう声かけをすることが、子どもの成長に役立つのか、ということなのです。
そのような場面で、一生懸命に「どうしたの?」と声をかけてあたふたしていた教育実習生に、ある先生は「甘えだからほうっておきなさい」とアドバイスをしたそうです。


この場合、感情コントロールが幼い段階にある子どもが、自分の欲求の制御が困難で駄々こねている場面です
それにたいして教育実習生のように、一生懸命にかまってあげる対応をすることは確かに甘えを助長し、もっとぐずぐずを長引かせるということは、
この先生のご指摘の通りだと思います。
「甘えだから」というのはそのとおりでしょう。

しかしながら、「甘えだから放っておく」という対応は
子どもが感情をコントロールできるように育つために役立つかというとそれは大いに疑問なのです。


佐藤先生:
そうでうすよねぇ。小学校に入学する前にそこがクリアされているお子さんは、チャイムがなったから気持ちを切り替えることはできるわけですよね。
そこができないってことは、その前の段階での課題がクリアされていないってことですから、できないところから補ってあげないと、だめですよね。
ついつい、学校だと、年齢相応にできるのがふつうというところで考えてしまうので、甘やかしてはいけないと思うのですが、放っておくと、
そのままの状態で学ぶ機会がないってことですよね。

ですから、小学校一年生にしてはとても幼くて三歳児くらいの感情コントロールの段階だとしたら、三歳児レベルの声かけが必要と言うことになります。



佐藤先生:
とういうことは、「もっと跳び箱していたかったんだね」「次の時間になっちゃって、できなくて、とっても残念だったね」って言う感じですね。





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■母性生→父性性が正しい

母性生が十分機能していないのに父性性を働かせるのは不可能。
母性性という保護的な力によって基本的信頼感が育った上に父性性によるルールが与えられることで有効に機能します。


基本的信頼感があれば、注意やしつけや、大きな声や強い口調で言わなくとも
子供の心に届きます。


しかし、それがないと、いくら言っても子供は言う事をきくようにはなりません。
むしろ不満や不信の気持ちを強く持つようになります。



したがって、母性生の欠けた家庭で育った子供は保育園でも次々とルール違反をします。


保育士に母性生を求めるために
必要以上に自分をアピールしようとするのです。



父性(社会的規律)の前に母性(ありのままの子どもの受容)を

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