2013年1月5日土曜日

「アレキシサイミア増加」と「未熟な大人の相関」について




◇身体がしゃべり出す時代

ネットがリアルを侵食すること、そして余裕の無い社会においてはアレキシサイミア(感情語喪失)は、
加速度的に増えていくのだと思っている。

余裕の無い(あるいは未熟な)大人たちの犠牲になるのはいつも子供だ。
この連鎖を断ち切るのは大人が自分の未熟さと向き合っていくしかないと思っている。

人間と向き合うこと、相手の表情を逐一確めながら対話することを避けて生きることが可能になった現代においては、精神的に未熟な大人が育ちやすい社会だと思っているからだ。


 

■大人を演じさせられる子ども


最近の子どもたちの幼少期は
自分のことを本当に理解してくれたという経験を持てることが
少なく、逆に親の喜ぶ顔を見たくて、
ピエロのような役割を演じるこどもたちが増えている。


その一方で、現代社会では
中高生の過食症や薬物依存、援助交際などの性的逸脱行為や犯罪行為などが
社会問題として取り上げられている。


 

■感情を表現する能力を失った子どもたち


子どもたちは大人が考える以上に情緒面の柔軟性を持っているはずで、
ある程度の年齢になれば、少々のストレス負荷が予測される場面でも
子どもたちが難なく適応している様子を見ると、
子どもたちの内面で起きている事象を軽視してしまうことがある。

子どもに柔軟な適応力があるがゆえに、
周囲の大人たちはなんら問題がないという錯覚を起こすことがあるが。
親からすればそういう子どもたちは
親の言うことを聴く、いわゆる優等生であることが多い。
嫌なことや辛いことがあれば、
はっきりといえる子どもはまだいいほうです。
これに対して、それが言えない子どもたちは「優等生」や「模範生」を演じているのである。




■感情に名前を付ける作業を試行錯誤する機会を!


子供の感情(≒心)をケアする余裕の無い大人が増えるということは子供自身が自分の感情と言葉を内部で一致させる機会を失ってしまい、
負の感情を感じていたとしてもそれを、どう表現するのか分からないしどう処理すればいいのかの試行錯誤をする段階に突入することすら出来ずに心身ともに、理不尽に削られていって、”あの子強い子だね”っていうA song for的な孤独とダメージを抱えることになっちゃうんだ。





■言葉の力への信頼を取り戻す出会いが


身体でしか表現できない状況を受容し、身体がしゃべることの有害性を説き、 ”言葉は届く”ということを教えて(思い出させて)くれる出会いが、どうかあって欲しいと思う。
愚痴や文句を言える人間ってのは、実は強い人間で、本当に弱いのは

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