どれくらい苦しいか、こればかりは経験したことのない人間にはわからない。
苦痛と言うのは簡単に一般化できるものではないんだ。
個々の苦痛には個々の特性がある。
(1Q84 BOOK3 村上春樹 新潮社)
◇「みんな同じなんだから…」の二面性
「みんなそうだよ」っていう慰めの言葉、あんまり好きじゃないなぁって前から思ってたけど、母親をはじめ、ある程度人生が軌道に乗っている人たちは口々に言う。
“みんなと一緒だから安心”みたいなニュアンスだけど、つらさや思いは人それぞれ。
反論はしないけれど、分かってもらえないんだろうなっていう諦めのみ残る。
■「誰でも悩むよね!」
悩みを打ち明けられたときに
どういう反応をするかで、その人がどう話を受け止めたかがわかるものです。
たとえば、人からひどいことを言われてへこんでしまった、
でもそんな「弱い」自分も許せない、と思っているケース。
あるいは、自殺してしまった父親を許せないと思っているけれども
亡くなった人のことを悪く言うことはいけないとも思っているケース。
あるいは、将来に対する不安があるけれども、
そのような不安を持つことは「男らしくない」と思っている男の子のケース。
このようなケースでは
「そんなにひどいことを言われたら、誰でもへこみますよね」と応じると
「話してもいいんだ」という気持ちになります。
自分の感じ方が、特殊なものでも恥ずべきものでもない、ということがわかると
安心するからです。
■「誰でも悩むんだから、気にするな!」
ただ、一方で、「誰でも同じ」と言われると、ショックな場面もある。
たとえば、「誰もが同じく悩んでるんだ。自分が特別だと思うな!」という場面。
「将来が不安なんだ」と打ち明けたら、
「その年頃にはよくあることだ」と返されてしまうと
それ以上、話す気がなくなります。
「つまりそういうわけだから、もう話さなくていいよ」というふうに聞こえるからです。
本来、そこで期待されるコメントは「どう不安なのか、もっと理解したいから、詳しく話して」というものでしょう。
そこに込められているのは、相手という個人への関心です。
■ポイントは「決め付け」
一つ目のパターンでは、本人が自分の悩みに対して
「よくない感じ方」と決め付けてしまっており、それが苦しみの原因になっています。
そういうときに「誰でもあること」と言ってあげると
「決め付け」を手放して楽になる効果があるのです。
一方、二つ目のパターンにおける「誰にでもあること」は
それ自体が相手の話に対しての「決め付け」ということになります。
決め付けられたほうが不満に思うのも無理のないことです。
■親の安心のために作られた価値観
ある女性の話り:
「私は小さい頃からまわりと一緒の方が親が喜ぶ、安心する、とこどもながらに思ってしまっていて、自分を出すことを
抑えてきたんですよねf^_^; 違和感はめちゃめちゃありましたが。
いろんな人がいる、と今は思いますが、基準が自分、じゃなく親であったことはちと悲しいなと。」
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