2013年1月16日水曜日

酔っ払った時に赤ちゃんがえりする夫たち




もし、神経症的要求をしていると気づいたら、自分は小さな子供のように甘えているのだと思うことである。自分の欲求を正しく理解することで、その不満からどれだけ救われるかわからない。
この世の中には、幸いにして甘えの欲求を小さい頃に満たされた人もいるし、不幸にして満たされなかった人も居る。
何でもなく情緒的に大人になれた人もいるし、七転八倒してやっと大人になった人もいる。
それはそれぞれの生まれた環境の問題である。

そんな幼稚な気持ちが自分にあるとは認めたくない。

説明できない自分の感情というのは、何か基本の欲求から眼を背けていることをその人に告げている。理由もなく不愉快になるのは、何か自分の欲求を自分が隠しているからなのだ。

自分が隠しているもののなかで最も一般的なのは、幼児性である。

(愛蔵版 自分に気づく心理学 加藤締三 PHP研究所)より抜粋






◇母親に垂れ流せなかった不満を妻に垂れ流している

 




■受け止めてくれる存在を求めている


旦那が酔っ払って、雑音としか思えないグダグダな戯言を妻に向けて吐く。
子供の頃は、無秩序で意味の無い話を垂れ流すことが許される時期だ。
理路整然となんかしていなくても言い。
親にどれだけ自分の話を聴いてもらえたか、受け止めてもらえたかという安心感が大事なのだ。
子供が親に何でも話したいのは「僕の事、愛してるのかな?」ということを確認しているのである。

 

■子供をやらせてもらえなかった欲求不満


人間は子供を通過してからしか大人になれない。のであるから、
親にしてもらえなかったことを、妻に向かって行っているのである。
どうでも言い話を、永遠と垂れ流すという、子供の頃に満たされなかった欲求不満を妻をゴーストにして解消しようとしているのである。

ただ、本当は母親にしてもらいたかったことなので、
この愚行は死ぬまで、あるいは夫婦が解消されるまで続く出ある。

自分が小さい頃、学校であったことを無意味に垂れ流す行為を残念ながら、旦那の母親は許さなかった。
子供らしい話の仕方、支離滅裂で全く面白みのない話であったとしても、安心して話してスッキリすることで、
子供は安心感を得てカラッポになって、また明日、学校で友達と遊ぶのである。

しかし、”無駄で意味のない会話”を禁止されていて、ずっと欲求不満を溜めていた。
だけど、大人になるにつれて、論理的に話すことを要求されるようになるし、面白くない話を聞いてくれる相手は、そうそう存在しなくなる。

こうして、満たされなかった子供の頃の欲求は、大人になっても消えることはない。
どんなに社会的に大人として認められるようになろうとも、個人的な欲求不満の解消にはつながらないのである。
 



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