2014年10月17日金曜日

「誰でもよかった」という照れ隠し


 

◇誰でも良かった=特定の相手に自身が認めたくない執着心を抱いていた



埼玉県入間市の路上で15日夜、女子大学生が刃物で刺し殺される事件があり、県警捜査1課などは16日未明に出頭してきた同市豊岡5の私立大2年生、沼田雄介容疑者(20)を殺人容疑で緊急逮捕した。「誰でもよかった」「(女子大生のアルバイト先の)コンビニから後をつけた」などと供述しており、同課は経緯を調べている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141016-00000035-mai-soci





■「誰でもよかった」=「その人でないといけない」



今回の事は、心理的な幼さが招いた悲劇なのではないかと推測した。
殺人を犯した彼は「好意(感情)の発露方法」が分からなかったのだと思う。


抱いてしまった好意をどうすればいいのかわからなくなった。

幼稚園児や小学生、中学生くらいまでなら行為がある相手にイタズラをする。
そういうレベルの「好意を持っている自分へのどうにもならないもどかしさ」を通過せずに20歳まで来てしまったのではないだろうか。





「誰でもよかった」は「その人ではないといけない」と同義だ。
すなわち、彼は彼女が好きだったのだ。
誰でもよかった、というのは好意的にみれば照れ隠しなのだ。
自分の中にある好意を認めなくない。
認めてしまえば叶わない好意であることを理解できてしまう。
そのときに心を守るために「誰でもよかった」という方便が彼の心をかろうじて守ったのではないだろうか。







自分の中にある感情に自分で名前を付けれない。
自分の中に渦巻いている感情の出所はどこにあるか、何に起因しているのか推し量れない。
そして、感情の処理の仕方が分からない。




好意を伝えられないもどかしさ
好意を持っている自分へのもどかしさ
幸せそうな人への妬み
輝いている人への妬み
自分に向けられない笑顔への怒り
好きな人が幸せそうにみえると感じる怒り



…推測の域を出ないが、このような種類の「好意を持っている自分への恥ずかしさの噴出」が
最悪の形として現われてのではないだろうか。







未熟な心の成長度
感情処理の経験に欠しい
漠然とした自分の人生への恨み。

そうしたものが絡み合っていたのかもしれない。




近年の「誰でもよかった」といえば本当に誰でも良いケースが多かった印象がある。
しかしながら今回の事は知りえる情報を総合して考えてみると「特定の人物」「計画的かつ衝動的」だといえると思う。



人の思いは直接伝えなければ伝わらない。
ある人と仲良くなりたければ、それなりの戦略と礼儀そして拒絶されるリスクを考える。
人生にはどんなに願っても自分の思い通りにならないこともある。
自分に振り向いてくれない人がいる。



こんな時代だからこそ「失敗」「(社会からの)拒絶」はなるべく幼いうちに経験しておくべきなのだと思わせてくれた事象だった。













あとは、まあ彼の食生活が気になるかな。
現在の体系は不明だが卒業アルバムを見る限り少し肥満美味の印象。

低血糖症由来の衝動的な行動だとしたら残念だ。

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