2013年8月25日日曜日

人間として当たり前の感覚を取り戻す(育てなおす)






◇失わされた自己感覚(ある意味で自分)を取り戻して人間としての当たり前を取り戻す



暴力を長い間受け続けてきた母子は、つらさに耐えるために、
自分の身体の感覚や感情を鈍くして身を守る傾向にある。
子どもは、抑えつけた悲しみや怒りを、他者への暴力の形で表現することも少なくない。
マインドフルネスで「今ここにある」感情や感覚に気づき、言葉で表現できれば、抑圧してきた心が徐々に解放される。
同時に物事に冷静に対処する力が少しずつ身についてくる。

(2012年8月22日 読売新聞 医療ルネサンス、より抜粋)

















ーー症例 梅野さんの場合




大手企業で受付をしている梅野さんはいつもにこにこしている美人でした。
当然、色々な人からデートに誘われました。

普段はにこにこして「困ります」などと断っていましたが
「デートをしてくれないと自殺する」と強く迫ってきた人のことは断りきれず、デートをすることになりました。
その彼は万事を自分のペースで運びたがり、梅野さんが少しでも応じないそぶりを見せると本当に恐ろしい怒り方をしました。
それでも、梅野さんは
ずるずると彼から言われるがままに交際をすることになりました。
付き合うようになると
ますます彼の一方的なところはエスカレートし
梅野さんを「ブス、頭が悪いんじゃないか」などと言葉で虐待することも
多かったですし、時には暴力を振ることもありました。
それでも梅野さんは彼と別れずに関係を続けていました。




****



客観的に見れば大企業の受付をしていて
にこにこした美人である梅野さんが男性関係に困ることなどは
まず考えられず
なぜ、こんな相手との交際をやめられないのだろうか、
ということは不思議だと思います。
しかし、子ども時代に虐待を受けている梅野さんにとって
「別れたら自殺する」と言ってくれる彼は
唯一の確かな存在と感じられるのです。
そもそも、梅野さんがいつもニコニコしていることもそんなトラウマを反映しています。
一人でいるときにはむしろ暗く沈んでいることが多いです。


人といる時にも決して明るい気持ちでニコニコしているわけではありません。
梅野さんは常に「周りの顔色」を指標にして生きてきました。
周りの顔色をうかがうことが、梅野さんの知っている唯一の「安全に生きる道」だったのです。

相手の機嫌がよいことが、唯一の「望ましい結果」でした。
ですから、自分がどう感じているのかが分からなくなることが多かったのです。
そして、そんな空虚な自分を見破られるのも不安で、ますますニコニコするということになりました。


彼が一方的なペースを押し付けてきたときに
そのまま巻き込まれたのも梅野さんに「自分」というものがなかったからです。
相手に合わせるということばかりを続けてきた梅野さんは
自分にとって有害だという事を感じる力もそこから自分を守る力も育てることができなったのです
そして、結果として自分を傷つける相手との関係に巻き込まれ、
トラウマ体験をする、ということになっていきます。

相手に合わせてばかりいる梅野さんの場合、
明確に脅威を排除しようとしている桜さんのような人とは異なり
「脅威のセンサー」は働いていないようにも見せますが実際は違います。


「相手に合わせる」という行動は「脅威のセンサー」が働いた結果としての自己防衛策だからです。
そして、「脅威のセンサー」が過敏に働いているのは梅野さんの場合も同じです。


梅野さんの場合はどんな相手に対してもニコニコしていますが
実際にはニコニコしていなくても大丈夫な、
危険ではない相手はたくさん居るはずです。
しかし、あらゆる人に「脅威のセンサー」が作動してしまうので
結果としてはいつもニコニコする、ということになってしまうのです。
桜さんのケースは「脅威のセンサー」が働くと「正当防衛」としての攻撃をする例で
梅野さんの場合は「脅威のセンサー」が働くと
 やはり防衛として相手に合わせる例です。
これらのパターンは人によって完全に分けられるわけではなく1人の人に、
桜さんのようなパターンと梅野さんのようなパターンが混在していることの方が多いものです。








■「相手の問題」と「自分の問題」の区別がつかない



梅野さんもそうなのですが、対人トラウマを持つ人の場合、
「誰の問題か」という境界線が上手く引けない人が多いです。
特に梅野さんのように子ども時代に虐待を受けている場合、本来は100%大人側の問題であるはずのことを、かなりの程度自分の問題のように思っていることが多いものです。

「自分を虐待した大人が異常だっただけで、自分には何ら問題がない」と割り切れる人はなかなかいないでしょう。
そして、虐待者も、「お前が俺を怒らせたのだ」「どうしてお母さんをイライラさせるの」などと、
あたかもそれが子ども側の問題であるかのようにいうことが多いのです。
性的虐待という悲惨なケースであっても、子供が誘ったなどということを平気で言う人がいるのが現実です。


梅野さんは相手の顔色を読むことで今まで生き延びてきたわけですが
これはまさに相手の問題を相手の問題を自分の問題として
引き受けているということです。
境界線がきちんと引けている人たちは
顔色を読まれることを不快に感じるものです。
いちいち自分の顔色を読まれて相手が反応する、ということそのものが
重苦しい束縛感をもたらすのです
何と言っても「読まれること」は正確ではない場合が多いからです。

ところが、梅野さんの恋人のように
自分の問題を相手が引き受けるのが当たり前だと思っている人は
梅野さんのような人と相性がよくなってしまいます。
梅野さんの恋人は
まず「デートをしてくれなければ自殺する」と言っていますが
これは明らかに境界線を踏み外した言い方です。
デートをしてもらえなければ哀しいものですが
 そのうえで自殺するかどうかを決めるのは自分の問題です。
「デートをしてくれなければ自殺する」と言っている時点で
自分の領域のことにまで梅野さんに責任を取らせようとしているのです。

付き合い始めてからの彼が梅野さんを虐待するのは
自分の機嫌の悪さが梅野さんの責任だと思うからです。



本来は自分の問題として考えて改善策(梅野さんに協力してもらうことを含めて)を
検討すべきなのですが「そもそも自分の機嫌を損ねた」梅野さんが何とかすべきだと感じているのです。


いかにも境界線を逸脱したものの考え方です。



境界線の問題は「相手の問題を引き受けている」という形だけではありません。
自分の領域なのに相手に踏み込ませてしまう、という形でも起こってきます。

トラウマの結果として「自分への信頼感」がない人は
「自分はこうしたいから」「自分はこう感じるから」と
自分の領域を守ることが出来なくなってしまいます。

梅野さんも「ぶす」などと言われて本当は不快なのですが
「私は不快だ」とはっきり思ったり言ったりすることができないのです。



勇気を出して「ブスなんて言われると哀しくなっちゃう」と控えめに
言ったことはあるのですが相手から「それくらいの事で気にするなんて、人間が小さいよ」と言われ
相手の言っていることのほうが正しいような気になってしまいました。


本当は「ブスと言われると不快だ」ということは
相手からとやかく言われる筋合いのない、尊重されるべき自分の感じ方です。
 相手が何と言おうと自分がそう感じたことは事実だからです。

そこに相手が「不適切な感じ方」と土足で踏み込むことを
許してしまうところも、境界線の問題だと言えます。


他人の感じ方は自分の感じ方とは違う、ということが事実上分からなくなっている人も居ます。
当事者は何とも思っていないような出来事でも
自分がひどいと思うのであれば
「あんな目に遭うなんて本当にかわいそう」と感情移入してしまうのです。















ーー治療


梅野さんの治療はまず、自分にとって不快を感じられるようになることからはじめました。
ずっと人の顔色をうかがって生きてきた梅野さんには
「自分はどう感じるか」という視点が決定的に欠けていました。
「こういうことは、ふつう、不愉快に感じるものだ」
「こういうことをされたら怒りを感じてよい」ということを伝えながら
梅野さんの気持ちを少しずつ育てていきました。

梅野さんは
感情的な負荷がかかると解離しやすい傾向にありました。
本来は動揺するような状況でも解離する結果として「たいしたことはない」という捉え方になってしまうのです。


そういうところも
「これだけの扱いを受けたのだから、感情的にはかなりの負荷がかかっているはず。
 それなのに大した事はない、と捉えている事自体が解離症状かも知れない」という
見方をすることによって
本人も、だんだんと自分の症状に気づいていきました。



特に彼がひどいことをしたときには
「それは本当にひどいことだ」という認識を共有することによって
少しずつ「彼から離れる」という選択肢を考えるようになりました。
また、「そうやって彼を見捨ててしまったらかわいそうだ」という感じ方も
強かったのですが、それも
「本来は彼自身が引き受けるべき問題。
 梅野さんはこうして治療の中で少しずつ自分の回復と成長を感じているのだから
 彼もいずれ自分の問題をそういう形で扱えると良いと思う」
という認識をだんだんと共有していきました。
梅野さんは

「たしかに、私が何でもいう事を聴くことによって彼は自分の問題を見ないで済んでいるのかもしれない」
ということに気づいてきました。


彼と別れることは一筋縄でいかず
何度も進んだり戻ったりをしましたが
その中で、梅野さんはだんだんと自分の感じ方が分かるようになり、
また、彼との関係の限界にも気づくようになってきました。
そして、少しずつ「彼と別れた後の将来」について
希望も感じられるようになってきたのです。





*****






梅野さんのようなケースの治療にはそれなりに長い時間が必要となります。
小さい頃から一度も「自分への信頼感」をもたれたことが無く
それを「取り戻す」というよりも「初めて育てる」という形になるからです。

時間は長くかかりますが基本的な考え方は同じです。
自分の感じ方を大切にすること、
それを指標にして自分にとって少しでも快適な環境を作ること、
助けてもらえる人を見つけて助けてもらうこと、
トラウマが自分にどのような影響を与えているのかを知ること
トラウマ症状を認識し
症状との折り合い方を学ぶこと、
自分のトラウマを悪化させるような人たちからは距離をとること、などと
こつこつと続けていく中で梅野さんほどの生涯にわたる問題でも
着実に前進していくものです。
人を信頼するなど
本来は発達上ふさわしい年齢で達成しておくべきであった課題でも
後から取り組むことは可能です。
ただし、そのような課題を共有できる人(治療者など)は必要だと思います。
「自分への信頼感」が全くない、という状態では
「この人はきちんと成長できる」ということを信じている人が
近くにいないと
なかなか前進する力を得ることが出来ないからです。
だんだんと「自分への信頼感」を取り戻していけば
自分でも自分の力と可能性を
感じられるようになってくるものです。

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