2012年12月8日土曜日

排除という選択肢でしか不都合な相手と渡り合う術を持っていなかったら、その人が社会から排除される



◇排除と言う防御が簡単に使える社会

着信拒否、あるいはニコ動、もっといえば、学校でのイジメ…これらに共通するのは
「自分にとって不都合な相手は自分の目の前から排除して、嫌な気分から解放されてスッキリして生きていたい」
という人間の欲望に正直に生きるための対処法だということ。

「あいつ、ウザいから拒否設定に入れよ
「気分を悪くするからNGコメにしよ」
「あいつが空気を乱すから皆で無視しようぜ」

こんなふうに、何か、自分の感情をマイナスの方向に進ませる対象を、
すぐに排除するような短絡的な対処法
が蔓延しているように思える。



 

■問題提起ーー不都合な存在は排除し続ける??

自分にとって不都合なものを排除していって、それで世界は本当に美しくなるのだろうか。 自分の価値観と違う存在を「ああ、うざい!拒否設定に入れよっと!」って言う具合に無かったことにすることは自分を守ることになるのだろうか。。


■汚いモノは必要ない!?

たとえば、自己免疫疾患(アレルギー、花粉症、MSなど)は先進国に多いと聴く。 先進国の清潔な環境で育った人間は、菌に対する耐性が低下して、ちょっとでも菌が強い場所に行くと、免疫システムがおかしくなり自己免疫疾患になるらしい。また、善玉菌は悪玉菌がいなければ本来の仕事をしないらしい


■汚い者は近寄らせない!


人間の話に戻ると、感情に任せて、その瞬間、目の前の不都合な物体を排除したとしても、自由主義社会では絶対に自分とは違う価値観を持った人間との出会いは死ぬまで続く。
いつの日にか、目の前の相手を排除できない環境(会社とか大人の社会)で生きなければならない時が来る。
そのときに、排除という選択肢でしか不都合な相手と渡り合う術を持っていなかったら、
その人が社会から排除されることになる。

【モラトリアムというか大学生くらいまでは自分の価値観と同じような人間とだけ付き合っていっても楽しく過ごせる。
 ただ、社会に出て、たとえば、気に入らないお客様であっても、商品を買ってもらって売り上げを上げないといけない。
 そのときに、気に入らないムカつく客だからといって、排除(自分をムカつかせる客の機嫌をとるのは絶対に嫌だ!)  
 ばかりしていると、会社の上司から「売り上げに貢献しないお前はクビ!」と言われてしまう。自分にとって不都合な 
 相手の対処法を”排除”しかしらない人間は、社会では相手じゃなくて自分が排除されることになる】



 

■まとめーー排除できないステージにいつかは登る


汚いモノを(ある瞬間、自分の目の前から)排除して安心を手に入れたとしても、その快適さはバニティーとしか思えない。なぜなら人生は短距離走ではなくマラソンなのだから。



 

■おまけーー相手を変えようとしないで自分が変わる


苦手な人間いるってのは自分が未熟なんだと感じることがある。 人間関係ってのはあくまで相対的なものであって、苦手と思える人格の持ち主たちと適度に付き合えるようになることが自分の成長に。

相手が凹ならば自分が凸という引き出しを持てば、凹という特長が苦手だった人とも、うまくいくかも

こっちが、一段上の高いところに登って、成長することで、相手の変化に期待しなくても、人間関係は改善していけると信じている。 あるいは、それでも生理的に無理な存在との対峙(退治)するときには、相手を不快にさせない程度のスルースキルという引き出しを見につければいいかもしれない…笑

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