2012年12月6日木曜日

「子供ってカワイイ!」と思える=良い母親に!?




◇「良い部分だけと付き合う」「丸ごと引き受ける」

ここの差を認識しておかないと
自分が子供を常に愛せない状態にあるときにショックをうけてしまう。

 


■デパートで売っている猫と猫のいる生活の違い


たとえば、僕は、猫がかわいいと思う。
だけど飼いたいとは思わない。

自分の日常を変化させずに、猫を眺めて癒される。
これはつまり、 「自分に害を与えない距離で猫が大好き」ということになる。

ぎゃくに、飼って、日常を共にして、猫ちゃんの世話をして、後始末をして、
自分が安全な場所から眺めているだけでは成り立たない猫ちゃんとの関係性を望むことはない。

これと同じことが、「子供をかわいいと思える私」と「育児を楽しめる私」とにも、言えるような気がしている。

 

■安全な距離で赤ちゃんをカワイイ!と思えても意味がない


自分の生活を脅かさない範囲、たとえば、道歩く幼稚園児をたまらなくカワイイ!と思えること。
あるいはイオンで彼氏とデートしているときに、家族連れを見て、「ああ、子供ってカワイイなぁ早く欲しい!」って感じたとしても、
それは、あくまで安全な場所にいる時に浮かんでくる想像(妄想)に過ぎず、ぜんぜん、リアルに子供との生活をしている自分を妄想しているわけではない。

 

■「子供ってカワイイ!」と言っている女性は良い母親になりそう??

こたえは、NOですよね。
子供がかわいいのは、あくまで自分以外の誰かが、その子供をカワイイと思えるシチュエーション以外の子育てのキツい部分、つらい部分を背負っていてくれて、
子供と過ごすことの「良い場面」しか目の当たりにしていないから、「カワイイ!」と思えるだけ。

女性も男性も、”自分が安全な場所にいる時に子供をかわいいと感じている”という姿に、過度に期待をすると、
現実に子供のいる生活に入ったときに、たがいの母性、あるいは父性に、期待をしていただけに、余計に失望することになって、最悪、
子供の存在が火種で離婚と言うことにもなりかねない。

自分事と他人事との識別をしっかりして、他人あるいは自分を見極めないと、期待だけが膨らんで、いっきに失望と後悔と怒りを招くことになりかねず、
結局、一番の被害者が子供という大人の能力不足により不幸な人間が増えることになってしまう。

よりよく生きるためには、他人を見抜く能力と、自分の本当の性質に気づく力を養っていく必要があるのかもしれない。



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