2017年9月23日土曜日
虐待を受けた子供の試し行動についての誤解
■「試し行動」は、がまんが途切れてしまう恐怖から発する
実は、その激しい拒絶は、自分の我慢が途切れてしまう恐怖から発する。
虐待を受けてきた子どもは、愛情と優しさを期待しても、いつも親に裏切られてきた。
それでも、子どもは期待し続ける。
「親が自分に優しくないのは、何か理由があるはずだ」、
「暴力を振るうのにも訳があるはずだ」
「自分がもっといい子になれば、きっと親は優しくしてくれる」
「ちゃんという事を聞けば、暴力は無くなる」
子どもはそう自分に言い聞かせ、期待をつなぎ、今度こそはと思ってがんばる。
しかし、結局はいつも裏切られた。
その厳しい経験の中から、やがて、子は自分には温かい愛情を受ける権利なんてない、そんな期待をする自分の方がおかしいと思うようになり、愛情を期待しないで生きて行こうと決心する。
その決心は何度も揺らぐが、そのたびに彼らは自分に言い聞かせる。
「期待する自分がだらしない、そんな自分は馬鹿だ」
そうして彼は、ぎりぎり自分の存在と尊厳を保って生きていく。
そんな彼らが、ある時、親から救い出されて養護施設に保護されたとする。
そこで支援者が、温かい愛情とごはんを与えるとしたら、彼らはどう思うだろうか?
「どうして僕にそんなことをするの?
僕はそんなものはないと思って生きてきたんだ。
なぜそんなことをして僕をからかうの?
せっかくここまでがまんしてきたのに、余計なことしないで!ひどいよ!」
そうやって、差し出されたご飯を払いのける。
愛情を期待してはいけないのだ。
がまんを続けないと生きていけない。
がまんを止めるのは怖い。
「施設から出たら、僕はまた我慢なんだ。
だから、そんなことしないで!」
これが「試し行動」と言われるものの心理である。
■お姉さんの優しい気持ちを拒絶した記憶
クッキーを踏みつぶしてしまった。
「生まれてからずっと我慢だけをいてきたのに、今さら優しくされても、怒りしか沸いてこなかった…。
あの怒りはお姉さんへの怒りだったのか。
違う、お姉さんは大好きだった。
そうじゃなくて、甘い誘いに乗ってしまった自分への怒りだったのだと思う。
お姉さんには悪かった。
あれから30年経つけど、今も同じかもしれない。
大人だから人の好意をあからさまに拒絶するようなことはしないけど、遠慮してしまうし、
期待すると怖くなる。
いつもがまんしてきた。
このがまんがなくなるまで耐えようと生きてきた。
それが生きる理由だった。
がまんのない世界を生きたことがないから、
いきるとしたら自分でがまんを作らないといけない。
がまんのない世界は怖い。
受け入れられない。
幸せになってもいいんだ、と自分に言い聞かせるが、何度言っても、
底知れない怖さが襲ってくる。
がまんが途切れたら殺されるのではないかと怖くなるし、甘えようとしたら、
黒い雲のような罪の意識が襲ってきて自分を責める。」
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