2016年12月11日日曜日
父親がアルコール依存症、夫もアルコール依存症。なぜ?
○なぜアルコール依存症に苦労し女性はアルコール依存症の夫を選ぶのか
人間は未知を恐れ、慣れ親しんだことを受け入れる。
その慣れ親しんだことがたとえ悲劇的な結果になるとわかっていても悲劇を予想できるのならそちらを選んでしまう。
未知の選択をしたときに訪れる結果が怖いのだ。
どれだけそれが悲劇的であろうとも「知っているもの」を人は選んでいく。
未知の選択はよりよい未来を運んできてくれるかもしれない。
しかしながら、結果のわかっている、慣れ親しんだ悲劇のほうを人間は選んでしまう。
慣れ親しんだ悲劇は悲劇に対する対処法も一応、心得ている。
どんな悲劇であろうとも予測可能なことに人間は導かれ、そこに安堵する。
良い結果をもたらす未知の選択よりも悲劇をもたらす慣れ親しんだ選択に人間は落ち着いていく。
■知っているから今度こそは
夫がアルコール依存症の妻は、なぜ夫を見限らないのか。
このような妻は
往々にして子ども時代には父がアルコール依存症であったという過去を持つ。
苦しめられた。
だから、酒を飲むような人とは絶対に結婚するまいと誓った。
それなのに、またしてもアルコール依存の男性と家庭を構える。
常識では考えられないが…
ここにコントロール願望といった視点を導入して構図を眺めてみるとどうであろうか。
子ども時代は無力だった。
しかし、今は大人。力をつけた。
だとしたら、過去は抵抗できなかった場面を今度は自分の力で乗り越えてやる!という思いがわきあがっても不思議でない。
辛く悔しい過去であればあるほどに、過去を乗り越えたいという願望は消えてくれない。
過去を再現せずにはいられなくなる。
今度こそ、うまく自分の力でコントロールして見せようことだ。
しかし、結果としては
過去の悪夢の再現に終わってしまうということである。
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