2016年12月10日土曜日

境界性パーソナリティ障害に狙われるパーソナリティの持ち主



参考文献:
普通に生きられない人たち 磯部潮 河出書房新社




○境界性パーソナリティと相性が良い人たち

■救うのは自分しかない

不思議なことに境界性人格障害の人と面接をしていると
なぜか「彼女を救うのは自分しかない」と考えてしまうことがあります。

いつもは面接で困ったことがあると同僚や先輩の精神科医に相談するような医師であっても
どういうわけかBPDの人との面接過程で
「どうせ周りの医者もわからない」
「自分だけが彼女を救える」などと勝手な解釈をして孤立無援の状況に落ちってしまうことがあるのです。

この不思議な現象はBPDの人との面接のときのみ見られます。
これはBPDの人たちが私達に生起させる現象なのでしょう。
彼らには私たちの人間性の根底を刺激し、
関係性の中に私達のヒューマニズムを喚起し
私達に「自分だけが」というような万能感をも生じさせる何かが備わるって居るのです。

この「なにか」を明確にすることは今の私には難しいのですが、
おそらく、彼らの生身の人間性を剥き出しにした生存様式が私達の日常の生活にはない人間存在の根っこにあるようなものに触れ、人間であるがゆえのヒューマニズムを普段は眠っている意識の底から揺さぶり起こすのではないでしょうか。




■別れることは、この上なく恐ろしい

彼氏に対しても、彼がなにか忠告めいたことを言おうものなら、
「あなたは何も私の事を判っていないくせにえらそうに言わないで」と怒り出すのですが
Fさんが落ち込んでいたりするときに黙っていると
「どうしてあなたは私がこんな風なのに何も言わないの」と今度は責め立てるのです。

第三者的に傍観していると、彼はどうしてFさんと別れずに一緒に居るのか、
自分の人生の大切な時間を浪費しているだけでないかと思ってしまうのですが
とうの彼氏は別れることなど想像などできないのです。

完全にFさんに取り込まれていて、別れることは彼にとって、この上なく恐ろしいことで
意識の端にさえのぼらなくなってしまっているのです。

こうして彼は、自分がFさんにとってなくてはならない人であると刷り込まれてしまっているのです。
このようなFさんと彼氏との関係が典型的な共生関係といえます。
彼は自分がFさんにとってなくてはならない唯一の存在であると刷り込まれているのですが
多くの境界性人格障害の人は、このような共生関係を築いている一方で
共生関係以外の関係性が良好であったりします。

これはしばしば認められることです。

たとえば、Fさんは彼との関係が揺らいでいる、つまり、彼がFさんのことで心底疲れ果てて
エネルギーを吸い取られて仕事もできずにボロボロになっているときほど、Fさんも眠らずに彼を振り回しているので
体力的には落ちているにもかかわらず、
いつにも増して活動的にアルバイトを始めたり、自分の得意なピアノの講師として教えに行ったりするのです。

Fさんと彼はこうような「不安定の中の安定」と呼ばれる共生関係を築いているのです。
この関係は非常に脆く、まるで薄い氷の上を歩いているようなものに見受けられます

彼がきっぱりとFさんとの関係を絶とうとすれば、おそらくFさんはそれこそ自分の身体、生命を賭けて彼に見捨てられることを阻止するでしょう。

リストカットをするのはもちろんのこと、大量に薬を服用したり、ビルの屋上から飛び降りようとしたり
あるときはないてしがみついたり、あなたを殺して私も死ぬといって包丁を突きつけたりするのです。

これでは結局、彼はFさんと別れることはできず、まさに「見捨てられるず」もとの鞘に
収まってしまうしかないのです。

その一方で、
BPDの人は彼の代わりに共生関係を築ける人に、常にアンテナを張り巡らしてもいるのです。
それはBPDの人を取り巻く全ての人に対して行っていますが

その相手は限定されていて、お眼鏡にかなう人間でなくてはいけません。 

その人間とは、同じ境界性人格障害の人であってはとても共生関係は築けないのですが
ある程度は境界性というべき辺縁性を持っている、あるいは理解できる人間でなくてはならないのです。


だから、その相手が精神科医である場合もしばしば見られます。



■コントロールされる喜び

他人にコントロールされるということは
自由や自主性を否定されることにつうじるのだから
あまり嬉しいことではない、はず。
ところが実際には必ずしもそうではない。

恋愛関係に陥ったばかりの若い二人にとってはコントロール願望の存在は
相手への関心の深さを示唆するものに他ならずつまり愛の証明として認知される。




■期待は出来ないが成長を待つ

最終的には時間に解決してもらうことになる。
でも時間にゆだねることが往々にして無責任ととられてしまう。

例えばパーソナリティ障害というのは基本的には完治しません。

では精神科医は何をしているのかと言うと患者が歳をとるのを待つ。
世の中のスタンダートを示しながら時間を稼いでいくのが正しいやり方。





■以下http://tenmei.cocolog-nifty.com/matcha/2008/05/post_3fde.htmlより引用

このボーダーラインの診断基準をマニュアルで調べてみると、かなりよく宗佑に
当てはまるのだ。「見捨てられることを避けようとするなりふりかまわない努力」、
「自己を傷つける可能性のある衝動」的な「性行為」、「自殺の・・・脅し、または
自傷行為」、「感情不安定性」、「不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困
難」。ボーダーラインは、女性が4分の3を占めると言われてる疾患だけど、残
り4分の1は男性だから、宗佑がそうであっても不思議はない。DVは、境界性
パーソナリティー障害の一つの症状、現れってことだ。
      
このボーダーラインについて、約670ページにもわたる詳細な『精神医学ハンド
ブック』(創元社,1998)を見ると、日本を代表する精神分析家・小此木啓吾が興
味深い項目を執筆していた。「ボーダーライン・カップル」。どちらか一方がボー
ダーラインのカップルの事で、もう一方が自己愛パーソナリティー障害の場合に
は、一定の安定した関係性が継続されることがあるらしい。つまり、自己愛人間
はボーダーラインを支えることで、自己をより良く愛せる。また、カップルが一体
化することで、強い自己愛が相手への愛にもなりうるわけだ。ただし、その安定
状態へ第三者の妨害があると、一気に関係が崩壊してしまうこともあるとの事。
           
どうだろう。余りにもピッタリ当てはまると思わないだろうか。ボーダーラインの
宗佑と自己愛人間の美知留がそれなりに上手くやってるところへ、瑠可の妨害
が入ったために一気に崩壊してしまった。こう考えると、ドラマともウチの主張と
も合ってるし、「被害者」宗佑の今回の怒りもそれなりに理解できるだろう。
「何でこんなになっちゃったんだ。こんなにした奴が憎いよ。ただじゃおかない」。。
      



■以下http://victim-of-bpd.hatenablog.jp/entry/2014/06/18/015249より引用

 被害に遭いやすいのは、他人と自分の線引きが苦手な人です。
 私のことと相手のことを区別ができない、これはボダにとって、とてもつけいりやすいのです。
ボダは、以前の記事で書いたように、依存を望みます。ボダ自身が依存することに加えて、被害者がボダに依存することも望みます。
ですから、私は私、あなたはあなた、という線引きがしっかりできている人は、ボダから見ればガードが固いのです。
もう少し具体的に書きます。
 線引きが苦手な人とはどのような人でしょうか。
ひとつは、押しに弱いタイプの人です。周囲に流されやすい、或いは他人からの頼まれごとを断りにくい、もしくは自分の都合より他人の都合をつい優先させてしまう。受動的で、自分の感情を必要な時にも強く主張できない。
このタイプの人は、ボダにとってとても扱いやすく、操りやすいです。
ボダは自己の欲求を満たすためにはなりふり構わないので、あっという間に流されて捕らわれます。
このタイプの人は、自己をしっかりと確保することを意識しなくてはいけません。
 相手に都合が悪くても、自分が我慢して凌ぐようなことをしてはいけません。
 人間関係は、常に融通のしあいです。片方だけが融通をつけ続ける関係は、健全ではありません。これ以上は自分に無理が出る、そういうラインをしっかりと作り、守ることから始めましょう。
もうひとつは、奉仕精神の豊かな、その上、自分の力で他者を助けることが好きな人です。
 困っている人を見たら積極的に手をさしのべ、寄り添い、助力を尽くし、他者の困難を解決することに厭わない人です。
このタイプの人にとって、ボダは解決すべき困難を多く抱えた宝箱です。ボダにとっては、労せず得られる良いサンドバッグです。

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