2013年10月30日水曜日

女性は春夏。男性は秋




「20歳の顔は自然の贈り物。50歳の顔はあなたの功績」
「綺麗な人と言われるようになったのは、四十歳を過ぎてからでした」
「 20歳の顔は自然から授かったもの。 30歳の顔は自分の生き様。 だけど50歳の顔には、 あなたの価値がにじみ出る。」




…裏を返すと生活習慣やお金によって、綺麗な人に昇華することは可能だけれども、
30歳までは、生まれたもの、先天的な容姿の要素が最も人生をイージーモードにするかハードモードにするかを決めているのではないだろうか。
特に、女性の人生おいては。

男も、人生の春は遺伝的要素(足が速いとかサッカーが上手いとか)によって左右される部分があるけれども、夏と秋に、努力をしたらした分だけ、遺伝的要素を駆逐できる確率が高い。

もちろん、強烈な努力が必要なのだけれども、社会的能力は容姿と違って努力で改善していけるという面においては男性の人生は辛くて楽しい。


 
おまけに、男性の人生は秋(ハーベスト期)が非常に長い。
下手をすれば、死ぬ寸前(冬)の直前までハーベスト期だ。



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女性の人生における春と夏は本当に鮮やかだ。
ただ、鮮やかなものは短命。美人薄命。きれいな花はすぐ枯れる。
その春と夏のうちに自分を高く売る。

株と同じだ。高値で売り抜けなければ、どれだけ高値に一時的になったとしても後は下落するだけだ。
その、春と夏が終わった頃にやっと、自分に対する投資が実を結ぶと言うのは、やはり、いかに良い遺伝子で良い容姿的要素を授けてもらえるか、がきわめて重要な気がする。

もちろん、歳を重ねるごとに、人間として女性として女として、女性の価値が高まっていくことを否定する気はないけれども、メスとしての市場価値は間違いなく人生における春と夏がピークだと思うし証明されていると思う。。

しかしながら、「女性=産む性」 という進化論的な理論を抜かせば、女性は死ぬまで綺麗になっていく生き物でもあるのだとも思う。



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