2013年2月8日金曜日

「結婚して幸せになろう」への違和感




『最高の離婚 第5話』を観て、思うところがあったので頭の整理も込めてつらつらと。





◇結婚しないと幸せじゃない二人は幸せになれるの?


「結婚して幸せになろう」という命題が成り立つとき、浮かび上がるのは「私と貴方が幸せになるためには結婚が絶対必要」ということなんじゃないのだろうか。
結婚という形を達成しないと(恋人同士では)幸せじゃない二人が結婚をして(精神的な部分で)幸せになることはできるのでしょうか…。



結婚という形への根拠なき信頼感が蔓延しているのが非常に面白いと思う。

結婚という形を達成することで、理性的に感情を押し込めようとしているに思える。
お互いが抱えている問題、あるいは感じている二人の関係性の中での違和感を、婚姻というブラックホールに吸収させようとしているのでは。
で、案の定、そういう形の達成が幸せを運んでくれるっていうパターンは、破綻してしまうのでしょう。

でもまー希望的観測を言ってしまうと、婚姻という形で心が離れてしまった夫婦が、離婚と言う形から解放された関係になる(戻る)ことで、距離が縮まっていく、みたいな展開がベタだけど
いちばん視聴者が観たいホッコリバージョンなのではないではないでしょうか。


 

■あかりさん


「父親は女たらしで可愛そうな母親の姿を見てきたから、私は絶対一途な男を選ぶんだ」って強く思っているのに、けっきょく、何股もする男性に惹かれるって言う典型かもね。
父親と言う神様を否定しないためには「女たらし」という嗜好を「愛している証拠」として認識するんだろうねー人間の心が持つ防衛機制ってすごい!
どんなにひどい父親であっても、子どもにとっては父親であって、父親をひどい人間とは心底は思いたくないし、自分ガひどい父親から生まれただなんて納得できない。じゃあどうするかっていうと、父親を肯定するんだ。「妻以外の女性にも手を出す男性」を肯定することによって。そして、惹かれていく。


「父親(あるいは男性)の愛し方=法的に大事とされる人以外の人にも手を出すこと」みたいな公式を自分に叩き込むことで自分を守る。
そして、それを公式にした人は浮気性の男性ほど、愛されている自分を感じることが出来ているのかもしれない。



また、「父親ではなく母親の事だけ嫌いになって言った」というセリフも興味深かった。
破綻している夫婦関係なのに、お金とか世間体とか子どもの事とかで離婚を出来ないお母さんを見て育つ娘は、お母さんを大好きだし守ってあげたいと思うけれど、誰よりも母親のような人生を送りたくないと思うし母親を哀れむようになるらしい。で、母親を哀れんでいる自分に、罪悪感を持つと。


ついでに言えば、人間は、そう簡単には変わらないので描写があるかどうかは分かりませんが、あかりさんは次の次あたりには別のダメンズとの関係がはじまるのでしょう。




■りょうさん


人間は、そう簡単にはかわらないと思うけどなぁ~特に覚悟とか気合とか、瞬間的な感情で人間が変わるっていうのは考えにくい。
一時的な強い感情は、自分を別のステージ(社会的に望まれる役割の方向)に連れて行ってくれるような錯覚を抱かされるんだけど、結局、一時的な感情が運んできてくれた予感と言うのは、一時的で消えてしまう。

だから、人間は変わらない。逆に言えば、急に変わらないからこそ恒常は維持されていくのだと思う。


結婚という道具を結婚相手との関係ではなく自分自身の弱さを断ち切るための道具にしたって、ぜーんぜん役に立たないと思うけどなぁ。

げんに、ドラマのなかでも、紅茶を掛けられた女性の元に何事もなかったかのように収まりそうな感じだし。


「結婚という形(夫婦と言う絆への根拠なき信頼感)を達成すれば、女癖が悪いもの治るだろう」
「子どもが生まれれば、真面目な夫になってくれるかもしれない。アルコールも止めて、まともに働いて、お父さんとしての自覚も生まれてくれるにちがいない!」


形(結婚とか子どもが生まれるとか)が幸せを運んできてくれるってのは幻想ですよ。
人間の本質的な部分が変化することは、滅多にありませんから。

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